才能とは
才能とは何か。
才能がある、才能が無い、等という話は古今東西どこでも話したり聞いたりするだろう。
だからと言って、では『才能とは何か』と聞かれたとして、直ぐに答えられる方は少ないのではないだろうか。
結論から書いてしまうと、才能とは道の先を見ることが出来る能力のことだ。
道の先というのは、何をどうすれば腕を向上させることが出来るのか、優れた作品を作れるのか、表現することができるのか、そういったことが漠然とであったり鮮明とであったりと差異はあれど、自らが進むべき道標の事だ。
見え方がそのまま才能の差と受け取って貰って構いません。細かな条件やシチュエーションで異なることはあるだろうが。
つまり、今こういう事をすることによって技術の向上が図れる、これをすることで感性や感覚を磨くことが出来る等が、誰に教わることなく本能のようなもので感じとることが出来る人物が、才能があると言うことが出来る。
例としてはレオナルド・ダ・ヴィンチの絵の才能が解りやすい。
ダ・ヴィンチは優れた人物画を描くためには、観察だけでは不十分だと気が付いたため、解剖をおこない骨格や筋肉、臓器や血管の位置や構造を調べ、それを活かした人物画を描くことにした。
今までの説明に当てはめると、絵画、人物画においてどうしたら『優れた作品を作れるのか、表現することができるのか』と思案したダ・ヴィンチは解剖することによって人体をより美しく描くことが出来るだろうと『誰に教わることなく』答えに辿り着くことが出来た。
現代ですら人物画を描くにあたって、解剖し、視て実際に触って手触りや弾力匂いを感じ取れることまでしている画家はあまりいないのではないだろうか。それが優れた人物画を描くことに欠かせない絶対条件だと判ってすらいないのだろう。
ダ・ヴィンチほどの技術と才能が有るにも関わらず解剖しなければ描けなかったのに、それ以下の画家が解剖せずに優れた人物画が描けるわけがないのは当然だ。
人体解剖図等の資料を参考にしている方は多いだろうが、普通は『そこまでやる必要は無い』、『あの時代他に資料がなかったからだ』と何かにつけて言い訳にしているのだ。
しかし資料だけで温かみのある血の通った人物画が描けるわけがない。
かといって解剖なんておいそれとはできないだろう。女性画が描きたい。となったときどうすればいいか。
視るだけではなく触って確かめるのがいいのではないだろうか。全身をくまなく触ってみたりするのはどうだ。許可をもらってだ。
大切だ。
よし、山を下りよう。
優れた作品とは何か、などは今はまだ早い。次は天才とは何かについて語ることにしよう。