新しい紋章
午後になり、デムダに客間に案内された。
通された部屋は、暖かい色彩に溢れていた。極薄い緑の壁紙に、若葉色の絨毯、装飾の余り無い、ベージュの質素な家具が、その部屋には合っていた。
そこにあるソファに座っていたが、暇を持て余したリシェアオーガは、ライナスを呼び、ある事を尋ねた。
「ライナス、少し材料を買いたいのだが、良い店は無いか?」
「材料ですか…、もしかして、新しい紋章を作る為ですか?」
頷くリシェアオーガに、暫し、ライナスが考え込んだ。そして、ある提案をした。
「判りました。私の所の材料を、御分けしましょう。」
「良いのか?で、値段は、幾らになる?」
「リシェアオーガ様の創られる、ルシム・ガラムアのラールウェーリレム・クルーレアで、手を打ちますよ。」
「あれで、良いのか?」
「勿論です。リシェアオーガ様の輝石は、ここでも向こうでも、手に入り難い物ですし、それに私の作る金龍の瞳は、今使っている物では、納得いかないんですよ。あの輝石でなければ、完成しないのです。
勿論、変な輩には、絶対譲りませんがね。」
彼等の会話を聞いた、こちらの世界の住人は、聞きなれない言葉に首を傾げた。
それに気が付いたエルアが、言葉の意味を説明した。
ルシム・ガラムアは神の輝石の事で、向こうの神なら必ず一つは、作れる物だという事。
それは神一人一人で違い、リシェアオーガの場合は二つあり、その一つがラールウェーリレム・クルーレア、即ち、【空を映す水を湛えた水晶】と呼ばれる青い輝石。
まあ、厳密には、水晶に似ているが全く別物で、わりと加工し易い物であったが、硬度もかなりの高い物だった。
因みに、奴等を封じた石も、ラールウェーリレム・クルーレアであった事は、言うまでも無い。自ら作り出した物故、その力を籠め易く、反映し易い。
また作る際に、左程力を使わないで、出来る物でもあった。
補足だが、リシェアオーガの持っている光の竪琴も、ルシム・ガラムアで出来ており、本体の白い輝石・ジェスリム・ラザレア─光の結晶─と飾りの金色の輝石・ジェラムラ・クルーレア─光を閉じ込めた水晶─は、ジェスク神の物である。
エルアがアルフェルトへ説明している間に、リシェアオーガはその青い輝石を、その手の内に出現させていた。【空を映す水を湛えた水晶】と呼ばれるだけに、その色は、何処までも青く澄んでいる。それは、リシェアオーガの瞳の色を、そのまま映した様な物で、青く輝いている様にも見えた。
「綺麗な物だね。まるで、オーガ様の瞳が、そこにあるみたいだ。」
アルフェルトの言葉に、エルアも頷き、
「我が君の瞳は、【空を映す水を湛えた青眼】とも言われる。御自身が作られる輝石の一つも、同じ例えをされる物。…どちらも美しい物だ。」
恍惚とした表情で、リシェアオーガと、その輝石を見つめるエルアに、アルフェルトとティルザが、呆けた顔になった。
それに気付いたエルアは、何だ?と言う顔で、彼等と向き合った。
「…いや…エルアが、そんな恍惚とした顔をするとは…。」
「うん、初めて見た。
…エルアって、オーガ様の事を本当に、尊敬しているんだね。」
「………二人とも、当たり前の事を言うな。
我が君ほど、御美しい方は居られない。…リルナリーナ様は、別だ…。あの方は、我が君・リシェア様と同じだからな。」
陶酔しているエルアに、これは駄目だと、お手上げ状態の二人…。
それを見て、ルシェルドが笑い出した。
ラールウェーリレム・クルーレアを、ライナスに渡したリシェアオーガは、彼等の様子に気付き、如何したと声を掛けた。事の次第を、アルフェルトから聞いたリシェアオーガは、何時もの事だと言ってのけた。
エルアに限らず、神龍は、王に陶酔する傾向があると。
その事を聞いた彼等は、リシェアオーガの、神龍王としての振る舞いを思い出す。威厳だけを振り翳す王で無く、人を想いやれる王故に、余計に好ましくあり、尊敬を集めているのは明かであった。
いざとなると、その隠れている威厳が表立ち、何とも頼もしい王であり、勇敢な王である事は言うまでも無い。
客間のソファの上で胡坐をかき、その上に自分の外套を広げ、リシェアオーガは作業を始めた。
先ずは、ライナスから受け取った材料の、一番大きい物を三等分にする。
何時もの様に、素手で金色の鉱石を割って行く様子に、アルフェルトとルシェルドが不思議そうに見入っていた。
「あれって、そんなに簡単に、割れる物なの?」
「人間では、無理でしょう。…神々だからこそ、出来る技ですよ、アルフェルト様。」
先程のお茶の時、挨拶を交わした彼等は、リシェアオーガの作業に、話の花を咲かせ始めるが、アルフェルトは呼び名を、愛称にして欲しいという要望を告げる。
「アルフと呼んで下さい。ライナスさん。」
「…じゃあ、アル様。
私の方もライナスと呼び捨てか、ティルザの様に親っさんで良いですよ。」
アルフと愛称を名乗ったが、アルと返され、彼は微笑んだ。
あのアルフィートを知っている、御仁と気付き、リシェアオーガと同じ事を告げるライナスに、好感が持てたようだ。
その間にも、リシェアオーガの作業は進んで行く。三等分した鉱石を一つ、右手に取り、暫く考え込んだ後、それに空いている左手を翳す。
「ライナス、何時も、オーガ様の作業は、道具を使わないの?」
「私もリシェアオーガ様の作業は、初めて見ますが、他の神の作業は、見た事があります。あの方々は道具ではなく、自らの力を使って、物を作られます。
恐らく、リシェアオーガ様も同じでしょう。ほら、形が変わってきましたよ。」
オーガの手にあった、手のひらより少し小さいサイズの一塊が、徐々に形を変えて来た。金色のそれは、鉱石特有のゴツゴツした表面が、滑らかになり、大きさの違う二つの塊に分かれた。
小さい一つを膝に置き、残った一つに再び力を込める。
すると、それは六角形の盾の形になり、その表面に六角形の底辺に沿って、周りを囲む剣が6本と2本、中心には神の華、その傍には金色の光龍が、花々を守るように体で囲み、寄り添っていた。
剣の色はそれぞれ違い、重なっている物が金と黒、虹色と白黒、別々に配置されているのが、紅、青、緑、銀となっていて、それぞれが光、闇、空、炎、水、大地、時の神剣を顕し、今は黄金の光龍は勿論、神龍王を、神の華の群生は聖地を顕す…。
そう、ルシフの紋章を、リシェアオーガは作ったのだ。同じ物を、もう一方の小さい方でも作った。外套の留め具と、肩の紋章…ティルザに渡す物を作ったのだ。
残りの鉱石でも、同じ事を繰り返した。
こちらは丸い形で、中心に山々と森、平原に咲く花々…百合と神の華に似た物を透かし彫りで描き、それを黄金の龍が、護る様に丸く囲んでいた。
「取りあえず、こんなものか…。」
全部で、6個作り終えたオーガは、注目されていた事に気が付いた。作業中は、それに集中する為、周りの事に気が行かない。
それを知っているエルアは、ティルザと共に周りを警戒していた。
普段なら、最も安全な聖地や、神の住まいで行われる物を、退屈凌ぎで、安全が確実で無い場所で行われた。
エルアとティルザがいるからこそ、行った行為だった。それが判っている故、彼等も、主の意向に沿った行動をしたのだ。
「我が君、作業は終了ですか?」
警戒を解きながら、エルアとティルザが、リシェアオーガの許に近寄って来た。
「ああ、終わった。エルア、ティルザ、御苦労だった。
私の我儘に付き合させて、済まない。」
「我が君…それは我儘とは、言えません。
まあ、無謀ではありましたが、我等が居たから、行ったのでしょう?」
エルアの言葉に、頷くリシェアオーガは、近寄って来たティルザに紋章を見せた。
「まだ、七神の輝石が入っていないから、完全とは言えない。後は帰ってからの作業となるが…取り敢えず、持っていてくれ。」
そう言ってティルザに、ルシフの紋章を渡した。
見覚えのある紋章をティルザは、懐かしそうな目で見ていた。
元主である姫が持っていた、ブローチ…ルシフの土産物で、輝石では無く宝石で飾られたそれと、同じ形の物が今、ティルザの手にある。
ルシフ王に仕える騎士としての紋章…宝石では無く、輝石が填まる予定の品は、紛れも無く彼の物であった。
「こっちは、ルシェルドの方だ。
私の輝石は嵌めているが、リーナの物がないから、未完成だ。アルのはこれだ。輝石の代わりに、此処で取れる、青い石と薄い桜色の石を填めている。
聖騎士はこれから増えるから、手に入り易い石の方が良いだろう。」
確かにルシェルドの方は、百合の処に桜色の石が無かったが、青い石は龍の瞳で輝いていた。紋章の出来に、ライナスは感嘆していた。自分の腕では、到底及ばない出来だったが、十分手本にはなる物であった。
リシェアオーガの作業に時間が掛り、弟子達が返ってくる頃になっていた。
アルフェルトは、新しい紋章を付け、仮の紋章をリシェアオーガに返そうとしたが、彼が祝福した記念に取っておくよう、言い渡していた。
鎌首を上げ、蜷局を巻く黄金と菁銀の光龍は、リシェアオーガそのもの。その為、祝福した者にリシェアオーガが気まぐれで贈る、純輝石製の品物でもあった。
「我が世界へ、ルシェルド抜きで、来る際に着ければいい。
そうすれば、例え、ルシフと離れた場所に出ても、ルシフに必ず来れる。他の神龍や精霊、神官達に尋ねる時に、良い目印になるからな。」
そう言ってリシェアオーガは、返品を受け付けなかった。
後々、アルフェルトがその効果に、お世話になった事は言うまでも無い。
※補足ですが、七神の神剣なのに、何故一本数が多いのかと言うと、一人だけ、双剣使いの神がいるからです。




