最後の回想 大切な思い出(後編)
ユウマはこれは旅行であって、冒険ではないと言ったが、私にとっては大冒険だった。好きな人たちと行く、とても楽しい大冒険になった。
山頂まで到達し、景色を満喫した後は、私たちは一気に下山を始めた。山を降りれば、もう少しで目的地に到着するはずだった。
山の麓に着くと、体を休めるために野営をし、また翌日から西への道を進んだ。
紆余曲折を経て、ついにたどり着いた目的地は「海」と呼ばれる場所だった。
世界樹は、まず世界を動かすための時間を創造し、最初の形あるものとして、世界を明るく照らすための太陽を創造し、世界を休ませるために優しく世界を照らす月を創造し、その次に地上と生物の基盤とするために創造したと言われるのが海だ。
ユウマだけでなく、私もフタバもビーも初めて目にする海は、あまりに広大であまりに美しかった。私が知っているのはせいぜいが小さな池や細い川程度で、海には比べものにならないような大量の水が、穏やかに揺れながら、太陽の光に反射して輝いていた。
生物最強の勇者ユウマや魔王や大賢者の溢れんばかりの魔力による水魔法であっても、ここまで大量の水を生み出すことはできないだろう。
ビーがベヒーモスに変化して、最大限まで巨大化したが、それでも海の前ではちっぽけな存在にしか見えなかった。自慢の咆哮も虚しく海に吸収されるだけだった。
いつも賢く自信に満ちたビーが落ち込むような姿を見せたのが、何だかとてもおかしく思えた。
「この海にはベヒーモスと対になる、リヴァイアサンという原始の幻獣がいるんだ」
「もしかしたらビーよりも強いかもしれないね」
茶化すように私が言ったが、ビーは自信なさそうに肩をすくめるだけだった。
「私はリヴァイアサンよりビーのほうが強いと思う」
フタバがそう言うと、ビーも、そうかもしれないと思ったのか、機嫌を直したようだった。
「陸ではビーのほうが強いよ。海で戦ったらどうかわからないけれどね。まあ、比べられないものもあるし、戦う必要もないさ」
ユウマの言葉に、ビーは今度は複雑そうな顔をした。
フタバは巨大化したビーによじ登り、遠くを見ようとするが、「海の端っこが見えない」と、広大さに感嘆していた。
私には、海は無限の広がりを持っているようにすら見えた。
「海の向こうにパパのふるさとがあるの?」
フタバが無邪気に尋ねた。
「そうだね、海の向こうに僕のふるさとがあるのかもしれない」
「パパは船でこの世界に来たの?」
「いや、船ではたどり着けないくらい遠くだからね、パパはズルして、世界樹に召喚してもらったんだ」
「ふーん、それはずるいね」
繊細な話題のはずだが、その間の抜けたようなユウマとフタバのやりとりに、私は思わず吹き出してしまった。
海の光景はもちろん、海の前ではしゃぐユウマやフタバやビーの姿がとても眩しく、忘れがたいものになった。
旅行を終えても、何度も私はこのときの光景と出来事を思い出して、楽しく幸せな気分になるのだった。
大冒険の最後に、私たちはもう一つ大きな発見をすることになった。
海の畔には大きな町があり、海と陸の際にある「港」と呼ばれるところにいくつかの大きな船が停泊していた。
興味を持った私たちは、一隻の船に近づき、船員に何の船なのか尋ねると、船は漁船で、船員は漁師だと言った。
川の魚はもちろん食べたことはあったが、海の魚はどんなものなのか想像もつかなかった。
「今日の漁獲はどうですか?」
ユウマが漁師に尋ねた。せっかくなので海の魚を食べてみたいと私も思った。
「今日はリヴァイアサンの機嫌が悪くてだめだ」
ビーがピクリと反応した。
「リヴァイアサンが漁を邪魔するんですか?」
ユウマが漁師との対話を続けた。
「ああ、漁に出たら俺たちも危ないし、魚も逃げちまっているからな。魚の様子を見ていればだいたいリヴァイアサンの機嫌がわかるのさ」
「リヴァイアサンはどのあたりにいるかわかりますか?」
「うん? まあ、だいたい当たりはつくが、そんなこと知ってどうする気だ?」
「実は僕、勇者でして、リヴァイアサンを宥めに来たんです」
その発言に驚いた。勇者であることを明かした上に、リヴァイアサンを宥めるだなんて……そこまでして新鮮な魚が食べたいの?
漁師の男も呆気に取られたようだが、次の瞬間には大笑いしていた。
「よそ者なのに、面白いこと言うな、あんた。まあ、どうせ今日は何もできないし、付き合ってやってもいいが、あまり近づくことはできないし、だめだと思ったらすぐ逃げるからな」
「大丈夫です。勇者の特別なスキルをお見せしますよ」
漁師と船に乗ってユウマが海に出ていき、小一時間ほど港で待っていると、船が帰ってきた。
船が到着すると、私たちは甲板に上がるように言われた。
甲板に上がると、ユウマがこれを見ろと、指差した。甲板の床が抜けて水を溜めたところに見たこともないような大きな魚が何匹も泳ぎ回っていた。
「リヴァイアサンに漁を手伝ってもらって大漁だよ」
ベヒーモスのビーにしたように、リヴァイアサンもテイムしてしまったのだとすぐにわかった。
「勇者様、最高だぜ。町の料亭に魚を卸すから、食べていきな」
漁師も見るからにご機嫌だった。
「勇者なんて言ってしまってよかったの?」
漁師に聞かれないように、小声でユウマに言った。
「ここなら王都から遠いし、大丈夫だよ。万が一噂が広まったとしても、名前を明かさない限り、新しい勇者のことだと思われるさ」
それもそうだな、と思うと、私の興味は魚のほうに移った。
「あんな大きな魚、どうやって食べるのかな」
「きっと細かく捌いて調理するんだよ」
ユウマは海の魚の料理をよく知っているかのような口ぶりだった。
港の周辺を少し散策した。見たことのない鳥なども飛んでいて、発見は尽きなかった。
しばらく散策してから、私たちは漁師の勧めた料亭に行った。
料亭に入ると、漁師がすでにおり、食事を始めていた。
「おう、勇者様、こっちだ」
私たちは漁師の座っていたテーブルについた。
「うわっ!」
ユウマが叫んだ。
「これは僕のふるさとの料理だ。スシだ。ショウユまであるのか!」
見ると、漁師は生の魚の切り身らしきものを、楕円の小さい白い粒状のものを固めたものに乗せて、黒い汁のようなものを少しつけて食べていた。
「やっぱり海の向こうから、パパのふるさとの人たちが来ているのね」
「ああ、おそらく過去にニホンから来た勇者が伝えて、広めたに違いない。まさかコメやショウユまで開発されているとは思いもしなかったけれど」
私たちはそれぞれスシを頼んだ。
正直なところ、その食べ物のあまりの特異さに、私はあまり食べたいと思わなかったが、ユウマが強く勧めてくるので、観念して食べることにした。
「うまい! やっぱり新鮮なマグロは最高だ」
「マグロ」というのがその海の魚の名前らしかった。
恐れ知らずのフタバも口にすると、陶酔したような顔で「おいしい」を連呼した。ビーも夢中になって食べていた。
その様子を見て、私も意を決し、恐る恐る口に運んでみた。
口の中に甘い魚の味と塩辛いショウユ味が混じり合い、何とも言えないおいしさだった。
この世界にこんなおいしいものが存在し得るとは想像もしなかった。
ユウマは涙を流しながら食べていた。
「ニホンに帰りたくなった?」
私は思わずそう尋ねてしまった。
「いや、世界でスシが食べられることがわかってしまったら、ますますニホンに帰りたくなる理由がなくなったよ」
私は決してユウマの故郷にはいけないだろうが、ユウマの故郷のニホンとこの世界は間違いなく繋がっているのだと改めて確認したのだった。
私たちの大冒険は、終着点で文句のつけようのない締めくくりとなった。
帰り道は、行きよりもずっと楽だった。山越えは二回目となればもう苦労はしなかったし、その後も、おいしかったものをもう一度食べ、見て感心したものを再度見て、旅の思い出を反芻しながらの帰路となった。
ウィルクレスト村に戻ってからも、旅のお土産を見せ合ったり、思い出話をしたりということがしばらく続いた。
この旅のことは一生忘れないだろう。願わくば、この世界での生を終えた後も、あるいはいつか世界が崩壊することがあるとしても残したい、大切な、美しい記憶になった。
それは四人揃っての、最初で最後の旅行となった。




