春の帽子
後書きに挿し絵があります
トパーズの帽子屋は、辺鄙な町角にあるにも関わらず、ほどほどに繁盛している。奇抜ではあるが、特注すればお客人のスタイルにしっくりと馴染む小粋な帽子を作るとの噂を聞き付けて、はるばる遠くの街や異国からも注文をしに来ることがある。
ただ、一人きりで店を回しているので、仕入れや制作の時間がかかり、更にはインスピレーションを得る為に数日から長くて数ヶ月も店のドアに『本日休業』と掛けて遠出をするため、お客さんが丁度帽子が欲しくて店に立ち寄っても、目にするのは閉じられたドアと、その小さな木の素っ気ない表示だけ。いつ再開するか分からないので、大体、諦めて他の店に行く人と、気長に待つ人と、店の存在すら知らない人とに分かれた。
「え、あの店って、開いているところを見たことがないから、てっきり、空き家なのかと思っていたわ」
「空き家なものですか。よく見て、『トパーズの帽子屋』と書いてあるじゃないの。私はその店で運良く帽子を買ってね、ほら、これよ」
と自分の頭に手をやり、ブリムをつまんで見せた。
「まあ、素敵な帽子だと思っていたけれど、まさか、あの店で買っていたとは知らなかったわ。私もそのうち買いにいこうかしら? 一体、いつ再開するの?」
「さあ? 店が開いていたらラッキーと思うしかないわ」
そして、大抵の新規のお客さんは日が経つにつれて、その店の存在自体を頭のすみから落っことして忘れてしまうのだった。
あまり増えても手に負えないので、馴染み客が増えたり減ったりしながら、生活するだけの金が貯まればいいかな、と店主は今の生活を楽しんでいた。
「金なんて、ありすぎても泥棒に取られないか心配になって気が休まらないからな」
「それで、たまに富豪からの注文で大金が入ると、ポンと使ってしまうんだな。今みたいに」
妖精の商人という怪しげな人物から、トパーズは瓶に閉じ込められた妖精を買い取った。
それを止めようとした隣人の竪琴職人の青年ジョシュアは、呆れ半分、妖精を目にした驚き半分の面持ちをして、灰色の目をトパーズからその手に大事そうに抱えられている小瓶へと移した。
「本当に、妖精なのか? おかしなマジックとかじゃなく?」
「俺の目は確かだぜ。こんなに小さいのに、ちゃんと人間で、生きている。背中から綺麗な羽も生えて筋肉で動いているみたいだし、小さな人間ってだけじゃなくて、ちゃんと妖精だ」
「確かに……今は眠っている様子だけれど、生きてはいるみたいだ」
「こんな儚い生き者が、あんなゲスい妖精売りなんかに捕まって、ひどい所に買われたら可哀想だろう。偶然市場で目にしたのは運命だと思って、有り金全部叩きつけて来た」
「そんな思いきりの良いところは、ある意味尊敬するよ」
「ふふん、要は、使いどころをわきまえるってことが大事なのさ。帽子の生地とか飾りとか、一期一会の出会いってあるからな。気になったことは、とにかくやってみるのが俺の流儀なんだ」
「それにしても、あんな奴隷商人みたいなやつに儲けさせるなんて、増長させるだけじゃないのか? 味を占めてまた、同じことを繰り返すぞ」
「そう、めったに妖精が捕まるかよ。あいつは、本当なら妖精が見えるはずもないやつなんだ。この誰にでも妖精が見えるという不思議な瓶に間違って入ってしまって、そこを運悪く閉じ込められただけなんだよ」
「どうしてわかるの?」
「妖精商人が得意気に話していた」
「それで、あり得ないくらい高額だったわけだね。よくお金が足りたもんだ」
「丁度、裕福な人に幾つか特注の帽子を作って届けた帰りだったからね。こういう時の運は良いんだ」
「何度も言うけど、思いきりが良いよね。それはともかく、他にも、同じような事があったの?」
「同じではないけれど、以前新聞売りをしていた頃に、いつもと違う道を気まぐれに通ったら、道端で行きだおれている少年を拾ったこともある。あいつ今頃元気にしてるかな。また、事件起こしてないといいけど。あれ、俺結構トラウマなんだけど……」
「トラウマになるほどの何があったんだよ? というか、それは果たして運が良いと言えるのか? 自ら厄介事に首を突っ込んでいるようにしか思えないが。いくら気になったとしても、危ない人に関わるのはどうかと」
「あいつは、危なくなんかねえよ。ちょっと働きすぎて鬱病入っちゃってただけだから。今は遠くの島でお爺さんと平和に暮らしているはずさ。俺はあいつのお陰で、妖精や不思議な出来事を信じるようになったんだ。今でも、親友だよ」
「ふーん、じゃあ、君の直感は間違ってはいないということか。トパーズが親友とまで言う人なら、きっと良い人なんだろう。ところで、その妖精はいつまで瓶に入れたままにしておくんだい? 酸欠になっていやしないかい?」
「あ、やばいかも。目を覚まさないのは、もしかしてそれが原因か? ……あの腐れ商人が。蓋に空気穴すら開けないとは、鬼畜の所業だぜ、全く」
瓶を掴み、ぎっちり詰まったコルクの蓋を開けようと悪戦苦闘しながらも、中の妖精に衝撃を与えないようにしているその様子を見て、ジョシュアは、コートの胸ポケットから彫刻刀を取り出した。
「これでなんとかなるだろうか?」
「なんで、懐にそんなもん持っているんだよ」
「古いのが折れてさ、加治屋さんに修理に出していたのを受け取って来たところなんだ」
「ああ、そういうことか。――彫刻刀じゃあな、危ないから止した方が良いかもしれない」
「やっぱり、だめか」
駄目元で出してみたものの、首を横に振られて、それは再びポケットに仕舞われた。
「栓抜きが確か台所にあったはず」
「持ってくるよ」
「助かる」
そうこうするうちに、どうにか蓋を開けることに成功した二人はほっと一息ついた。妖精が息をしていることを確かめてから、ジョシュアは用事があると言って帰って行った。
「一月ぶりに姿を見たから、なんとなく寄ってみただけなんだけどな。とんでもない状況に出くわしてしまった。妖精が目を覚ましたら、様子を見に来ても良いかい?」
「妖精次第だな」
話相手がいなくなり、しんとした部屋でトパーズは今更ながら途方に暮れていた。
「妖精って、どこで眠って、何を食べて暮らすんだろう?」
小説の妖精の生態なんて、作者によってばらばらだし、当てにならない。所詮、想像の産物だ。ファンタジーは荒唐無稽な事が当たり前のように起こって、嘘だとわかっていながらその世界に浸るのが楽しいのだ。しかし、それが本当に存在したとすれば、参考にするべきは何なのか、全く見当もつかない。
トパーズは無意識に頭に手をやり、髪をかき回した。
その時、パサリ、と被っていた帽子がテーブルの上に落ちた。それは、春の野原を表現した明るく柔らかな色彩の、さわり心地さえ新緑のごとき柔らかさで気に入っている自信作だ。この世に二つと無い小さな世界がそこにある。
「あ……」
いつか、こんな草原のある坂で、ごろんと横になり逆さまに空を見上げていたことがある。
そのとき空は丸く、ひとつの青い水玉のように見えたことを思い出した。
目の端を蝶がひらひらと舞って、一輪の花に留まった。
「いや……あれは、蝶じゃなくて、妖精だったかもしれない」
彼はこれまで型崩れしないように手入れしてきた帽子を、思いきり良く拳でへっこませた。そして、寝心地の良いように整えると、妖精をそっと指先で救い上げ、その中心へ優しく寝かせる。
自分は椅子に腰かけてテーブルに頬杖をつきながら、妖精の花の衣に覆われた小さな胸が微かに上下するのを静かに見守った。
目覚めるのを待つうちに、薄茶色の二つの宝石はゆるゆると帳が下ろされていく。
ふと、気がつくと見知らぬ草原に立っていた。
「あれ? どこだ、ここ? 確か、俺は家に居て……」
キョロキョロと辺りを見回すと、ひらひらとこちらに飛んでくる蝶を見つけた。光の粉を纏い、軌跡を僅かの間残しながら。それはさながら空中に光で文字を速記しては端から消してしまうような。
近づくにつれて、それは蝶ではなく妖精であることに気づいた。
タンポポのような黄色の髪が、柔らかく靡き、同じ色のドレスが風にひだを寄せている。白くて長い手足。背中で羽ばたく透き通る羽。そして、少女の面に朝露のような瞳。吊目がちな目の形と弓なりの細い眉、さらにつんと先の尖った鼻はイタズラ好きな妖精のイメージそのままだった。
全体的に手のひらよりも小さいその妖精は、トパーズの鼻のすぐ近くまで来ると、ちょん、とつついてキラキラを撒き散らした。
鼻がムズムズして、思わずクシャミをすると、妖精はケラケラとお腹を抱えて笑った。
「おい、悪戯っ子」
呼びかけると、『なあに?』と言う風に空中で振り返る。それから、あっかんべーをした。
「仮にタンポポさんと呼ぶが、タンポポさんは、人間が嫌いなんだろ? もう、自由になったから、どこへでも好きなところへ行けよ。もう二度と、悪いやつに捕まるなよ」
それじゃあな、と、後ろを向いてひらりと手を振る。目を反らす一瞬、タンポポさんは寂しそうな表情をした気がしたが、やはり気のせいなのだ。
しばらくしてもう一度振り返ったら、その姿はどこにも無かった。
トパーズは小さくため息をこぼし、ごろんと草原に寝転がった。
そして、ぼんやりと流れる雲を見ているうちに、また眠りに落ちていた。
再び気がついた時、窓からは夕陽のオレンジの光が差していた。
両腕の上にうつ伏していた為に腕が痺れて頬が痛い。顔を上げると、テーブルの真ん中に空っぽの小瓶と、へこんだ帽子がぽつねんと置かれていた。椅子から立ち上がり、部屋を見渡しても、妖精の姿は見つけられなかった。
「そうさ、どこへでも好きな場所に行って、自由に飛び回れば良いのさ」
独り言ちて、さっと帽子を持ち上げると人差し指でくるくると回しながら、余計に寂しくなったような気がする家から逃げるように外へ出た。
その後ろから、夕陽に紛れて金色の光の粒が着いてきているのを気づかずに。
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いつしか、辺鄙なこの町で、ひっそりと語り継がれている話がある。
この帽子屋には、妖精がいるという噂があるとかないとか。
――時々、夜のうちに作りかけの帽子に刺繍が一つ増えていることがあるそうな。そして、その帽子を買った人には、ささやかな幸せが訪れるという――。




