第四話 名を失った町2
グレイアスという名前には記憶がなかった。
筆頭魔将であるなら、それなりの実力はあるはずだ。それをまがりなりにも元筆頭魔将であった私が知らないということがあるだろうか。
私が魔族領を去って二十年が経つが、魔族にとっての二十年はそれほど長い時間ではない。
グレイアスの率いる魔族兵たちが、私とビーに迫って来た。
馬に乗り、先頭を進む男がグレイシアであろう。漆黒の馬に跨り、漆黒の甲冑に身を包み、顔を見ることはできなかった。まるで闇の深淵からやってきた騎士のようだった。
その後ろには数十人の騎兵に、大勢の歩兵が続いていた。
と、先ほどまで腕を失ってうずくまっていた男が、残ったほうの手で剣を持ち、襲いかかってきた。私はデスブリンガーを軽く振り、首を刎ねた。男の頭が宙を飛んだ。
それを合図にしたかのように、グレイアスの左右から、騎兵隊が突撃してきた。
「ビー、戦うよ。大きくなって」
ビーが巨大化し、ベヒーモス本来の姿になった。
ユウマなら、この大軍であろうと、力を調節し、気絶させて無力化することもできただろうが、私にはそんな力はない。私は斬って傷つける能力しか持ち合わせていない。
ビーが咆哮を放った。先頭を走っていた騎兵が強い衝撃に押し返され、落馬し、後続の騎兵たちも勢いを止められず、馬が転び、次々と落馬していった。
私はその混乱の中に飛び込み、デスブリンガーを振るう。ビーも突っ込んでいき、鋭い角と爪と硬い鞭のような尻尾で、転がっている魔族兵たちを蹂躙していった。
馬から落ちずに済んだいくらかの騎兵もいたが、馬の首や足を斬り、馬上から落ちてくるところを屠っていった。ビーはその膂力で馬ごと吹っ飛ばしていった。
騎兵が簡単に全滅すると、次は歩兵たちが突っ込んできた。
私はただ無心にデスブリンガーを振るっていった。動きの遅い歩兵たちの槍も、剣も私に届くことはない。それが何人束になったところで、前方から突っ込んでくるだけであれば、あまりに簡単な、ただの作業でしかなかった。
ビーも同様に、相手の武器ごと敵に体当たりし、角で突き刺し、殴打し、尻尾で薙ぎ払っていった。普通の槍や剣では、ビーの硬い皮膚を傷つけることはできない。そして、私の剣と違い、ビーにやられた敵は原型を残すこともできない。
圧倒的な力の差にも関わらず、敵は逃げようともせず、突っ込んできた。やむをえず、私とビーは淡々と魔族兵を殺し続けた。
やがて、数百人におよぶすべての魔族兵は死に絶え、あたりには強い死臭が漂った。
この程度では何百人、いや、何万人といたところでユウマの敵にはならなかっただろう。
残ったのは、黒馬の上に跨る黒騎士グレイアス一人。さすがに少し疲労はあるが、まだ十分戦える。
グレイアスは馬をゆっくり前進させて、近づいてきた。右手には漆黒の長槍を携えていた。
来る。
鋭い長槍の突き。私はそれを見極めて避けた。続けざまにまた突き。デスブリンガーで押さえるが、力で劣る私が後ろに押し飛ばされた。が、グレイアスの腕と槍が伸び切った隙を見て、ビーが黒馬に激しく体当たりし、グレイアスも飛ばされて地上に打ちつけられた。
私は素早く立ち上がり、グレイアスに駆け寄った。グレイアスも立ち上がり、剣を抜いた。
正面からデスブリンガーを全力で叩き下ろすと、グレイアスは避けきれず剣で防ごうとした。これで勝負はあった。
魔族の持つ武器で、私のデスブリンガーより強度のある武器はない。グレイアスの剣は真っ二つに折れた。
続けざまに剣を振り下ろして、ぎりぎりのところで止めた。グレイアスの兜が割れて、中の肉を少し斬った感触があった。殺さずには済んだだろう。
腕力では負けていたが、速度では私に分があった。勝敗の差は武器の性能に依るところが大きかっただろう。
背後を見ると、ビーが黒馬の首を角で貫いていた。
私はデスブリンガーをさらに引き下ろし、グレイアスの顔を隠した兜の前面を完全に割り、引き剥がした。
グレイアス素顔が露わになった。デスブリンガーがわずかに抉った額の傷からは血が流れていた。
その顔を見ても、私は誰なのか思い出すことはなかった。
美しくも醜くもない、魔族ではよくある顔と言ってもいい。顔を伝う血が余計に認識を難しくしているかもしれない。
「二日続けて大敗するとは……今日は多くの兵まで失ってしまった……筆頭魔将失格だ」
「私が兵を殺さざるを得なかったのは、昨日来た男より私が弱いからだ。すまないな」




