命の神の訪問
そんな会話をしていると、午後の鐘の音が神殿中に鳴り響いたと、同時に近付く気配があった。
その気配でティルザは跪き、神龍達とフェリスは、簡易な敬礼をした。
「リシェア。」
女性とも男性とも、区別の付かない、静かで、程々の高さの声が聞こえた。
声の主は、不思議な姿だった。
緑の肌に、全体が紫色で毛先だけ黒い、肩までの長さの髪、瞳はガラスの様な瞳孔の見えない金。
袖なしの蒼い長衣に、紅い布を肩から掛け、足は全く見えなかった。
背中からは、何やら、白い尻尾の様な物が、見え隠れしていた。両手には、白い羽のような物が生えていて、大きな、虹色の羽毛の耳が、存在を主張していた。
「ナサ、態々来てくれたのか!」
まるで子犬の様にリシェアオーガは、ナサと呼んだ人物に走り寄った。ナサは、申し訳なさそうに、こちらの世界の人々の視線から、逃れようとしていた。
「直に来なければ、伝え難い物だったから…。
リシェア、リーナ、二人とも、体は大丈夫なの?」
大丈夫と答える双子に、ナサは、安心した微笑を浮かべた。
その儚そうな微笑に、カルミラは目を奪われた。何故か、手を差し伸べたい気になる、そんな保護欲を掻きたてる人物に、声を掛ける。
「私は、こちらの世界の大地の神、カルミラと申します。
向こうの神々のお一人と、お見受けしますが、可憐で可愛らしいお方、お名前を是非、お聞かせ願えませんか?」
尋ねられたナサは、彼の言葉に驚き、視線をカルミラに向けた。疑いの視線だったが、カルミラが嘘を言っていない事を見抜いて、素直に答えた。
「御察しの通り、私は向こうの世界の神…命の神、キャナシル・フェー・ルシム・キャナサと申します。…私を可憐だなんて…何の冗談でしょうか?」
嘘を吐いていないと判っていても、キャナサは、尋ねずにいられなかった。
向こうの世界の者以外、今まで自分の事を、そんな風に見た者がいなかったのだ。
「冗談ではありません。
貴方の様に、儚い微笑をされる方が、可憐でないと言えませんよ。」
そう言うと、カルミラは、無意識のうちに手を伸ばし、キャナサを抱き締めた。
「え…?」
「そんな…お辛いお顔をしないで下さい。
命を司る方が、その様に悲しい顔では、こちらも悲しくなってしまいます。」
大地の神の優しい抱擁に、キャナサは小さく答えた。
「有難うございます。カルミラ様は、私を醜いと、思われないのですね。」
「…ナサは、醜く無い!」
「そうよ。ナサは、誰よりも綺麗だわ。」
「二人の言う通りだ。
キャナサ殿は命溢れ、美しいと思うが…。何処が、醜いのだ?」
双子神と、こちらの守護神にも言われ、キャナサは、安堵の微笑を浮かべた。
「キャナサ殿、私に様付けは不要ですよ。同じ神ですから。」
未だキャナサを抱き締めたままで、カルミラが言った。
「カルミラ殿「敬称は抜きで」…カルミラ、ルシェルド殿、ナサで結構です。
こちらも、敬称抜きで御願いします。」
「挨拶が遅れたな。
初めて、御目に掛る。私の名はルシェルド。…私も敬称は無くて良い。
ナサ、カルミラのそれは癖だから、気にしなくて良いと思う。」
「そうですよ、私のは癖です。だから、ナサ殿は、気になさらずに。」
そう言いながらも、キャナサを抱き締めたままのカルミラに、彼女が声を掛けた。
「…あの…カルミラ…、もう、離しては貰えませんか?私は大丈夫なので。」
聞こえたキャナサの声に、カルミラは名残惜しそうに、ゆっくりとその腕を開いた。自由を得たキャナサは、先程とは違う、優しい微笑を浮かべていた。
有難うございますの言葉を添え、カルミラに感謝の一礼をしたキャナサは、リシェアオーガの方に近付き、その両肩に手を掛けた。
「リシェア、無事で良かった。
ジェスが…随分と心配しててね、向こうは大変だったんだよ。
瞳も漸く、元に戻ったんだね。」
「御免、ナサにも色々、心配と迷惑を掛けたみたいで…。」
「リシェアを心配するのは、何時もの事だけど…今回はちょっと…ね。
喪うかもしれないと思ったから…。」
そう言って、キャナサは、リシェアオーガを抱き締めた。リシェアオーガも、素直に体を預けている。
「良かった、ちゃんと、ここにいるんだ。
リシェアは何時でも、私の生み出す命を護ってくれる。
その為に無茶をするから、心配なんだよ。君は私に取って、君が担っている役目以上に大切だから、喪いたくないんだ。判ってる?」
「判ってる。何時もの、護る為の無茶は…心配掛けて御免。
でも今回は、ここの神々の所為だから、存分に償って貰ってる最中だから。」
「カーシェの御説教?…あ、君も暴れたし、御説教をしてたね。
リーナも、珍しく御説教してたし…、御相子かな。でも、本当に無事で良かった。」
恋人同士と言うより、兄弟の抱擁に見える二人に、カルミラは声を掛けた。
「お二人共、仲が宜しいようですね。ナサ殿は、リシェア殿のご兄弟…には見えないのですが、如何の様なご関係なのでしょうか?」
「私とリシェア達は、義兄弟です。
私の妹のファースが、リシェア達の兄のカーシェイクの妻なので。
それを抜きにしても、二人は私にとって、本当の妹や弟同様の存在です。」
「可愛くて仕方がない、と言った感じでしょうか?」
「はい。」
断言するキャナサに、カルミラも同感の意を示した。
「これ程懐かれていると、可愛くて仕方ないでしょうね。
ナサ殿が、少し羨ましいですね。」
心底羨ましそうに言うカルミラへ、キャナサは即答を返す。
「カルミラも、懐かれてますよ。
そうでなければ、態々リシェアが、この世界を護ろうとしませんから。」
リルナリーナからの実況中継(?)で、お説教いう名の、脅迫擬きのリシェアオーガの台詞を、キャナサは知っていた。
リシェアオーガは、己の母が大地の神だからと言う理由で、同じ大地神であるカルミラを無条件で、贔屓したのでは無く、カルミラの為人を見て、この世界を護る事を決めた。それは彼が、ここの大地の神を気に入り、親しい者と認識している事に相違無い。
また、リシェアと言う呼び名を許したのも、その表れだった。
この事を告げられ、カルミラは嬉しいですねと、微笑みながら呟いた。カルミラもまた、リシェアオーガ達を、妹か弟の様に思っていたのだ。
兄弟いないカルミラにとって、年下のここの神々や、年上でも慕ってくれる神々と人々には、保護欲を刺激されていた。
だが、本当の保護下にいるのは、ほんの僅かな者だけ。
その僅かな者の中に、リシェアオーガ達も含まれたのだ。
「…オーガ、リーナ。これ以上、保護者を増やすのか?」
ルシェルドの言葉に、リシェアオーガとリルナリーナはお互いを見つめ合い、何かを感じ取ったらしく、笑い始める。
「保護者を増やすのでは無く、勝手に増えて行くの、間違いだ。
私達に、その意思は無いのでな。」
「リシェアが、無茶をするから。
それを見てる者は、手を差し伸べたくなるんだよ。」
「皆様方、我が君のやんちゃは、治りそうにないので、諦めて貰えませんか?」
ノユの一言で、一同が一斉に笑い出したのは、言うまでも無い。
リシェアオーガは、キャナサの腕の中で身動き出来ず、無言の抗議を行い、その横でにっこりと笑っているルナリーナから、無駄よと、囁かれていた。
笑いが収まった頃、キャナサはリシェアオーガを離し、本題に入った。
「一応、こちらに来たらしい魂を、選出してみた。
巫女は保護出来たから、除外したけど、それでも結構いたよ。」
そう言って、キャナサが、空中に透明な薄い膜を張る。それには、こちらへ来た人間の名が、全て記してあった。ティルザとフェリスの名も存在したが、それ以外にも名が連なっている。
「場所は、こちらの世界の地図を照らし合わせると、詳しい事が判るのだけど…。」
「書庫にでしたら、地図もありますよ。そちらで確認しますか?」
言われて、キャナサは躊躇した。この姿を、こちらの世界の人間の目に晒すのは、気が引けたのだ。
「姿を変えて、行った方が良いかも。」
漏らした呟きに、カルミラが反応した。
「そのままで、宜しいと思いますよ。
堂々と胸を張って、行かれたら良いのですよ。ね、ディエン。」
「カルミラ様のおっしゃる通りです。ここには私の様に、大地の精霊が沢山います。
勿論、人間とも共存出来てますから。」
「…私の姿が、奇異でないと?」
「全然、そう思えませんが…、奇異なのですか?」
ディエンファムに逆に尋ねられ、キャナサは困惑した。ディエンファムに理由を聞くと、帰ってきた返事が、
「ここには、流石に龍はいませんが、獣の体に羽を持つ種や、人間の体に羽や獣の耳、獣の尾を持つ種がいます。彼等は普通に、人間と共存してます。
勿論、お互いを阻害する事もありません。」
だった。向こうの世界との生き物達と、同じと判ったキャナサは、カルミラ達の態度に納得した。
だが、動き難いと言う理由で、両腕から羽を切り離し、背へと移動させ、見えなかったが足も変化させたらしい。
背中に移った羽より、何故か、膨らみの変わった長衣の裾に、視線が集まった。
こちらの世界の者達は、そちらの方を不思議に思ったようだ。
彼等の様子に気付いたキャナサは、理由を述べた。
「鉤爪がある足だと、床を傷つけてしまうので。人の足だと、傷つかないから。」
「裸足なのですか?それでは、ナサ殿の可憐な足が、傷付いてしまいますよ。」
カルミラの言葉に、キャナサは一瞬、驚いたが、微笑を浮かべて対応した。
「私の足が、可憐かどうかは別ですけど、そんな心配は要りません。
ちゃんと、履物を履いていますから。」
そう言って、裾を持ち上げると、サンダルを履いた人間の足が出てきた。
金色の紐で組まれたそれは、少し装飾が施してあり、やや華美な物であった。
ちゃんと可憐ではないですかと言う、カルミラの言葉にキャナサは苦笑し、リシェアオーガはキャナサに、カルミラの賞賛は、何時もの事だから諦めろと、伝えていた。




