9話
ゆかりの視界は依然流れ続けていた。
周りの状況を判断できないほどに早い。
でも、ゆかりは気づいた。
ゆかりは聞こえた気がした。彼の言葉を
「.....見つけた」
顔を上げる、流れ続ける視界の中で彼だけは鮮明に見えていた。
月光を背負い、淡い光を纏っている彼を見た。
とても美しくて、幻想的で
まるで神様が現れたかのような。そんな光景だった。
ゆかりは景色がわからない。
ここがどこかもわからない。
でも、ゆかりは10年想い続けた。
考えない日など1日たりともなかった。
だからこそ。ゆかりは彼だけは見逃さない。
恐怖の涙が安堵の涙に塗り変わる。
来てくれた。来てくれた!マサオミ様!!
誘拐犯の焦りは頂点に達していた。
来やがった!追いついてきやがった!ふざけんな!こっちは法術で強化してるんだぞ!なんでお前が俺に追いつけるんだよ!この化け物が!!
誘拐犯はマサオミから逃げ切ることはできないと悟り、マサオミの方へ振り返る。
そして担いでいたゆかりを正面に持ってきて、ナイフを喉元に押し当てる。
「止まれ!この女を殺すぞ!」
ゆかりの喉からヒュッとした音が漏れる。
初めての身近な死。
戦闘経験のないゆかりは初めて味わうナイフの冷たさに恐怖を覚える。
しかし、先ほどよりではなかった。ゆかりはマサオミを信じていた。
マサオミの足が急停止する。
表情は変わらない。焦った様子もない。しかし足を止められた。誘拐犯は、これは有用な手段だと判断する。
「そう。そうだ。そのまま動くなよ!」
「マサオミ様!!この人は...ッ!」
ゆかりの喉元から少し血が流れる。
「うるせぇ!お前は黙ってろ!!」
マサオミは気づいていた。コイツはゆかりを殺すことはできないと
なぜならゆかりが死んだ瞬間自分が死ぬことが確定するから
そして、コイツの目的はゆかりの誘拐であって殺害ではない。殺すだけならとっくに終わっている筈だから。
「...........」
それでもマサオミは動けない。
ゆかりが死ぬ可能性が1%でもある内は、マサオミは動くことができない。
「そのまま動くなよ!」
誘拐犯は法力を練り始めた。
ここを切り抜けるためにはあの化け物を殺すしかない!
緻密に、繊細に法力を練る。より純度の高い法力をナイフを押し当てている手に集めていく。
ゆかりは自分に押し当てられているナイフに何かが集まっていることを感じていた。
「な、何をしているのです!」
「だからうるせぇよ!」
ゆっくりゆっくり練っていく。幸いあの化け物は動こうとしない。
準備はできた。
喉元に押し当てていたナイフの切先をマサオミに向ける。
「おい!避けたらすぐにこの女ぶっ殺すからな!」
「なっ....!」
「死ね!!!法術『雷霆万鈞』!!」
落雷の様な轟音と共に、質量を宿した極光がマサオミに迫る。
「マサオミ様!!」
極光がマサオミを飲み込んだ。
誘拐犯はダメ押しというかの様に手に持ったナイフを投擲
「起爆!!」
瞬間、ナイフが大爆発を起こした。
それを見たゆかりは暴れ始める。
「いや!いや!マサオミ様!マサオミ様!」
やだやだやだやだ。マサオミ様が!マサオミ様が!
「大人しくしろ!法術『苦痛の電撃』!」
ゆかりに電流が流れ込む。ゆかりの口から声が出なくなる。
体に力も入らない。
ゆかりの安堵が崩れていく。愛おしい人の死を間近で見てしまった。
死んでしまったの?
私がいたから...?私に抗う力がないから....?
マサオミ様が........
やだ.....いやです.......やっと...やっと........
そんな事を考えている内に、また担がれてしまった。
マサオミ様がいないのなら.....もう生きていても......
抵抗する気力も削れて行く。
再度視界が加速する。今度は一切の抵抗がなくなっていた。
誘拐犯は歓喜した。
成功した!成功した!乗り切った!切り抜けた!あの化け物を殺せた!
あんな簡単な手に引っかかるなんて!
前線もこんなもんかよ!
油断
油断とは、倒せたと確信した時にこそ起こるもの。
ゆかりはマサオミが死んでしまったと考えてしまった。あんな爆発に耐えられるわけがないと、常識で考えてしまった。
誘拐犯はマサオミはもう死んでいると考えてしまった。自分の最高火力。それもあんなにたっぷりと時間を使って練った法術。貴重な爆発の刻印の刻んだナイフも犠牲にした。あの攻撃を耐えられる人間など存在しない。そう常識で考えてしまった。
だが彼らは知らない。
不屈の撃滅。その不屈の意味を
人類の最終防衛ライン。その戦い方を
彼らは知らない。常識を超越した者こそ"英雄"と呼ばれることを
故に油断した。勝ちを確信してしまった。
誘拐犯は、普段であれば気づけただろう。マサオミの纏っている法力が霧散していないことに
でも気づけなかった。
だからこれは必然だった。
彼は勝ちを確信するのではなく、追撃するべきだったのだ。マサオミが塵になるのを確認するべきだったのだ。
それを怠った。慢心した。油断した。
だから1%とない勝算が崩れ落ちた。
故に彼は負ける。
敗因は、前線帰りの英雄を軽く見過ぎたことである。
◇
極光と爆発の中、マサオミは隙をうかがっていた。
今現在飛び出すわけにはいかない。ゆかりが危ない。
そして気づく、誘拐犯の油断に
背を向けて走り出した誘拐犯を確認した後、すぐさま燃え盛る炎の中から飛び出した。
誘拐犯に一瞬で追いついたマサオミは、下を向いているゆかりの服の襟首を掴んだ。
そのままゆかりを自分の方へ引き寄せ、空いた足で誘拐犯の背中を蹴り飛ばす。
そして、宙に浮いたゆかりを優しく抱きとめた。
「グアっ!!」
バゴンと鈍い音が響き、誘拐犯がぶっ飛んで行く。木を4、5本薙ぎ倒した後に誘拐犯は地面に着地した。
「はぁ!?なんで死んでねぇんだよ!!」
「あんなので死ぬわけないだろ」
ゆかりの沈んでいた思考が動き始める。
声が聞こえた。彼の声が
バッと顔を上げる。
「マサオミ....様?」
「ああ」
なんで?死んだんじゃ.....あの爆発に耐えられるわけが......
マサオミはゆかりを下ろし、ある魔導書を呼び出した。
「召喚。魔導書『精霊の揺籠』、起動」
ゆかりを半透明なドームが包む。
温かい。そしてゆかりはマサオミを見た。
マサオミの上半身は剥き出しになっていて、煙が上がっている。
皮膚が焦げていて黒い。
体のところどころから血を流していた。
でもなぜか、大きな怪我は一つもない。
まるで何かで無理矢理直したかのような、動くのに問題が生じないようにしただけのような。
ゆかりはその体に息を呑んだが、少し安堵した。
マサオミ様が生きていた。よかった...
「....マサオミ様....生きて.....」
マサオミの手にあった魔導書が灰になる。
「話は後だ。ここにいろ」
それだけ言って、ゆかりから目を離し誘拐犯の方向を向く。
背中のグレートソードを抜いた。
圧が膨れ上がる。空気が重くなる。
可視化された殺気が濁流のように襲いかかる。
誘拐犯の目には死がいた。
誰が勝てるんだよ。あんな化け物に.......ふざけんな.....
諦めかけ、崩れ落ちそうな足に力を入れる。そして真正面から睨みつけた。
「ふざけんな!!法術『雷玉』、『雷槍』!!」
バチバチとしている球体が5つ。彼の目の前にギュリュリュリュリュと高速で回転する雷の槍が1つ出現した。
誘拐犯は逃げながら法術を打ち出す。
マサオミに雷玉が飛翔する。それを確認したマサオミは駆け出した。
思わずゆかりは叫んでしまう。
「マサオミ様!危ないです!!」
避けてください!このままじゃマサオミ様が!
マサオミはその声を無視して、最短最速で誘拐犯に向かう
バンッ!バンッ!バンッ!バンッ!バンッ!
5つの雷玉がマサオミに直撃する。
大爆発が起き、砂塵が舞い上がる。
マサオミの姿が見えなくなった。
ゆかりは思う。
何故避けてくれないのですか....?
「馬鹿じゃねぇの!!なんでよけ.....はぁ!?」
マサオミは、砂塵を突き抜けるように突破した。
雷玉が直撃した筈のマサオミの速度が一切落ちない。
当たってないのか?どうやって防いだ?
いや、当たっている。確実に直撃した。手応えがあった。ならなぜ!
マサオミの体には、少なくない火傷の跡があった。
やはり当たっている!さっきの攻撃も全部!ならなんで死んでない!!
傷はついている!でも少なすぎる!なぜ!!!
まだ回転がたんねぇが仕方ねぇ!
「発射!!」
雷槍が回転を維持したまま一直線に飛翔する。
速度だけならば、先ほどの極光に勝るとも劣らない。彼の奥の手の一つだった。
雷槍はマサオミに着弾、そして貫通した。
「マサオミ様!!!」
ゆかりが悲痛な声で叫ぶ。
マサオミの胸部には、決して小さくない風穴が空いている。誘拐犯から見て、その穴から向こう側が覗けてしまう。
「今度こそ死ねよ!」
あり得ないものを見た。
ゆかりは目を見開き、口元に手を当てる。
「なん....ですか....?それ....」
風穴がどんどん塞がっていく。しかし、完璧には治りきらない。動くのに支障がない程度しか再生していない。
マサオミの速度がまだ落ちない。それどころか加速している。まるで何事となかったかのようにこちらに向かってくる。
やばいやばいやばいやばい!
「なんだよそれ!!ふざけんな!!!」
やはり攻撃は全部当たっていた!そもそも避けるつもりもない!!被弾前提で突撃してやがる!!
なんでスピードを緩めない!なんで避けない!そもそもその中途半端な再生はなんだ!!
わからない。わからない。わからない!
なんなんだよ!お前は!!!
思考の海に飲まれる。それは戦闘中において、致命的な隙となる。
「......ッ!」
気づいた時には、化け物がグレートソードを横凪に振るっているところだった。
「この!化け....」
首が宙を舞う。視界が天を向いていた。
最後に見た景色は、能面のような仏頂面だった。
ゆかりは彼の戦いの全てを見た。目に焼き付けるように。真っ直ぐと
時間にしてみれば短い時間だった。
それでもゆかりは気がついた。気がついてしまった。それほど苛烈な光景だったから。ゆかりは戦う者ではない。それでもわかることはある。
マサオミは誰かを守るために攻撃を避けないんじゃない。避ける必要がないと考えていることに。
ずっとマサオミだけを見てきたゆかりだからこそ気がつけた。
攻撃が被弾した時、ほんの少しだけ眉が動いていた。痛みを感じていないわけではないことに
ゆかりの瞳から涙が溢れて止まらない。
温かい揺籠の中にいるはずなのに、痛くてたまらない。
マサオミが傷だらけのままゆっくりと近づいてくる。ゆかりを覆うドームが解除された。
「なぜ泣いている。」
「.....わからないのですか?」
「ああ」
マサオミは顎に手を触れ下を向き、少し考える素振りを見せる。そしてなにか納得したように顔を上げた。
手のひらを広げ、前に出す。その手は火傷でいっぱいだった。
「召喚。魔導書『癒しの息吹』、起動」
ゆかりを淡い光が包み込み、喉元の切り傷が消える。
その行為にゆかりは胸が締め付けられる。
傷を治す術があるなら何故自分に使わないのです?マサオミ様の方が何倍も傷ついているのに......
「これで痛くないか?」
優しい瞳をしていた。誰よりも優しい目。
そして優しさしか無い目。
その優しさはマサオミ本人には向いていない。
いえ.....いえ!そんなことありません!彼はうっかりしているだけです!怪我も私を心配するあまり、後回しにしただけ!そう...そうです!
そう....なんです.......
ゆかりは自分でも、苦しい言い訳をしていると、現実から目を逸らしていると気がついていた。
マサオミが両手を広げながら近づいてくる。
その表情は、仏頂面ではあるが、少し柔らかい気もする。
抱きしめてくれるのでしょうか?
もしそうなら、それほど嬉しいことはありません。早く....早くきて?
寂しい。胸が痛い。涙が止まらない。慰めてほしい。違うと教えてほしい。嘘でもいいから抱きしめて.....
ピタッとマサオミに動きが止まる。
冷や汗をかき始めた。誘拐犯と戦っていた時には汗一つ流さなかったマサオミが冷や汗をかいていた。
するとマサオミの瞳から優しさすら見えなくなった。
......え?なんで?なんでですか?なんで抱きしめてくれないのですか......?
なんでそんな顔を.......
マサオミの顔は変わらず仏頂面。でもどこか辛そうで、悲しそうに見える。
手のひらを下ろしてしまった。
「行くぞ」
彼はそう言ってから、一度も振り返らなかった。
ゆかりは確信した。もう、見ない振りなんて出来なくなっていた。
マサオミの行動原理、瞳に優しさしか残っていない理由、昔と比べてわかりづらくなった表情や淡白な返答など、その全てが別れてからの10年に答えがあると
私は彼の過去を知らなくてはならない。と
知らなくては先に進めないのだと
そう理解した。
全ては、9年前の"北島家壊滅"にある。
ゆかりはそんな気がした。
◇
マサオミは困惑していた。
何故ゆかりは泣いている?傷は治した。痛いところなどないはずだ。
なぜだ?わからん。
それよりも、ゆかりが無事でよかった。
ゆっくりとゆかりとの距離を縮める。手を広げて近づいていく。
マサオミは無意識だった。無意識に行動していた。
ゆかりを抱きしめようとした。
視界に手が映る。
フラッシュバックする。
___いやぁ!!...ごめんなさい!..たすけて!許してください!!
___来るな!くるなぁ!!化け物が!!
___い、家に!家に妻が!娘がいるんだ!だからたすけ.......
手が赤く染まったように見える。何よりも穢れている。悲鳴が聞こえる。
怪物が囁いた。
"お前は救われてはならん"
ああ、そうだな。わかっているよ。
俺の掌は汚い。醜い。
そんな掌で俺は何を......
ゆかりに何をしようとした?
抱きしめる?なにをやっている。許されていいわけがないだろう。
マサオミはゆっくりと手を下ろし、涙で濡れるゆかりを見てこう言った。
「行くぞ」
マサオミはゆかりに背を向けて歩き始めた。




