なぎ倒される兵
一揆衆は……乱を聞きつけて阻止に当たる、島原藩の兵と接触した。
場所は平野、時期は十月末で秋口真っただ中。人々が行き交うための道幅はあるものの、少し道を外れれば背が高い雑草が生えている。幾分か視界の悪さはあるが、正面切って軍と軍が衝突出来る地形だ。
「なんと……ここまでの規模とは」
代官所が襲撃され、一揆勃発の報を聞きつけ、島原藩に属する武士は対応に追われていた。『ある事情で』対応が出遅れたのもあるが、それを加味しても勢いがあり過ぎる。不満を溜めていた民がいるのは分かるが、彼らは薄々察していた。
(これは……ただの一揆ではないな……)
一部浪人との連絡がつかない現実に、妙に統制の取れた一揆衆……恐らくキリスト教を捨てきれなかった武士や浪人をも取り込んで、今回の一揆は勃発したと考える。代官の中には知った顔もいるし、彼らを殺した一揆衆に思う所はあるが……ただただ憎しみだけで向き合えないのは、自分たちの胸に手を当てた時、今までの所業に後ろ暗さがあるからだろう。招集した者達の士気も低いが、これ以上の横暴を許すのも違う。差し迫る土煙と、怒りと憎しみに満ちた農民の目線にたじろぎそうになるが、この場を預かった将は厳格な声を張った。
「止まれ!」
相手を威圧するように、そして預かった兵を引き締めるように、鋭く短い警告を発する。近場の配下が槍を構えると、相手方も同様に武具を向けて睨み合った。
「貴様ら……今すぐ武器を捨て、矛を収めよ! 松倉様に何か申し開ぎがあるならば――」
「ふざけるな」
農民も多い事から、降伏勧告から入ったのが……途中で遮るような言葉が飛ぶ。後ろにいる者達の目線を見れば、最初から和解の余地がないのは明白だった。
「今更、あの暗君に告げる言葉などあるものか!」
「そうだそうだ!」
「わしらの事なんて……最初から全く何も考えていないヤツじゃないか!」
「どの口で『信用しろ』と言う気だよ⁉」
反論できる要素が無い。今まで松倉家が、島津藩が強いて来た数多の重税と悪政を考えれば……誰がどう見たって『何をいまさら』としか言いようがない。けれど、これがただの一揆でない事は、この場を預かる将も知っていた。
「落ち着けお前たち! 悪政については、我らとて思う所はある! 怒りをあらわにするまでは良い! だが……仏閣や神社まで焼き払うのはやり過ぎだ! 禁じられた南蛮の教え、キリスト教に毒されておるのだ! でなければ……」
「何が仏か! 何が神か! これほどの苦境の中、神も仏も救ってはくれなかったではないか! ならば我々キリストの教えこそが、真に救済を得、楽園に至れる唯一の道である!」
それは純粋な信仰から来るものだろうか? それとも既存の秩序への反抗心かは分からない。ただ一つ明確なのは、怒りに満ちた民衆の殺意だけだ。
一体どこのどいつが、この者たちを主導しているのか……統制する者が誰か当たりを付けるために、兵を預かる将は問うた。
「貴様らの……貴様らの総大将は誰だ! 益田甚兵衛か? それとも森宗意軒か⁉」
「否! ママコス宣教師が残した預言……我らを救い給う天童、天草四郎様である‼」
「あまくさ……しろう……?」
将が困惑するのも無理はない。キリシタンの中でだけ、まことしやかに囁かれていた『預言の子』の噂も、その中心と目されている天草四郎は当時無名。益田甚兵衛の子ではあるが、目立った実績のない子息まで覚えてはいないだろう。
――そのものが起こす『奇跡』も、体験するまでは信じられなかった。
「四郎様! どうか奇跡を起こして下さいませ! そして我らが敵に鉄槌を――!」
一揆衆の目に危うい眼光が灯った次の瞬間、将と彼らが率いる島原藩の兵の背に、奇妙な悪寒が走った。敵意や殺意はもちろん感じていたが、これは何か毛色が違う。まるで悪しき何かが通り過ぎたような――
「ぎゃあぁぁああっ⁉」
何かの祟りを身構えていた前方の兵員、しかし悲鳴が聞こえたのは部隊後方だった。将が慌てて後ろを向くと、いつの間にか敵の一揆衆一団が、後方にいた兵に槍を突き立てている……⁉
「な⁉ 後方⁉ 馬鹿な!」
「そ、両側面にも一揆衆が出現! 包囲されています!」
「何⁉」
兵たちの間から悲鳴が上がり、次に何が起きていたかの把握に努める。いつの間にか両側面と後方に敵が現れ、完全に囲まれる形になっていた。
しかしこれはあり得ない。側面はともかく、後方に回る時間は無かったはず。それにいくら草丈に隠れているとはいえ、対話中の短時間で移動すれば、流石に気配を察知できる。士気が低い兵にしたって、誰も包囲に気づかないのはおかしい。これじゃあまるで……『瞬時に敵の兵が移動して現れた』ような――
「四郎様が仕掛けたぞ! お前たち! 続け! 悪しき島津の手先に……我らの怒りと恨みを思い知らせよ!」
「おぉおおぉォぉおおおおぉおおっ‼」
声はまるで、地獄の窯を開けた時のよう。擦り切れ恨みを煮詰めた亡者たちが、現世へ逆流するかのような寒気がする。
遅まきながら、兵たちは気づく。もう話し合いで済む段階はとうに過ぎていたのだと。そして対話などしている場合では無かったのだと。
「殺せ! ブチ転がせ!」
「これは……妻の分ッ! これは……息子の分ッ! そしてこれは――」
「わしらの怒りじゃぁあああぁあぁっ‼」
「行けっ! 行けぇっ‼」
堰を切ったかのように、四方八方から雪崩れ込む一揆の衆。身構えるのが遅かった将と兵たちは、慌てて体制を整えようとするが……明らかに遅すぎた。
まるてハゲタカが死体に群がるように、ひたすら部隊をつつかれ、生きたまま食われるかのように……武装した兵士たちが死んでいく。
またしても走る悪寒。迫り来る死への恐怖か――それとも、頭上で嗤う、しわがれた老人の声に悍ましさを覚えたからだろうか?
それを語る者は、だれ一人残らなかった。
悪魔の力云々はさておき、一揆勃発の報を受けた島原藩は応対に追われました。
最初の主な攻撃である『島原城への攻防』では、島原藩側は防衛に成功したものの、思ったより消耗したので城に引き返した所、その隙を突かれ城下町で放火と略奪が発生、さらに村々や寺への横暴を阻止すべく、再編した兵を送りますが士気や統制が甘く、一揆衆によって返り討ちにあったとの記述もあります。これには悪政による後ろめたさもあったのでしょうが、他にもいくつか……これについては、また後々お話ししましょう。




