第二話 呼び止める男(前編)
「ちょっと、いいか」
ウィルクレスト村を出ようとすると、不意に後ろから呼び止められ、私は振り返った。
「あんた、魔族だな」
若いヒト族の男がこちらを見ていた。
腰に剣を差しており、装備からして戦士のようだ。髪や瞳はユウマのように黒い。少し興味を惹かれたが、私のことを魔族として見ていることを考えると警戒したほうがいいだろう。
ビーも振り返り、警戒と威嚇の唸り声を発していた。
ここで騒ぎを起こしたくはない。
私は無視して村の外へと歩き出す。ビーもついてくるが、ときおり振り返っては唸った。
男は距離を置いてついてくるようだった。
町と町をつなぐ国境沿いの道を東に進む。目指すはエルフの大森林だ。
魔族の侵攻の激化により、この国境沿いの道を使う者はほとんどいない。村を出ると、道の左右どちらにも何もなく短い草しか生えない荒野になっており、見通しはよい。国境沿いの道とはいうものの、舗装されているわけではなく、馬車や人が通ることで自然と草がなくなり、道らしきものになっているというだけで、便宜的にそれが魔族領との国境線として見なされているのだ。
だが、ここのところ、魔族の侵攻の激化による危険を恐れて往来が減っているのか、踏みしめる者のいない道に雑草が生え始め、道の判別が難しい箇所がところどころにあった。ビーが先導し、道を見つけてくれるのだが、私はそうした道の途中で踏まれて倒れた草を目にすると、それがユウマの歩いた痕跡のように思えた。
「もういいだろう。ここなら誰もいない」
道の途中、遠目にもウィルクレスト村が見えないところまで来ると、再び男が呼び止めた。
村の外までついてきたところを見ると、ただのヒト族の民ではないのだろう。魔族や魔獣に遭遇しても対応できる自信があるということだ。
私もビーも振り返り、男と対峙した。
「魔族が人間の村に紛れ込むとはな……噂は本当だったみたいだな」
「噂?」
「かつての勇者が魔族の女に脅されて、ヒト族の村に住まわせているとな。魔族をその村に集めて邪教に染め上げようとしているということだ。そのおかげで、その村は魔族の襲撃にも遭わず、それ以外の国境沿いの町で被害が広がっているってわけだ。魔王討伐のために勇者として召喚された者がまさか魔族の仲間になってしまうなんて、世も末だな」
「ふん、くだらない」
くだらない噂ではあるが、その噂のせいでユウマが行動を起こさざるを得なくなった可能性はあるのではないだろうか?
他の町が被害を受け続ける中で、ウィルクレスト村だけが無事だということになると、人々は納得できるような話を作り上げたくなるのだろう。しかも憎むべき魔族が受け入れていることを知っていて、それを快く思わない者がいれば、意図的に悪意も加えられてしまうのだ。
ユウマは単に魔族を止めるだけではなく、ウィルクレスト村の魔族も救おうとしているのではないか。優しい彼なら考えそうなことだ。
「あんたにとってはくだらないことかもしれないが、新しく召喚された勇者として、そんな状況を見逃すわけにはいかない」
勇者を名乗る男の首には紐がかけられ、世界樹が刻印されたメダルがぶら下がっていた。
勇者であることを誇示したいようだ。
勇者にはさまざまな能力が備わるらしいが、そのうちの一つに魔族を見分ける能力があるとユウマから聞いたことがある。その能力で、私が魔族であることを見抜いていたのだ。
「勇者を脅して従わせるほどだ。そんなあんたを倒さないと魔王を倒しても平和にはならないと思ってな。悪いが討伐させてもらう」
「私はもうヒト族と戦う剣は持ち合わせていない」
「それなら一思いに殺してやる」
そう言って男は剣を抜く。刃こぼれもない美しい剣だ。ミスリル製だろうか。強度や切れ味は間違いないだろうが、ユウマの手にある聖剣デュランダルの性能とは比べられないだろう。
剣から血の匂いはあまり強く立ち上がってこない。まだ勇者になりたてなのか、それほど多くの戦闘は経験していないのだろう。
それでも相手は勇者だ。私はユウマの強さを思い浮かべる。あの力にはとても太刀打ちできるものではない。
しかし、私はユウマに再会できないまま死ぬわけにはいかない。
私もマントの中でデスブリンガーの柄を握り、鞘から抜いた。
勝機があるとすれば、武器の性能の差だけだろう。
怖い……いつから死ぬことこんなに怖くなったのだろう。違う、死ぬことが怖いんじゃない。ユウマと会えなくなることが怖いのだ。ユウマが死の先の虚無の深淵で待っていてくれるなら、喜んで死ぬだろう。
傍らでビーも男を凝視し、唸り声を上げている。
いざとなったらビーの脚力で逃げられるだろうか。
「ビー、大きくなって。こんなところで私たちは止まれない」
ビーの身体が見る間に巨大化し、威嚇の咆哮を上げた。
ビーの姿とその咆哮に、男が怯んだように見えた。
私は、全身のあらん限りの力で踏み込み、男の剣にデスブリンガーを叩き込んだ。
男の剣は刃の根元近くから折れ、男は衝撃で手から剣の柄も落とした。
「痛い……」
私は男の喉元にデスブリンガーを突きつけた。
「許してください……殺さないで」
男は今にも泣き出しそうだ。
何なんだ、この男は……本当に勇者なのか?
あまりに弱すぎる。私の動きと太刀筋を目で捉えることもできていなかったようだ。
私も安堵し、剣を引いて鞘に収めた。
「ヒト族を殺すつもりはない」
男も安堵のためか、ついに泣き出した。
「ニホンに帰りたいよぉ……」
ニホン……ニホンと言ったのか?
私はニホンを知っている。それはユウマの故郷の異界の国の名だ。




