最終話 双樹の下で(急)
ビーが駆け寄ってきて、私の頬を舐めた。ビーに触れたかったが、ユウマの言う「修復」の直後のためか、体が動かない。
ビーは私のもとを離れ、ユウマの様子を見に行ったようだ。
ユウマが呻き声を上げた。
まさかユウマの上に乗って巨大化して起こそうとしたの? 寝ているわけではないのに……
「ひどい有様だな」
誰かの声がした。
足音が近づいてくる。
誰だ? その声は大賢者でも魔王でもなかった。
しかし、彼ら以外に、他にこの空間に入れる者はいないはずだ。
声のほうに顔を向けようとするが、体が動かない。
ビーが私の横に立ち、声の人物に向けて警戒と威嚇の唸り声を発していた。
「元勇者と魔族の女だな?」
その声に聞き覚えがあった。
そんなに遠い昔ではない。近い過去に聞いた声だ。
「まさかこんな状況になっているとはな。相打ちといったところか。どちらも生きているか? 動くことはできないようだな。今なら俺でもとどめを刺すことができそうだ」
その声の主を思い出した。
現勇者トウマ。勇者を名乗れるほどの実力を持たない臆病者。魔王討伐によってニホンへの帰還ができると信じていたあの男だ。
私の首を狙ってきたのか? そうだとしたら随分と復讐心の強い執念深い男だ。
しかし、私を殺したいならそうすればいい。名ばかりとはいえ、勇者に殺されたとあれば、魔族の剣士としての矜持は守れる。
……今さら矜持も何もないな。そんなものよりも、勇者との愛を優先した女だ。
トウマも同様に、私を殺すことより、ニホン帰還のほうに興味があるのではないか。魔王討伐をせずに、ニホンに戻る術でも探しに来たのだろうか?
そこにたまたま、倒れた元勇者と魔族の女を見つけたといったところだろうか。
「魔族の女、おとなしくしているのをよく見ればいい女じゃないか」
トウマが私の顔を覗き込んできた。その顔に、下卑た笑いを浮かべていた。
「君は誰だ?」
ユウマが割り込むように口を開いた。ユウマもまだ体が動かないはずだ。
「誰かって?」
トウマは「ふっ」と鼻で笑い、声をかけてきたユウマのほうに顔を向けた。
「所詮、俺は無名の勇者ってところだな。世界の歴史書からも名前を消される勇者になるかもな」
「君も勇者なのか? 僕は勇者ユウマだ」
「知っているに決まっているだろう? 自覚はないのかもしれないが、あんたは俺と違って有名人だ。史上最強の勇者と言われながら、魔王討伐に失敗した勇者ってことでな」
「君は、魔王討伐をするつもりなのか?」
「ははは。あんたは本当に俺のことを何も知らないんだな。その女からも聞いていないのか? よほど俺はどうでもいい存在らしい。
残念ながら、俺に魔王を討伐できるような力はない。だから、魔王討伐なしに、ニホンに帰る方法を探していたんだ」
「君もニホンから来たのか?」
「そうだよ。あんたもニホンに帰ろうとしていたのか? それで女に止められたか?」
「……いや、僕はニホンに帰りたいとは思っていない」
「正気か? こんなに不便で、まずい食べ物ばかりで、勇者と魔王に茶番を強制する、この狂った世界に残りたいのか?」
「ああ、そうだ。僕はここで命を賭けて、この愛すべき世界を守ろうとしているところだ」
トウマは今度は嘲るように、小さく笑った。
「まったく立派な元勇者だ……大賢者から大体の経緯と状況は聞いたよ……俺はこの世界から脱出したくて、必死に魔族や魔獣との接触を避けて、逃げまくって、やっとここまで来たんだ。勇者の能力を、戦闘を避けることのために使ってきたんだよ。だけど、あんたは勇者らしく強く、世界を救うために生命まで投げ出そうとしているんだよな」
「勇者トウマ……いったい何が言いたいんだ?」
「勇者ユウマ……あんたはこの世界に残るべきだ」
「え?」
「その魔族の女を愛しているんだろう? いい女じゃないか」
「……何をするつもりだ?」
「あんたはこの世界に大事なものがあるんだろう? それなら双樹の核に入るなんてだめだ。
何かあってもあんたなら魔王でも倒せるんだろうから、ここで生き続けて、世界に貢献できることもまだまだあるはずだ」
「何が言いたいんだ? 話が見えない……」
「俺には何もない。こんな世界から、ニホンに帰りたいと思ったんだが、ニホンにも、あんたみたいに守るべきものはないし、何の取り柄もないクズだった。どこにいても役立たずなんだが、それでも帰れる可能性があるなら、それに賭けたい。この双樹の核が、ニホンに繋がる門になっているんじゃないかと思ってね……いや、それは嘘だな。本気でニホンに帰れるなんて思っちゃいない。大賢者も保証してはくれなかった。
大賢者に会うまでは、ニホンに帰る方法を探したいと思っていたんだが、あんたらの話を聞いたらどうでもよくなってきちまった。もっと言えば、あんたらのほうが、俺なんかより、よほど生きる意味があるんじゃないかって思ったんだ。
もしかしたら大賢者に上手いこと誘導されたのかもしれないが、それでもいい。勇者として召喚された以上、少しでもこの世界に貢献できる方法があるんじゃないかって思ったんだ。ニホンに戻って何もせずにだらだらと生きていくより、俺にしかできない、もっと意義のある命の使い方があるんじゃないかってね。
実を言うと感謝しているんだ。俺にも生きてここまで辿り着いた大きな意味があったってな」
トウマが何をしようとしているのか、私にも理解ができた。それは少しの罪悪感と大きな希望をもたらした。ユウマにとってはそうでもないかもしれないが……
「やめろ! 生きる意味なんてのは誰にだってある! 君が犠牲になる必要はない!」
ユウマは必死にトウマを止めようとしているようだ。
少し体が動くようになり、顔を動かすと、「核」に向かって歩き出すトウマの姿が見えた。
「ありがとうな」
小さな声でトウマが最後にそう言ったのが聞こえた。
私も何か言いたかったが、うまく声が出せなかった。心の中で、「ユウマを救ってくれてありがとう」と言った。
トウマが「核」に触れた。
その手は「核」に拒絶されることはなかった。
トウマは本物の勇者だった。




