第三話 ブリットモア町の騒動2
「違います。兵士に襲われていたんです」
何?
「兵士というのはヒト族の兵士?」
「そうです」
「魔族に呪いで操られている?」
「え? いえ、わかりません……」
いや、こんな問答している場合ではない。
私はデスブリンガーを抜き、兵士たちに駆け寄った。
「やめろ!」
私が叫ぶと、何人かの兵士がこちらに気づいた。
「何だ、おまえは?」
一人の兵士が強い敵意を向けてきた。
戦うのはよいのだが、殺してもよいだろうか?
兵士が槍をこちらに向けて突進してきた。
その動きは遅く、軽くデスブリンガーを振るだけで簡単に槍を叩き斬った。
兵士は私の太刀筋の速度に驚いたようだったが、ただの棒切れになった槍の先端をなおも私に突き刺そうとしてきた。
興奮し、殺意のあるものを無力化するのは難しいか……
私は棒切れの突きを避け、やむを得ず、よろけた兵士の首にデスブリンガーを振り下ろした。
「ひっ」と女が声を上げた。
殺してしまった……ヒト族を殺したのはいつ以来だろう。少なくともユウマと出会ってから、この二十年、一人も殺していない。
暗い悦びを感じている自分に戦慄した。
私は魔族なのだ。今さらながらそのことを思い知らされた。ヒト族を殺すことには、果実酒を一口であおるような心地よさがあった。
抵抗する術もない民を襲うなど許されない行為だ。私はこれから実行しようとしている自分の行為を正当化しようとしているのだろうか?
他の兵士たちの一団に走り寄る。この凡庸な兵士たちに、私の動きを見切ることなどできないだろうーーユウマを除けば、魔族随一と言われた私の剣技の前に凡庸にならないヒト族などいない。
私は武器を振りかざす間も与えず、一人ずつ、その感触を味わいながら首を斬り捨てていった。
逃走を始めた兵士たちを追い、また首を刈り取った。
斬るたびに甘い愉悦を感じた。
血を吸ったデスブリンガーが妖しい光を放っていた。この魔剣もヒト族の魂を奪い取って喜んでいるようだ。
ユウマと一緒に暮らすため、同族の魔族を殺し、敵族のヒト族を守ってきたが、私は私の本能の欲望をずっと押し殺してきたのだ。
そこまでしてでも守りたかった幸せを、ユウマなぜ私から奪おうとするのだろう。
いくら殺しても満たされない……他の欲望も快楽もどうでもいい。ユウマがいないと私は無理なんだ……
一人の兵士がすでに遠くまで逃げ去ろうとしていたが、ビーが素早く追いかけ、足に噛みつくと、兵士は転倒した。
そうだ、一人でも生きて捕らえて情報を得なければいけない。本能のまま殺していった私と違い、賢いビーはそのことがわかっていた。
私は転倒した兵士に近づいた。兵士は必死に逃げようとするが、ビーが噛みついたまま離さなかった。
「た、助けてください。俺は違うんです。盗賊ではありません」
私はこの兵士が民に襲いかかっているのを見ていた。その場にいたすべての兵士が悪意を持って、民を攻撃していたのは確認していた。
「俺は盗賊団に無理やりやらされていただけなんです。俺は正規の門兵です。もう何十年も勤め上げていたんです。本当です」
よく見ると、私はこの兵士を知っているような気がした。壮年と言ってもよい見た目ですぐに見分けがつかなかったが、二十年前、ユウマが賄賂を渡し、門の中に私を引き入れた門兵ではないか。
二十年の時を経て、あのとき見逃した女に生殺与奪権を握られるとは想像もしなかっただろう。
「なぜこんな大きな町で盗賊団が民を襲っているのだ? 警備兵や守備兵はなぜ魔族ではなくヒト族の盗賊が暴れるのを許している?」
「もうそんな兵士はいません……魔族は年々強力になってきて……必死に抵抗していたのですが、魔族の軍勢に兵士たちも民たちもほとんど全滅させられて……残ったのは、隠れてやり過ごした一部の兵士や民だけです。せっかく生き残ったと思ったら、この廃墟を漁りに盗賊団が来て……従わなければ殺すと言われて……従うなら残った民を殺せと言われて仕方がなくやったんです」
同族同士で争うとは……魔族にも劣る。
ヒト族を守るために魔族を殺してきた私が言えることではないが……
だが、この様子ではヒト族が魔族に支配されるのはもはや時間の問題か。ヒト族はどうなってしまうのだ。
魔族が世界を支配するようになったら、ユウマやフタバはどうなってしまうのだろう? ウィルクレスト村だけは守り抜くことができるだろうか? ユウマの力とヒト族の残兵を結集すればあるいは……
「なぜ魔族に滅ぼされてから他の町に逃げようとしなかった? ウィルクレスト村は魔族にも侵攻されておらず無事だぞ」
「ウィルクレスト村は双樹教徒の村だから、魔族に侵攻されていないだけですよ。とても住める場所ではないですよ。あそこまで行くには魔獣が出没する国境沿いの道を進まなければならないですし。他の町に身寄りはいないし、どの町が安全かもわからないんです」
何も知らずに愚かな推測を……ウィルクレスト村はたまたま魔族を受け入れているだけのヒト族の村なのに。
危険な道を行く必要があるなら、兵士が民を盗賊や魔獣から守り、安全を確保すべきではないのか。そのための兵士ではないのか。
しかしそんなことより……
「もう一つ教えてくれ。髪と瞳の黒い男が最近ここに立ち寄らなかったか?」
「……はい、アッシュという男が来ました」
ああ……ユウマだ。アッシュはユウマがヒト族に使う偽名だ。
「何を話した?」
「なんだか変な人でしたね。町が荒廃しているのを見て、早く魔族を止めないといけないとかなんとか言っていましたね。一人で何ができるってわけもないはずなのに、変ですよね。はは……いてっ!」
ビーが強く噛みついたようだ。
「いつ会った?」
「朝でした。盗賊団が襲撃してくる前でした」
「その後、どこに向かった?」
「気づいたらいなくなっていたのでわからないですが、北門から出ていったんで、国境沿いの道を東か西に行ったんじゃないですかね」
やはり間違いない。ウィルクレスト村に戻る気がないのであれば、東に向かったはずだ。
目的地はエルフの大森林、そこにある世界樹……国境沿いの東にほかに何かあるだろうか?
いや、「魔族を止める」というなら魔王のもとではないのか? エルフの大森林に行ったところで、魔王を止める手段があるとは思えない……
「では、俺は失礼させてもらっていいですかね」
兵士が言った。私はもう用はない。
「どうする?」
子を抱いて様子をじっと見ていた女に尋ねた。
「殺してください」
私はデスブリンガーに、この町で最後の兵士の血を吸わせた。




