大地の女神の来訪
庭園に、緩やかな風が流れる時間、優しい気配が訪れた。腰までの長さの翡翠色の髪を、風に弄ばせながら、ゆっくりと、彼等の方に歩みを進める女性…。
その優しげな瞳は紫水晶を思わせ、リルナリーナが着ている服と同じ形の、淡い緑で、裾に蔓を伴った葡萄の様な果実の模様を、袖と襟に白い菊の様な花をあしらった物を身に纏う彼女は、微笑を湛えながら、カルミラの前に到着した。
「初めまして、私を同じ大地の方。
私は、リューシリア・ルシム・リュースと申します。我が子が、お世話になりました。…と、夫が、ご迷惑をお掛けしました。」
「初めまして、向こうの世界の大地の方。私は、カルミラと申します。
リシェア殿にはこちらの方こそ、お世話になってますよ。…ジェスク殿の事なら、こちらに非がありますので、仕方ないの事です。」
挨拶を交わし合う大地の神々の穏やかさに、咲き誇る花々は、嬉しそうにその身を揺らしている様に見える。
カルミラは、ディエンファムを紹介し、リュースも大地の精霊騎士へ微笑を掛けていた。彼女の視野に、リシェアオーガとルシェルドが映ると、そちらへ移動をする。
「初めまして、夫から、守護神を命ぜられた方。私は、リシェアオーガ達の母親であり、大地の神のリュースと申します。…御免なさいね。
我が子達を想ってくれているのに、あの子達に、返す感情がないなんて…。あの子達ったら、その感情を私の中に置いたままで、生まれてしまったらしいの。」
思わぬ謝罪を受けたルシェルドは、微笑みながら、それを否定した。
「初めて、御目に掛ります、オーガとリーナ、カーシェイク殿の御母君殿。
私はルシェルドと申します。…母君殿、謝る事はありません。
寧ろ、私は感謝しています。彼女等を生んでくれて、有難うございます。彼女達に会えただけでも、私には喜びです。」
「でもね…ルシェルドさん、私的には、二人の子供が…孫が見たかったのよ。
だけど、二人とも、嫁や婿は要らないって、言うものだから。」
「母上、いい加減、諦めて下さい。孫なら、兄上の処にいるでしょう。」
「そうですよ、お母様。
私達は、お互いが必要で、お互いが想い合っているのですから。」
「…リーナ、それは、ちょっと違うわよ。
まあ、確かに孫はいますけど、貴女達のって、いうのが前提です。
…諦めなくては、駄目?」
駄目ですと両方から言われ、悲しそうな顔をする母親へ、リシェアオーガが、納得の行く言葉を投げ掛けた。
「では、母上、私達が母上と父上の許から、去った方が良いのですか?
婚姻を結ぶと言うのは、そういう事ですよ。」
「駄目、駄目、それだけは絶対駄目……あ…。」
「そういう事で、諦めて下さい。」
きっぱりと、言い切るリシェアオーガに、リュースは完敗した。自分の許から、2人が離れる事を、この母は一番嫌がる。それを逆手に利用して、諦めさせるのが、リシェアオーガ達の何時もの手だった。
まあ…何故か、嫁を貰うという選択肢を、完全に忘れている母も母であったが…。
ティルザ、フェリス、アルフェルトの、三人の紹介も終わり、向こうの世界の、神々を交えてのお茶会は、始まりを告げる。
周りで咲き誇る花々にリュースは喜び、色々とカルミラに、質問と話をしていた。同じ大地の神故に、気が合ったらしく、話が弾んでいる。
ふと、リュースが目を留めた白い花を、カルミラが説明をした。
「この花弁の多い、可憐で小さな白い花は、月光花と言って、月の光を反射して輝くのですよ。」
「まあ、ルシム・ファリアルじゃあないのね。」
「ルシム・ファリアルですか?向こうでも、似た花がお有りで?」
「ええ、ルシム・ファリアル…神聖語で神の華と呼ばれる物で、この花と色と形は同じですけど、日が陰ると自ら、淡く光るのです。
しかも、あの花は、聖地にしか咲かない花で、万能薬になるもの。
向こうの世界では、珍しい花ですわ。」
「月光花は、一角獣がいる所にしか、咲かない花です。…似ていると言えば、似ているの言えるのでしょうが、これに薬効はないのですよ。」
残念そうに言う、カルミラに、リュースが提案した。
「もし、良ければ、ルシム・ファリアルを、ここに植えてみるのは…駄目ですか?
此方であの花が、そのまま育つのか、知りたいですし、もしかしたら今あるこの花が、あの花と同じなのかもしれませんから。」
その提案に快くカルミラは頷き、お茶会が終ったら、植える場所を作ると告げる。
カルミラの言葉を聞いたリュースは、辺りを見回し、この花が咲く一角が、空き地になっている事に気が付く。
「あそこには、何故、花がないのですか?」
言われたカルミラが、その方向を見ると、納得した様にああと声を出した。
「あそこは、前の花が散った後で、これから新たに植える場所ですよ。
…あそこなら比較し易くて、丁度良さそうですね。」
場所が決まった事で、再び他愛の無い話を始めた、両大地の神々であった。
和やかな雰囲気のまま、お茶会は終わり、例の場所へと彼等は向かった。
この庭に、一角だけ開いたままの場所に着いたリュースは、跪き、花壇の土の様子を見ていた。
「大丈夫そうですか?」
カルミラの問いに、ええと笑顔で頷くリュースは、その場で花壇の中に花を一輪、出現させる。それには、こちらの世界の人々が驚く。
驚かれた本人は、彼等の反応を見て、面白いとばかりに、クスクスと笑っていた。
「そんなに驚かれる事では、ありませんわ。
これは、私が創った花ですから、何処にでも生やす事が出来るのですよ。
…えっ?」
話が終わる前に、花壇の中の一輪だった花が、一瞬でその花壇内に広がり、一斉に咲き誇る。あらまあと、呟くリュースに、リルナリーナが尋ねる。
「お母様、何かしたの?」
「いいえ、全然。
だけど…此処には、大地の気が溢れているから、その所為でしょう。土も、この花との相性が、良いみたいね。」
そう言ってリュースは、ノユに振り返る。
「ノユ、お願いがあるの。至急、ファーを呼んで来て頂戴。
書庫は、そうね…ナサ、お願い出来るかしら?あの子は、ナサにも頭が上がらないから、ナサが書庫の番をしていても大丈夫よ。」
「判りました、リュー。暫く、ファーと交代しましょう。」
「承知しました。さあ、キャナサ様、急ぎましょう。」
言うのが早いか、ノユとキャナサは姿を消した。
これにも、ここの世界の住人は、驚く。ノユは大地の精霊と同じだから、大地の上なら、何処へでも行けると、リュースが説明する。
他の神龍も、同じ事が出来ると付足す。
自分は無理だと、言うリシェアオーガに、リュースは補足した。
「リシェア…それは、当たり前でしょう。貴方は神龍の王の前に、私達の子供で、神々の一人ですよ。他の精霊達の様にはいきません。
それに、将である以上、無闇にあちこちへ行かれても困ります。だから、貴方は目的が定まらないと、飛べなくなっているのですよ。」
「母上、それは十分承知しています。
ですが、私としては、神龍達の手を煩わせたくないだけで…。」
「我が君、我等の仕事を取らないで下さい。
運搬とは言え、我が君の手伝いが出来るだけでも、我等は嬉しいのですから。」
リュースとエルアの正論に、リシェアオーガは納得して、エルアに謝罪をした。
「済まない、エルア。私の我儘だ。」
「いいえ、我が君の其れは、我儘には入りませんよ。我等としては、もう少し、我儘を言って貰いたい位ですから。」
そんな遣り取りが行われている中、ノユがファースを連れて来た。
「御義母さま、お呼びと伺ったのですが、ご用は何ですか?」
彼女の姿を見つけたリュースは、花壇に咲いている花々を示した。
「急に呼んで、御免なさいね、ファー。
今、此処にね、ルシム・ファリアルを植えてみたのだけど…向こうのと違うか、如何か、調べて欲しいのよ。」
リュースの示した花壇を見て、ファースは驚いた。周りに咲く似た花では無い、本物のルシム・ファリアルが、花壇から溢れんばかりに、咲き乱れていたのだ。
「別に構いませんが…
御義母さま…何時の間に…こんな沢山、植えたのですか?」
「今、一株だけ、植えたばかりよ。
こことの相性が良いらしくて、一瞬で、こうなってしまったの。」
困惑気味に答えるリュースに、納得したファースは、花壇の一輪を手折った。彼女の手の中のそれは、仄かに光を発して、向こうの世界の物と変わりが無かった。
ファースは、じっとそれを見つめ、一つ溜息を吐く。
「向こうの物と、性質、薬効共に変わりがありません。敢えて変わっている点を挙げるなら、成長速度でしょうか?」
「成長速度が…違うのですか?」
思わず声を掛けたカルミラに、はい、そうですと、ファースは答えた。
「普通この花は、この様に群生する為には、最低でも1・2日掛ります。
これより広い場所だと、その分時間が掛りますが、それを一瞬で成してしまうなんて…ありえません。土との相性が、良過ぎるのでしょう。
ここは…大地の気に満ちているから…かも…。」
仕事用の口調になっているファースは、言葉の最後に、憶測を口にしていた。
そうかもねと、リュースも付け加える。
「…異常な成長速度であれば、他の花々も、駆逐される問題が出てきますね。
リュース殿、この花は、風で種や花粉を飛ばす、繁殖方法をするのですか?」
「いいえ、この花は植えられた姿のまま、永遠に咲き続ける物です。
手折られば、そこから新しく花を咲かせ、他の場所に移す時は苗として、一株を移せば根付きます。只、特殊な条件が揃わなければ、根付かないので、そう簡単に増えないのですよ。」
リュースの返答で、安心したカルミラであったが、万能薬と言う点で、ふと疑問が浮かび、それを彼女に尋ねる。
「そうですか…ならば、一安心ですが、手折る際の条件とか、ありますか?」
カルミラの質問に、ええと言って頷き、リュースが説明を続けた。
「この花は神々でないと、手折れません。
一部人間や精霊も手折れますが、条件が付きます。試しにカルミラさん、手折ってみて下さい。」
言われて、手を伸ばすと、いとも簡単に、花はその手の中に納まった。次に、アルフェルトとディエンファム、フェリスに手折る様指示した。
が、誰一人とて、手折れる者がいなかった。それを見て、カルミラとルシェルドが驚いたが、リュースの指示に更に驚く事となる。
「リシェア、彼等に手折る事を許可して。」
「判りました、母上。では、アルフェルト、ディエンファム、フェリス、
そなた達に、ルシム・ファリアルを手折る事を、許可する。」
その声に頷き、まずはディエンファムが行動を起こすが、その手に花は無い。
アルフェルトも同じ結果だったが、フェリスだけは、ルシム・ファリアルを手に出来た。この結果に、リュースは満足して、カルミラに説明を続ける。
「今、お見せした様に、ルシム・ファリアルは、誰でも簡単に、手折る事が出来る花ではないのです。
神々と、神々の許可を得た神官だけが、その手に出来る花なのですよ。只、神官の場合、神々に仕える者と、唯一の神に仕える者では、違いがありますが。」
「違いですか?」
「ええ、条件に違いがありますわ。
神々に仕える神官は、どの神の許可でも、手折る事が出来ますが、唯一の神に仕える者は、先程の様に仕える神の許可でしか、手にする事が出来ないのです。
此処の場合、殆どが唯一の神に仕える神官の様ですから、仕える神の許可がないと、手折れないと思いますよ。」
それを聞いて、安心したカルミラは、感嘆の声をも漏らした。
「不思議な花ですね…。」
「これも神の御業と言う方が、いらっしゃいますけど、単に私が、悪用されない為に条件付けただけですよ。
万能薬と言うだけで、乱獲され、その姿を消す物がありますから、それの予防でもあるのです。」
説明を終えたリュースは、時間を確認した。
「あら?もう、こんな時間だわ。カルミラさん、ルシェルドさん、楽しかったですわ。
機会があったら、またお茶をしましょうね。それと…リシェア。」
「何ですか?母上。」
「あまり無茶をして、カルミラさんとルシェルドさんに、心配を掛けては駄目よ。
判ったわね。」
「判りました。母上、私が帰るまで、祭りの事を宜しく頼みます。」
別れ際の挨拶をしながら、リュースは、我が子をその腕に抱き締めた。
自分より、少しだけ背の低い我が子ではあったが、何時まで経っても、幼い子供の様に扱っている。リシェアオーガも慣れたもので、何時もの様に受け答えし、心配を御掛けして申し訳無いと、謝罪をしていた。
それを笑顔で受け取り、リュースは向こうの世界に帰って行った。