32話:ルクナカーテに向けて
馬はいないが自動で動く車に揺られて、後部座席に座っているレイは頭をこくりこくりさせてうたた寝していた。
狭い車の中では、運転席にアーベルドという用心棒の男が座っている。シャルロッテと合流してからは彼は一度もレイたちに口を開かない。シャルロッテの言うことに「分かりました」など返事はするものの、真っ白な髪から覗く、まるで暗闇から誰かにじっと見られているような感覚に陥る瞳をシモンは不気味に思っていた。今も痩せた頬を引きつらせて、じっとりとハンドルにしがみついており死人のようだ。
後部座席に座っているシモンがアーベルドを見ていることに気づいたのか、シャルロッテは助手席から後ろへ顔を覗かせた。
「悪いな、アーベルドは人見知りなんだ。これでもお前たちを歓迎しているよ」
「あ······ごめんなさい」
知らぬ間にシモンはアーベルドに軽蔑の目を向けていたことを恥じて視線を落とした。するとレイの手にある新聞に目がついた。
レイが今朝買ったという新聞だ。新聞というのは、今この王国で起こっていることを書き記したものだという。シモンは物珍しそうに記事を見た。見出しには『ヨータ砦奪還、女将軍アイリスの快進撃』と簡潔に書かれていた。
「ヨータ砦、奪還······? 戦争かしら?」
シモンがぽつりと呟くと、シャルロッテは驚いたように声をあげた。
「知らないのか? ウルスプルング王国はお隣のリーサル帝国と戦争真っ最中だ。現在、前線のヨータ砦は取り返したり奪われたりしているんだ。女将軍アイリスというのは見出しの通り、今最も注目を浴びている将軍だ。若い女でありながら優秀な将軍、というのが珍しいんだろうな」
「この国って戦争していたのね······」
「お前、身なりからして和王国の者だろう? ウルスプルング王国のこともよく知らずによく入れたな」
「別に、知らなくたっても入れるじゃない、ほら」
シモンは帯の下から提げた巾着袋から、シンプルだが上品な金の装飾が施された板を取り出してシャルロッテに見せる。
「通行手形······これは、金の装飾!」
シャルロッテは大きく目を見開いた。
「これを持っていれば王国内の全ての関所が通れるようになる。······それはそうと、お前何者なんだ? これは国の重要人物ぐらいしか発行されないものだぞ? 」
「私は巫女よ。それとこの手形は代々引き継がれてものなの」
シモンがそう言うと、シャルロッテは急に興味を無くしたというように前を向いた。
「そうか、子供なのに苦労してるんだなぁ」
「なっ······」
シャルロッテはまるで子供の言うことに大げさに反応するように言った。
明らかに自分が巫女であることを信じていない。巫女は強い霊力を持っているため、それを狙う者達もいるらしい。普通は護衛をつけるはずだが、自分は一人もつけていない。金の通行手形も誰かから盗んだとか、なんとでも言えるわけで、自分が巫女である証拠などどこにもないのだ。
自分の霊力を見せることはできるが、そんなことのために代々受け継いできたものを使うのは、よくないことのように感じた。そもそも巫女だと信じてもらえなくても何の支障もないのだ。
シモンは余裕を見せるかのように窓の出っ張りに肘を乗せて頬杖をついた。
「あっ······」
窓の外ではジャンとシドが並んで歩いている。魔物がいつ出てきてもいいように、交代で外に出ているのだ。
「車を止めて。そろそろ交代しましょう」
シモンがそう言うとアーベルドが車を止めた。窓を開けてジャンとシドに「交代」と声をかけると、ジャンは頷いたが、シドは「俺はいいよ」とだけ口を開いた。
シドは朝からずっとこんな調子だった。アーベルドがレイたちに口を開かないのと同様に、シドもシャルロッテたちとは一切話そうとしない。女好きのシドがシャルロッテに目もくれないし、車にも乗りたがらない。
シモンは彼らと出会ったばかりで知らないことばかりだが、シドが財閥嫌いであることくらいはすぐに理解できた。
* * *
夜になると森の少し開けたところで車を止めて、焚き火を囲んで野営をすることにした。シャルロッテたちはもう車の中で寝静まっている。ジャンがマッドスネークの店で買った『得体の知れない保存食』というのを夕食にした。缶詰の中に青いゼリーが入っているかと思えば、口に含むとカレーの味がするという、作った人の意図がつくづく分からない食べ物だ。シモンはひと口だけ食べると残りは全部ジャンにあげた。
この食べ物を一番嫌がるかと思われたレイは、ぺろりと食べるとさっさと横になって寝てしまった。ジャンも三缶とシモンの分を食べると、すぐにいびきをかいて寝始めていた。
「もう今日はさんざんだわ! ······っ痛い!」
シモンが声をあげると、シモンの左手首の包帯をほどくシドが「悪い、傷の具合を確認するあいだ我慢しててくれ」と言った。
この傷はシモンの不注意からできた傷だった。道に大きくて鮮やかな黄色の花が咲いており、シモンが手を伸ばしたところで手首に痛みが走った。その花の蕾が瞬く間に開き、シモンの手首にかぶりついたのだ。慌てて刀で花を切り落とすと、魔物の口である蕾部分が半開きのまま地面に落ちた。口の中は無数の針のような牙が見えてぞっとしたのを忘れられない。そして何よりも、その様子を見たシャルロッテが「間抜けだな······」と笑いを堪えていたのが悔しくてたまらなかった。
この森は『魔物の森』という名前らしく、魔物らしい魔物はめったにいないが、代わりに動植物に似せた魔物が生息していた。見た目が可愛らしいリスでさえも魔物で、人間を見つけると恐ろしい形相で襲いかかってきたりするのが気味が悪い。これなら魔物らしい魔物の方がずっと良かった。
傷は昼間よりもずっと治ってきている。それほど深いものではなかったので、シドは軽く医術を発動させて薬を塗る程度で終わらせていた。今も傷を確認するだけですぐに包帯を巻き直した。
「ありがとう。なんか、やけに慎重ね。あたしが倒れたときには傷痕ひとつなく全回復させてたじゃない?」
シモンが問うと、シドは真面目な顔をして答えた。
「まあ、鬼との戦いで学んだんだ。一人ひとり完全に治療するのが病院の考えだった。でもよ、実際そんなことしてたら自分の気力があっという間に尽きるだろ。だから俺は、できるだけ気力を温存させるようにすることにした」
「あんたも色々考えることってあるのね、意外だわ」
「意外って······ひでぇな······」
揺れる炎のそばで舞う火の粉が、草木の奥の暗闇にとけて消えた。
「ねぇシド、今日どうして······」
シモンは途中まで言いかけたが、シドが自身の鼻に指を当てているのを見てやめた。シドは近くにあった木の枝を広い、地面に文字を書く。
『アーベルドは恐ろしく耳が良い、今も話を聞いているかもしれない』
シドがなぜそんなことを知っているのだろう。シモンは木の枝を受け取り、シドの書いた文字を消して質問を書く。
『どうしてそんなことを知ってるの? 財閥を嫌う理由は』
それを読んだシドは苦笑いをした。そして文字を書く。
『今は言えない、ジャンにも言ってないことだ』
『今は』ということは、シドはこれから旅をしていく中で言うつもりなのだろう。そのことを悟ったシモンは大きく頷いた。
「最初の見張りは俺がするから、先に寝てていいぜ」
「わかったわ」