兵糧攻め
幕府軍は原城を徹底包囲し、外部への出入りを完全に封鎖されていた。
当初五万人だった幕府軍は、順々に増援が送られ、最終的には12万の軍勢で原城を包囲していたとの記録がある。圧倒的戦力差を見せつけていたが、この大群を以ってしてなお、原城へ攻撃を決行しなかった。
幕府軍が実行したのは『兵糧攻め』である。徹底した包囲、徹底した補給の遮断と、一揆勢へ圧力をかける事に終始した。この選択は、一揆勢側にとって非常に辛い展開を強いることになる。
「食料が……」
「ひ、ひもじい……」
一揆勢は4万近く存在し、原城に籠城していた。言い換えれば……彼ら一揆勢の勢力を維持するためには、4万人近い人間の食い扶持を確保しなければならない。籠城前に武器と食料を備蓄していた一揆勢だが……人数が多ければ多いほど、食料品の消費も早くなる。
今までは外部の蔵や施設に襲撃をかけ、略奪する事で補給していたが……幕府軍の包囲封鎖により、それも不可能になってしまった。
となれば……食料の消費量を抑えて、一日でも長く延命するしかない。しかし食糧難は士気低下の大きな要因となり得る。徐々に旗色が悪くなる中、一人の青年が彼らの所を見て回った。
「四郎様……」
「皆さん……申し訳ない。苦しいですよね」
「何も謝る事などありませぬ! 元を正せば代官共が我らを困窮させたのが原因で……」
「そうじゃそうじゃ。この程度の事……重すぎる税を考えれば、なんてことありません」
「むしろ拷問や処刑が無いだけ気楽だべ」
元々一揆勢は、生命の危機を感じる様な圧政下で生きていた。なので士気が低下しても、反乱までには至らない。しかし影響や不満を感じない訳でもなかった。
「四郎様……奇跡でどうにか、食料を持ってくることは出来ませんか?」
「私も同じことを考え、実行しようとしましたが……どうしても武器弾薬しか補給できないようです」
「そうですか……」
『奇跡』こと『悪魔ハルファス』の能力は――『武器庫を満たす』権能である。食料の補充は対象外だ。兵糧攻めに対しては無力に近い。失望を見せる農民たちにもう一度謝り、四郎は代案を提示した。
「苦肉の策ですが……崖側の海から、海藻類や貝類を拾って取って来れば多少は……」
「こんな寒い中で⁉」
時期は正月を過ぎた直後。食糧不足で体力が落ちた状態で、海水や北風にさらされるのは辛いが……渋々ながら農民たちも『それしかない』とは理解しているようだ。
「しょうがない。ついでに魚の罠も仕掛けるべ」
「それでも全然足りないが……」
「何も食えないよりマシだろう」
三方向を断崖絶壁に囲まれた原城は、崖とはいえ海に面している。海産物を獲ってくれば、食糧の足しにはなった。
明らかな士気の低下を感じ取るが、天草四郎の顔つきに不安は見えない。むしろ彼と契約した鳥の姿の悪魔の方が、焦っているように見えた。
『おいおいシロウ! 下手に外と出入りさせちまったら、隙を見て逃げ出すヤツもいるんじゃねェーの⁉』
「出るだろうな。そりゃ」
『オイオイオイ⁉』
「いっそ早めに逃げてくれた方が、兵糧の減りも抑えられる。それに、何を焦るハルファス? もう結末は決まったようなものじゃないか」
あっけらかんと言ってのけるが……それは天草四郎と島原一揆衆が、これから辿る残酷な結末。なのにまるで他人事のような、あるいはむしろ望んで進んでいるような気配さえ滲ませて、天草四郎は笑って言った。
「このまま干上がって降伏勧告を受け入れるか、最後まで抵抗して皆殺しか。キリシタンの大半は最後まで戦って死ぬだろうが……いや、農民の中にも圧政が酷すぎて、頭下げるくらいなら刺し違える気概の奴もいそうだ」
『増援の当てがない以上そうなるが、てかお前さぁ……』
何か言いたげなハルファスの言葉を、天草四郎が手で制す。どこからか足音が聞こえてきたので、続きを口にできなかった。傍から見れば独り言とか、神の啓示を受けているとかで誤魔化せなくもないが……二人の会話は、他者の目が無い所でしたい。黙ったハルファスと、聖人の皮を被り直した四郎の前に現れたのは、身なりの良い一人娘であった。
「四郎様! もう! 心配しましたよ?」
「あなたは確か……えぇと、有家のお嬢様で――」
「他人行儀はやめて下さいませ! あなたの妻なのですよワタクシ!」
「……ほとんど私達の親が決めた事ですけどね」
「何か不満がおありで⁉」
「いいえ、何も」
語気が強く、自称天草四郎の妻を名乗るこの女性は……一揆に加わった浪人衆の一人、有家監物の娘である。四郎を見つけるや否や、ぷりぷり怒って叱って来た。
「急にフラフラと、どこをほっつき歩いているのですの!?」
「……皆が不安にならないように、励まして回っているのですよ」
「それは……それはとても良い事と存じますが、何かあれば一大事なのですよ⁉ せめて世継ぎを残してから……」
「あの、そうしたことは女子から強い語気で言う事では……」
「でしたら言わせないで下さいませ!」
四郎の頬が、苦笑を超えて引きつっている。周囲の人間が『奇跡の子』と崇める中で、こうも率直に強く当たる者は珍しい。ただ、彼女の目線の奥には慈愛の色が見える。たじたじな天草四郎の傍で、悪魔ハルファスはゲラゲラ笑っていた。
『なんだよ隅に置けないねェ‼ この子で手を付けたのは五人目になるのかァ四郎‼』
小さな声で、四郎が「黙ってろ」と呟く。彼にしては珍しく焦っているようだが、目の前の彼女は周囲を見渡し、こんな事を言い出す。
「……? 今何か、しわがれた老人の声が聞こえたような……」
『げっ⁉ この女、オレサマの声がちょっとだけ届くのかよ……大人しく小声で喋りますかね』
「……油断してるからだろ。ざまぁみろ」
『あン⁉』
キレるハルファス。またしても周囲を見渡す彼女。いい加減マズいと四郎が取り繕った。
「きっと、風切り音か何かを聞き違えたのでしょう。寒くなってきましたし、そろそろ私も室内に」
「そうですわね。戦に備えて、しっかり英気を養っておいて下さいませ」
会話を切り上げて、城内に戻っていく二人。自称妻はやたらと距離感が近いので、反対側の肩からハルファスが四郎へと囁く。
『ちなみにオレサマは、人間の色恋云々は対応外だが……ソロモンの悪魔の中にゃ、真っ当な恋愛のいろはを教授するヤツから、女心を操って惚れさせたり、逆に破綻させる能力、寝技の手ほどきが得意なヤツに、盛りをつかせるヤツまでいて……どうする? 追加で誰か召喚しちゃう?』
――天草四郎が、自分の肩の一部に着いた埃を払うような動作をする。
追い払われたハルファスは、ケタケタと笑って飛び去った。
幕府軍は外国船に砲撃を依頼しつつ、原城及び一揆勢に対して完全な包囲、兵糧攻めを仕掛けます。増援も補給の当てもない一揆勢に、これは非常に効果的な打撃になりました。士気の低下に、脱走する者も現れ始め、崖側から海に行き、海産物を獲って戻る者もいたそうです。そんな中で、天草四郎は人々を励まして回ったと記録に残っています。
また、天草四郎の妻とされている女性が出てきましたが……どうも信憑性が微妙な所があります。
有家監物という人物が一揆に参加していた可能性は高いのです。娘がいるなら政略結婚でくっつけるのも分かります。ただねぇ……あまり関連の情報が少なくて、作者の調査ではこの娘、天草四郎の妻とされている女性の名前を、特定する事が出来なかったんですよ。資料の少なさからして、まぁ眉唾と思っといてください。
が、妻がいた可能性自体は十分あります。ここから先はちょっとシモの話になるので、苦手な方はスルーしてくださいね。
天草四郎にに妻とか側室とか、女がいた可能性ですが……これ自体はあると思います。と言うより時代背景と状況を考えたら、いない方が不自然まである。
江戸時代に入っているとはいえ、大坂夏の陣や関ケ原の戦いの経験者がいる時期です。世継ぎの重要性は言わずもがなですし、ましてや天草四郎は(名前だけの形に近いとはいえ)一揆勢の総大将です。加えて籠城の膠着状況……時間があるなら玉の腰狙いで、寄って来る女性もいるんじゃないですかねコレ。
キリスト教的にダメじゃないかって? まぁ、うん。黒寄りです。でも戒律に縛られてるからって、人間が浮気するかどうかって別の話ですし。そもそも日本ですと、側室の文化もありますから……当時の基準で成人済みだった天草四郎が、加えてカリスマに溢れた天草四郎が、全く女性関係なかったって方が不自然に感じるのですが……どうなんでしょうね? 実際の所は。




