28話:休日は調子が狂う
夜がまだ明けない微妙な時間帯に目覚めてしまったシモンだが、しばらく毛布の中でもぞもぞしていた。それも苛立たしくなってきたのか毛布の中から顔を覗かせた。
先程まで暗かった部屋に暁の色が僅かに差し込んでいる。
のそりと小動物のような動作でベッドから下り、カーテンを勢い良く引いて窓を開けた。思わず背筋が伸びるような冷ややかな空気が首筋を吹き抜ける。
────ん〜いい朝!
シモンは天高く背伸びをする。やっぱり、朝はこのくらい冷ややかなのが程よい。
すっかり目が覚めたところでクローゼットを開けて着替えを取り出す。薄紅のいつもの袴だ。
袴は着付けが大変で洋服の方がいいんじゃないかと言われた事がある。でも、洋服は着やすいだけあって引き締め感が全く無く、気が引き締まらないのだ。寝間着は洋服でもいいと思っているので、今はパジャマだ。
パジャマを脱いで肌着の上から袴を着付けていく。すっかり薄紅に身を包み、宿のドレッサーの前に座り髪をといて、最後に桜の花飾りで留めた。
荷物をまとめたりすると後はする事もなくなってしまった。
今日何するかとか特に決めてなかった。シモンは改めて刀の状態を確認したり消耗品が切れてないかを見るが、どれも問題ない。
やらなければならない事は一つだけある。みんなと一緒に旅をしたいと伝えることだ。でも、みんな起きてるだろうか。
行動しないことには始まらない。シモンは相棒の刀を腰に提げると部屋から出た。
長い廊下をパタパタと走るように歩くと、深い藍色をしたロングコートの後ろ姿が見えてきた。
「レイ!」
あたしはレイの後ろ姿に声をかけて足早で近づいていく。レイは立ち止まって「おはよう」と軽く片手を挙げる。その腕にはいつもの機械は装着されていなかったが、手袋をしていたりとそれ以外はいつもと変わらない。
「おはよう、朝早いね。今日はオフなのに格好はいつもと変わらないのね」
「これが一番落ち着くというか。シモンも人の事言えないじゃないか」
レイはあたしの袴姿を見て言う。
「あたしも似たようなものね」
レイの隣を歩く。
「あっ、あのね······言いたいことがあるっていうか······」
「なんだ」
「みんなが揃ったら言いたいっていうか······」
「シドとジャンを呼びに行くか?」
「起きてるかしら?」
「一応行ってみるか」
レイは2人の泊まっている部屋を知っているようで、そのまま迷わずに一階へと下りていく。一階も長い廊下が続いており、幾つものドアがあった。荷物を抱えた冒険者とすれ違う。
『112』と彫られたドアの前に立つと、得体の知れない音が聞こえてきた。
────ゴガァ······ゴガァ······ゴガァ······
「······え? 」
この部屋、魔物でもいるんじゃ?
しばらく呆気にとられていると、中から人の声が聞こえる。
『うるっせぇー! いい加減起きろよおい!』
この声、シド? 何やら怒っているようだ。
────ゴガァ······ゴガァ······ゴガァ······ゴッ!
『うわぁ呼吸止まった!』
────······ゴガァ······ゴガァ······
『 驚かせんな!』
魔物の呻き声のような音の正体が分かった。
ジャンのいびきだ。
その正体にあたしは呆れ果てて溜息が出るが、レイは中の騒動をお構い無しにドアをノックする。
『どうぞ!』
シドが許可するとレイは少しドアを開けた。中には入らずに何かを話し始める。中がどんな様子なのかレイの背中で隠れてよく見えない。
背伸びして覗こうとするが、その試みも無駄に終わる。レイが「片付けろ」だの「歩く踏み場もない」だの言う声が聞こえてくるから相当散らかっているのだろう。
しばらく待っていると、レイが振り返って「悪いが受付で待っててくれないか」と言ったので、あたしは言いつけを守る子供のようにこくりと頷き、ゆっくり廊下を歩き出した。
* * *
「なにこれ美味しい!」
表面に網模様の入ったふかふかの食べ物をかじると、あたしはあまりの美味しさに口元を綻ばせた。
これはメロンパンというらしい。みんなで朝食を食べようということで、店内で食べられるパン屋に来ている。あたしはパンは初めてで何食べようか迷っていたら、何故かレイにしつこくメロンパンを勧められて結局それを注文した。
「メロンパンに外れ無し」
「お前の好物って、もっと渋いもんだと思ってたよ······」
あたしの隣でレイが夢中でメロンパンを食べているところを、レイの目の前に座っているシドが意外そうに言った。
あたしの目の前では、大量のパンを物凄い速さで食べていくジャンがいた。頬をハムスターのように膨らまして破裂しそうな勢いで、人間ハムスターの完成形だ。
「せめて飲み込んでから次食べなさいよ······」
呆れ気味に言うが、ジャンは何やら口をもごもごさせて声を発していて訳が分からないので無視した。
「ってかレイお前! さっきの部屋でのことだが、俺の道具捨てようとすんな! ゴミじゃねぇんだぞ」
「捨てて良かったんだよ、あれはイケナイ薬なんだ!」
パンの山のほとんどを食べ終わったジャンがにやつきながら言うと、シドが反発する。
「ちげぇよ治療薬だ!」
シドは改めてレイに視線を向ける。
「大体分かったんだけど、お前潔癖症だな!?」
「よく言われるからそうかもしれない」
「いつも手袋してるからそうだろうな······」
「錬金術師は機械を扱うから手袋の着用は普通だ」
「な、なるほどな······」
レイの真面目な返答にシドは完全に言葉を詰まらせてしまった。そこであたしは、助け舟という訳ではないが自分の言いたい事を切り出した。
「あっ、あのさ!」
たじたじとした態度のせいで余計に注目の視線を浴びることになった。
「あたし、みんなと旅がしたい······んだけど」
後半消えるような声だったが全員に聞こえたようだ。
「え? シモンって俺らと行動するんじゃなかったのか」
シドはしらばっくれているのか、本当に勘違いしているのか分からない反応をする。
「これからよろしく」
レイが軽く笑いかける。
え? なんか軽くないか。予想してたのと違うような······
あたしは3人の意外な反応に驚きを隠せなかった。ジャンがパンを完食すると、あたしに視線を向ける。
「まあシドがやかましいだろうけど、よろしくね」
「お前のいびきの方がやかましい!」
* * *
ルーイッヒ・中央広場にて。
昨日の鬼騒ぎが嘘のように町の人々はそれぞれで賑わっていた。犬を散歩させる子供。ベンチに腰掛けている老夫婦。半額だとか大声で宣伝するよろず屋。昼間からだらけている若い冒険者の集団。鬼という脅威が消え去ったルーイッヒは平和そのものだった。
「ねぇ、お店のほうに行っていい? 」
「駄目」
ジャンが食べ物の香りのする通りを見てそう言ったので、あたしは即答した。
これからみんなで図書館で調べ物をすることに決まっているのだ。あたしはザンクトの石や暗黒ノ扉などについて。レイは何やら調べたいことがあるようで、それが終わり次第手伝ってくれるようだ。ジャンは少しザンクトの石について知っていたので、一緒に調べてくれるはずだったのだが。
ジャンはどうにも退屈そうな作業に気が向かないようだ。
シドはどうなったかというと。
「俺サリーとデートの約束があるんだ!」とわざとらしく言われ完全に逃げられた。
「シドのやつ······」
あたしは呆れ顔でぼそっと呟く。
「デートってそんなに面白いのかな。俺したことないから分かんないや、シモンはあるの?」
ジャンは足元の石ころをつま先で転がしながら言う。
「あるわけないでしょ」
転がってきた石ころを、あたしも草履でレイの足元へ転がした。
「レイは?」
「ないな」
「ふうん······」
レイの返答に無意識に安心している自分が恥ずかしくなり、転がした石ころを目で追うのをやめた。
涼しげな噴水の音。あたしは建物の隙間に見える低い入道雲をぼんやりと眺める。
楽しそうな高笑いの声も今では煩わしい。
「はぁ······」
「デートが羨ましいの? 」
不意にジャンが聞いてくる。
「は!? 別にそんなんじゃないわよ! 」
「強がりだね、俺は羨ましいけどなぁ」
「違うわよ······」
羨ましくなんかない。たかが男女が仲良く食事をするだけなのだ。それくらいだったらあたしは家の人とやってる。行為そのものに大した意味なんてないのに羨ましがる必要なんてあるだろうか。
「こういうのを非リア組と言うのか」
レイが突然意味の分からない事を言い出した。
「何よそれ、ひりあ? 」
「リア充でない人の事をそう言うらしい」
「りあじゅう? レイ、あなたが何を言っているのかさっぱりだわ」
「りあ獣? あんまり強くなさそうだね」
ジャンが呑気に言う。
「リア充って······あれ、僕は何を言っているんだ」
「まさか、自分で言っててなんなのか分かんないの?」
「ああ、何となく思い出しただけで知らない言葉だ」
「何それ変なの!」
あたしはレイの大真面目な表情に思わず吹き出してしまった。何だか先程まで理屈っぽく考えてた自分が馬鹿らしくなってきたのだ。
笑いが完全に止まってから二人に言う。
「じゃあ、非リア組とやらは図書館へ行きましょ!」