エピローグーー双樹の祝福
長い休息を経て、ようやく歩けるまで回復した私たちは、大賢者サイランデルのもとへ戻った。
魔王による世界樹への攻撃は、完全に止まったそうだ。
世界樹が、勇者のマナにより力を得て、結界が堅牢さを取り戻し、魔王の攻撃がまったく通らなくなったということだ。
「わしも予想外の勇者トウマの訪問で、彼が犠牲になってくれるとは思ってもいなかったのじゃが、おぬしたちの力によるところも大きかったと思う。世界を救ってくれてありがとう」
私は、おそらくサイランデルが私たちのために訪問してきたトウマに、暗に犠牲となるよう促したのではないかと思っている。決断したのはもちろんトウマなのだろうけれど、サイランデルの業もより深くなってしまったのではないだろうか。
大賢者こそ、この世界の最大の犠牲者と言えるのかもしれない。
「大賢者様、僕は、誰も犠牲にならずに済む世界になるといい、難しくてもそれを目指すべきだと思っています。ですが、そこに至るまでは、誰かが犠牲になってでも世界を維持していくべきだと思っています。その犠牲者が僕なら、僕にとっては一番よいと今でも思っています。
トウマのように犠牲になった者たちも、ただ世界に消費され、完全に消え去る存在ではなく、永遠に世界と繋がり、世界の重要な一部になっているのだと思っています。この世界から彼らを記憶している人々がいなくなっても、世界は決して彼らを忘れないと信じています」
大賢者サイランデルはただ黙って頷きながら、ユウマの話を聞いていた。
「そうじゃな。万が一、世界が終わりを迎える日が来たとしても、きっと虚無樹が、宇宙がわしらを忘れはせんじゃろう」
それから私たちは、フィオナのいるエルフ大森林の入り口まで戻った。
「二人とも無事でよかった。世界樹も力を取り戻したようだし、本当に奇跡ね。ビーちゃんもがんばってくれたのね」
ビーはいつもの得意げな顔を見せた。
「フィオナにも本当に助けられたわ。ありがとうね。またお願いで申し訳ないんだけど、精霊の加護をもらえないかな。ビーの遺品を集めに、もう一度虚無樹に行きたいの」
フィオナは快諾し、私たちに風の精霊の加護を与えてくれた。
精霊に導かれるまま、私たちは虚無樹へたどり着いた。
魔王ヴァルゼインは虚無樹に寄りかかり、呆然と宙空を見上げていた。
「やりおったな」
私たちには向き直りもせず、ひと言目にそう言った。
「おまえたちがしたことは大きな間違いだ。また俺たちはこの世界という檻の中で、双樹に喰われるのを待つだけの運命になったのだ。この世界の摂理を覆す機会などもう二度とないだろう」
「それでいいんだよ。ただ、その日が来るまで、精一杯生きるんだ。
どうしてもというなら、僕たちが供物にならずに、平和に世界を維持できる方法を一緒に探そう。いつかそんな方法が見つかるかもしれない。魔界や僕の故郷から、生物以外の何かを召喚して、マナに変換できるんじゃないかと思っているんだ」
ユウマは魔王にそう応えた。
魔王ヴァルゼインは俯き、そのまま何も答えなかった。
代わりに、右手を弱々しく動かし、指で一点を指し示した。
そこにはビーの身体が燃えた残骸が残っていた。
私は大きな牙と爪を拾い、胸に抱きしめた。
ユウマが、燃えてしまったビーのおやつ袋の切れ端を見つけて拾い上げ、愛おしそうに見つめた。
蝋燭で生成された今のビーは、何だか悲しそうな、複雑な表情をした。私はこのビーも、自分の前身が一度死んだことを理解していることを知っていた。
私たちは、それらのビーの遺物を手に、魔王と虚無樹のもとを離れた。
再びエルフ大森林の入り口に戻り、フィオナに別れを告げた。
「またいつでも来てね。私はあなたよりも永く生きて、いつでもここにいるから。アナも、勇者と同じ扱いで歓迎するわ」
「うん、また会いましょう。あなたの精霊にもお礼を言っておいてね」
そう言うと、優しい突風が私の顔を撫でた。
「言わなくてもちゃんと聞いてくれているわ。精霊もこの世界もちゃんと優しいの。心配しないで」
そうして私たちはエルフ大森林を後にし、ウィルクレスト村への帰路についた。
帰路の途中、現筆頭魔将グレイアスと剣を交えた、名も知らぬ町に立ち寄った。
グレイアスはそこで、魔王ヴァルゼインの帰還をずっと待っていたようだった。
しかし、そこに現れたのは魔王ではなく、自分が敗れた元勇者と裏切り者の元筆頭魔将だったのを認めて、大きな落胆を見せた。
「魔王様の戦いは終わってしまったんですね……俺があなたたちをここに留められるだけの力があれば、結果は違ったんでしょうね」
「それはわからない。でもあなたはあなたのやるべきことを最後までやろうとしていたわ。この村の人々や部下を犠牲にしたことは絶対に許せないけれど、犠牲にした者たちの分もしっかり生きなさい」
「俺に生きろと言うのであれば、ヒト族の殺戮と、あなたたちを打倒することしか、俺の生きがいはないですよ」
「それなら一生、生きがいを持ち続けられるわね。私たちはその目的を絶対に達成させないから。
できれば達成できる目標も持ったほうがいいわ。ヒト族と共存できる道を探すとかね。それを達成すればあなたは英雄になれるわ。ヒト族の文化もいいわよ。おいしい食べ物もたくさんあるしね」
私はそう言って、グレイアスに微笑んだ。
「確かに、あなたには敵いそうにないな」
そう言い残し、グレイアスは一人、その名を失った町から立ち去り、魔族領へと帰って行った。
次に私たちはブリットモアの町に立ち寄り、聖女ヒルダと、友人のステラ、その息子のエリオと再会した。三人とも無事で、安堵した。
ユウマもヒルダのことを覚えていて、再会を喜び、昔のブリットモアでの短い滞在を懐かしんでいた。
そこからは三人を加えて、賑やかな、最後の短い帰路となった。
私とユウマは、彼女ら三人を迎え入れるウィルクレスト村について説明し、ヒルダとステラの矢のような質問に丁寧に答えた。
大人たちが話に夢中になっている間、エリオは子犬姿のかわいいビーに釘付けだった。
やがて、私たちのウィルクレスト村が見えてきた。
このあたりで勇者トウマに出会ったのだと思い出した。彼はユウマや魔王には到底太刀打ちできるような力はなかったが、確かに彼は勇者だったのだ。
当時はひどく見下してしまったことを後悔し、改めて、彼の犠牲に感謝した。
ウィルクレスト村に到着し、真っ直ぐ双樹教会にフタバを迎えにいった。
フタバはユウマを見るなり抱きついて、泣きじゃくった。ユウマも優しく抱き返し、フタバの頭を撫でた。
双樹教会の司祭ヨナスに、ヒルダたち三人の住居を手配してもらえないかお願いをし、ヨナスは快諾してくれた。ヨナスとヒルダは面識があったので、昔話に花を咲かせていた。
私たちは自分たちの家に帰るため、そこでいったん三人とは別れることにした。これからは同じ村の村民だ。
双樹教会を後にしようとすると、エリオが名残惜しそうにビーを見ていた。
私たち四人は、久しぶりの我が家に戻った。
家は何も変わっていない。
世界は維持され、ユウマも家に帰ってきた。
私たちはまた、ユウマが失踪する前の日常に戻るのだ。
すっかり魔族も魔獣も襲来することが少なくなったけれど、ユウマと私は毎朝家を出て、村兵の仕事に出た。
ユウマは相変わらず、仕事の合間に双樹教会の子どもたちの面倒を見た。
一方で私は新しい友人となったヒルダやステラと、情報交換という名のおしゃべりに勤しむようになった。
フタバとビーも、毎日、双樹教会に通い、勉強し、友達と遊んだ。彼らはエリオとも友達になった。
家に帰って夕食を取ってから、ユウマはフタバとマナ学を勉強することが増えた。フタバと触れ合う時間も増やしたいのと、魔王との約束を守ろうとしているのだろう。勇者も魔王も犠牲にならない方法が見つかったら素晴らしいことだ。ヒト族と魔族が争わず、平和に共生できる世界になるかもしれない。ユウマが生きているうちにそれを実現できなければ、私が引き継ごう。二人で力を合わせればできるような気がした。
そんな日常に戻る中、一つのことをユウマと決めていた。
「パパとママね、結婚しようと思うの」
結婚にどれだけの意味があるのか、いまだに私にはわからなかった。
ただ、私たちは何か一つの儀式が欲しかった。形式に過ぎないかもしれないが、双樹教会で、「永遠の愛」を誓うという行為に祈りを込めたかった。
「へえ、おめでとう!」
フタバが嬉しそうにそう言ってくれた。
「今と何か変わるわけじゃないけれどね、パパにきちんと責任を負ってもらおうと思ってね」
隣にいたユウマが苦笑いした。
そんなユウマを見てひとしきり笑っていると、フタバも恥ずかしそうに何か言いたそうにしていた。
「どうしたの、フタバ? 何か言いたいことがあるの?」
私が尋ねると、フタバが意を決したように口を開いた。
「実は、パパとママがいない間、私もいろいろと考えていたのよね。何となく将来したいことがわかってきたの」
「そうなの? 何をしたいの?」
「まだはっきりとはしていないんだけど、何か人を喜ばせられるようなことをしたいと思う。芸術家とか?」
「そう、それはすごく素敵ね。絵描きさんとかいいわね。フタバなら、皆が幸せになるような絵を描けるでしょうね」
「そう、そういうこと」
フタバは満面の笑みを浮かべた。
そうして、ユウマと私は双樹教会で結婚式を挙げた。ヒルダとヨアヒムの夫妻が、自身の結婚式で仕立てたという衣装を借りた。ユウマは黒のタキシード、私は純白のウェディングドレスだ。
「すごく素敵ね」
フタバも、ヒルダもステラも、村の皆が私たちの姿を褒め、祝福してくれた。
ビーも、私たちの姿を見て、目を潤ませているようだった。
私たちは双樹教会で、司祭ヨナスの前で「永遠の愛」を誓い、口づけをした。たとえいつか死が二人を分かつとも、この愛は永遠に双樹に祝福されますよう、とヨナスが祈りを捧げた。
式の終わりに、フタバがお祝いにと絵を描いてくれた。
そこには花嫁姿の私と、花婿姿のユウマ、その前にフタバとビーが並び、背景に海が上手に表現されていた。私は絵のことはよくわからなかったが、それが人の心を動かすような美しい絵であることだけはわかった。
「大好きなものだけ描いてみた。絵には何を描いても自由でしょう?」
「もちろんよ。すごくいい絵ね。私も海は大好き。一生大切にするわ。あなた、人を幸せにする絵を描く才能があるわ。ありがとう、フタバ」
フタバには、確かに絵の才能があるかもしれないと思った。
フタバは照れて笑った。
「また絶対に海に行きたい」とフタバは言った。
私は微笑んで頷いた。
私たちはまたいつもの日常に戻った。結婚する前と後でも何も変わらなかった。ユウマと私は村兵の仕事をし、子どもたちの面倒を見て、女同士でおしゃべりをして、フタバは双樹教会で勉強し、友達と遊び、ときおり絵を描くようになった。ビーも引き続き、フタバの親友兼護衛として日々過ごしながら、好物のおやつを楽しんだ。
そして、フタバの十六回目の誕生日を迎えた。ユウマと私は前日にケーキを買って帰っていた。
その日、蝋燭はなかった。
フタバは不思議そうにしたが、蝋燭の原料がしばらく取れそうにないらしく、今年は蝋燭がないと伝えた。
私とユウマは、いつもの誕生日と変わらず、笑顔でフタバを祝福し、家族四人で楽しくケーキを頬張った。
私もユウマも仕事を休んで、一日中、フタバの絵の話やマナ学の話や思い出話をし、夜になって、フタバがベッドに横になって眠るのを見届けた。
翌朝、そのベッドで眠っていたフタバはいなくなっていた。
私もユウマもビーも、何が起きたのか理解していた。
それから私とユウマはビーのために大量のおやつを作り、ビーが食べたいだけ食べさせた。今までに見たこともないほどビーは興奮し、幸せそうに毎日おやつを食べた。
フタバがいなくなった三日後、ビーが大好きな、寝ぼけるユウマの顔を舐めて、巨大化してユウマを起こし、得意げな顔を私に見せ、私がおかしそうに笑ったのを確認してから、ビーも姿を消した。
きっと二人のビーが、これからもフタバを守ってくれるだろう。
フタバの最後の誕生日を祝ったいつものテーブルに、フタバの絵と、ビーの爪と牙とおやつ袋の切れ端を飾った。
フタバの絵の中の家族四人は、いつまでも笑顔でいた。
私はそれから何日も何日も泣き続けた。わかってはいたのに、その喪失感はあまりに大きかった。
泣いている私にユウマが寄り添ったが、ユウマも自身の目から溢れる涙を止めることはできていなかった。
いずれ、ユウマも寿命を迎えるだろう。
私の命はその後何百年も続くことになるかもしれない。
しかし、ユウマは私とともに、まだこの世界に存在している。
勇者と魔王の亡骸が生成する、創造者のマナと破壊者のマナを循環させる世界。
私たちはこの世界を彩る者として、残りの生を精一杯、生きていくつもりだ。
同じくこの世界に確かに存在し、彩りを与えたフタバと、ビーとの思い出とともに……
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
アナとユウマ(と周りの人々と魔獣と)の物語はこれで終わりですが、その後も二人がたくさんの思い出とともに幸せに過ごしたであろうことを信じています。
作者の私自身も、彼らに強く心を動かされ、アナのように悩み、苦労した末に完結させることができて、思い入れの深い作品になりました。
もし少しでも「面白かった」と思っていただけたら、
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のいずれか一つでもいただけると、めちゃくちゃ励みになります。
ご興味あれば、他の作品もお読みいただけると嬉しいです。
改めて、ありがとうございました!




