第八話 エルフの大賢者(前編)
フィオナの精霊に導かれてやってきた世界樹を構成する一本の巨木の下に、尖った耳が異様に長い、一人のエルフ族の子どもが目を閉じて座っていた。大賢者の召使いか何かだろうか。
「あの、大賢者サイランデルはどこにいるか知っている?」
そう尋ねると、その子どもは目を開き、私のほうを一瞥した。
その目は、私を透かして見ているような、遠くを見るような目だった。
「来たか」
「え?」
「ヒルダの紹介で来たのじゃな? 魔族の客人は珍しいな。魔王でなかったのが幸いじゃ」
「私が来ることを知っていたのね。じゃあ、大賢者様に会わせてもらえる?」
「わしがサイランデルじゃ」
「大賢者」という肩書きから、老齢のエルフ族と思い込んでいたため、面食らってしまった。この子どもはふざけて嘘を言っているのか? あるいは大賢者という存在は、ずっと成長せず、老いもせず、永遠に生き続けるのだろうか。
「言いたいことはわかるが、それは置いておけ。うん? そのベヒーモスは? 『エクリプス・メテオ』を見たが、そのベヒーモスがやったのではないのか?」
急にビーの話になり、戸惑ってしまう。
「……この子が『エクリプス・メテオ』を発動しましたが……」
「なぜ生きているのだ? ……ああ、そうか。あの蝋燭を使ったか」
すべて見透かされているような気がした。確かにこの子どもが大賢者サイランデルのようだ。
「大賢者ともなると何でもお見通しなんですね」
「何万年と生きているからの。この世界の他の者たちよりは少しばかり知恵はあるじゃろ。じゃが、何でもというわけにはいかんよ。何でもわかっていれば、ここまで危うい事態にはならんかったじゃろう。
虚無樹の力が強まりすぎたせいで魔王の攻撃がなかなかに厄介でな。世界樹がちと弱まっていたから、本当に結界が破られそうで危ないとこじゃった。ベヒーモスが命を賭けて世界を救ってくれたんじゃな」
「確かにビーは……このベヒーモスは『エクリプス・メテオ』を発動して一度死にました。蝋燭の力でビーは甦ることができたのでしょうか? 確かに蝋燭に火が灯ったような気はするのですが、私もよく状況が把握できていなかったので」
「甦ったのとはちと違うんじゃが、まあいいか。そう思いたいのであれば、そう思えばいい。じゃが、残念ながら、蝋燭はもうしばらく作れそうにないのじゃ。世界樹の回復が必要でな」
「え?」
フタバの誕生日に蝋燭の火を灯せなくなるのか。ユウマがこれまで必ず灯してきた蝋燭なのに……
他の蝋燭では代わりにはならない気がして、そのことに大きな喪失感があった。
「ともかく、あとは勇者ユウマが何とかしてくれそうじゃ。本当に危ないとこじゃった。世界の危機は回避できそうじゃ。元はと言えば、あの勇者が危機の原因を作ったとも言えるんじゃが」
「あの、サイランデル様、ユウマはまだ生きていますよね? 今どこにいるんですか?」
「今、双樹の狭間に向かっておる」
「双樹の狭間というのは……」
そのとき、私は現勇者トウマの言葉を思い出した。
「『世界樹が道を示し、虚無樹が異界へと導く』。大賢者サイランデル、あなたがそう言っていたと聞きました。その双樹の狭間には、異界への通路が顕現しているのではないですか? ユウマは異界に、自分の故郷に帰ろうとしているのではないですか?」
「正しくは『世界樹が生の道を示し、虚無樹が異界へと魂を誘う』じゃ。ヒトは都合のいいように真実をねじ曲げるのが好きなようじゃな」
「ユウマは異界に帰ろうとしているわけではないのですか?」
「ここで言う異界は、勇者の故郷のことではない。死の世界、冥界のことだ。虚無樹が万物に死をもたらし、冥界に旅立った魂は浄化され、世界樹に導かれ、再び生を得る。そのことを説明しただけのことだ。双樹の狭間と直接の関係がある言葉ではない。もちろん全く無関係というわけではないがな」
「では、双樹の狭間とは何なのですか? ユウマはそこで何をするつもりなのですか?」
サイランデルは私を検分するかのように、まっすぐ見てきた。
「それを教える前に、ユウマとおぬしの間柄について教えてもらおうか。
これまで話した流れでわかっているだろうが、ユウマは世界のために、勇者として、とても重要な役目を果たそうとしているのじゃ。ベヒーモスが魔王の足止めをしてくれていなければ、おそらくユウマは間に合わずに、わしは殺され、虚無樹と世界樹は魔族の支配下になり、双樹の管理の仕方も知らん魔王のもとで、まず間違いなく世界は文字通り崩壊していただろう。
そしておぬしは魔族だ。わしは今とても慎重にことを運ばねばならん。つい先ほどまで消えかけていながら、ベヒーモスの献身によってかろうじて繋がれたこの機会を、わしは絶対に逃すことはできないのだ。
さあ、教えてくれるか? おぬしは何なのだ? この世界を危機に晒そうとする者ではないだろうな?」
サイランデルの問いに対し、おそらく私も細心の注意を払って答えなければならないだろう。
私にとっても、これはやっと掴んだ機会なのだ。サイランデルは、ユウマの正確な居場所を知っていて、それを聞くことができれば、ついに私は生きているユウマにたどり着くことができるのだ。
「私は魔王を裏切った魔族です。そのために魔王に命を奪われそうになり、それを、このベヒーモスのビーが助けてくれたのです。サイランデル様の言う世界の危機の回避に私も間接的に貢献したと言えるのではないでしょうか。
そして、魔族を裏切った理由が、前勇者のユウマなのです。私はユウマを愛し、ユウマも私を愛してくれています。私たちの間には娘もいるのです」
サイランデルが怪訝な表情をした。
「娘? どういうことじゃ?」
「娘です。私が産みました」
「ちょっと待て。ユウマとの間にできた娘じゃと言うのか?」
「そうです。間違いないです」
魔族だから多夫一妻だと考えているのだろうか? ユウマ以外と愛を交わしたことは断じてない。
「失礼な言い方になったら悪いんじゃが、勘違いということはないじゃろうか?」
「絶対にあり得ません」
大賢者のくせに、なぜそんなこともわからないのだろうか。
「ヒト族と魔族の間に子どもはできぬ。絶対にな」
……何を言っているのだ? 大賢者がなぜそんな明らかな事実を認めてくれないのだ……
「でも実際に生まれています。私とユウマが愛し合った結果として、娘は生まれたんです」
「ヒト族と魔族の間に愛が成立せんという話ではない。生物の仕組みとして、理として、それは絶対にあり得ないことなのじゃ」
ユウマが「理が嫌いだ」と言っていたのが脳裏に浮かんだ。
「ユウマには理を覆すだけの力があったのだと思います」
私の言葉が力を持っていないのが自分でわかる。しかし、何か認められない何かがあった。
「理を覆すじゃと……ああ、そうか。蝋燭か。そのベヒーモスといい、濫用しよるな。いや、しかしわかった。そうじゃな、勇者と魔族の間にも子どもができる方法があったな。しかし……いや、これはユウマとおぬしの問題じゃ。わしが口を出すことではないな」
「蝋燭が何だって言うんです? 私も蝋燭に不思議な作用があることはわかっています。何か生命の理を操作するような何かがあるのでしょう? でもフタバやビーは確かに存在しているんです。蝋燭に操られているわけではありません」
「おぬしは何か勘違いをしているようじゃが……いや、その誤解を解くべきかどうかはわしにもわからん。勘違いしたままのほうがおぬしにとっては幸せかもしれん。わしはどういう形であれ、この世界のあらゆる存在の幸せを可能な限り守らなければならないのじゃ」




