始まる攻勢
状況が前後したが……ここで幕府側の一連の流れを見てみよう。
幕府が『島原の乱』を認知した時は既に、一揆衆が原城を占拠した後だった。運悪く松倉勝家が江戸へ来ていたのもあり、初動の遅れについては仕方ない。しかし未だに一揆が鎮火しないなら、中央政府たる江戸幕府も重い腰を上げた。
「これは……島原藩の手に余る。板倉重昌! 九州の諸侯をまとめ、島原・天草一揆を鎮圧せよ!」
「ははーっ!」
一揆勃発から約二週間……幕府は大名の一人、板倉重昌の派遣を決定した。幕府の代表として九州の者達に号令をかける役、いわば責任者や代表、ひと昔前であれば大将に任命された形だろう。
彼はすぐさま、近場の熊本藩に支援を要請。藩主の細川忠利は二万を超える兵士を派遣し幕府軍と合流。富岡城を包囲する一揆衆の背後を狙ったが……
「撤退しただと……?」
「察知されたにしても手際が良すぎる。ただ逃げたんじゃない。これは――」
「原城に引かれたか。くそっ!」
「すまない、三宅重利殿。かたきは取れなんだ……」
富岡城代の将、三宅重利……元はキリシタン大名だったが、教えを捨てて天草一揆衆と敵対。衝突・合戦の果てに討死していた。
だが彼の死は無駄ではない。もしここで富岡城まで落とされるようなら、一揆衆は拠点を二か所も得ることになる。さらに『廃城の占拠』と『今の政治中枢となっている現役の城の陥落』では、影響力がまるで異なっていただろう。後手後手に回った島原・天草地方の一揆だが、彼の奮戦がさらなる状況悪化を防いだ一面もあった。
英霊に捧ぐ黙祷のように、しばしの沈黙した後……周囲の諸大名を引き連れ原城に向かう幕府軍。しかし彼らが目にしたのは……その機能を完全に取り戻した、難攻不落の要塞であった。
「これが……廃城……?」
「板倉殿、話が違いますぞ……」
早期に原城を占拠し、物資を補充しつつ城を補強していた一揆衆……『奇跡』にまで考えは及んでいないものの、完全な姿を取り戻した原城に圧倒されそうになる。天然の要害、優れた立地、これに加えて堅牢な堀と城壁……動揺の広がる討伐軍だが、まだ彼らは一揆衆を侮っていた。
「焦るでない。これは一揆の連中が我々を恐れている証拠よ」
「と、申しますと……?」
「所詮は烏合の衆に過ぎん。自信が無いから、せめて陣地だけでも、立派なものを拵えようとしておるのだろう。数こそ多いだろうが、大将を討ち取れば、そうでなくとも一揆連中を惨たらしく殺してやれば、その内折れるだろうさ」
「なるほど」
所詮は九州の田舎で起きただけの一揆。規模こそ大きいが、これだけの人数がいれば制圧できると油断していた。島原藩の初動が悪かっただけで、全く大したことのない一揆に過ぎないと。
さらに時が経ち、長崎奉行ら各藩からも兵を招集。その総数は約五万人。これだけの兵士がいるなら、農民風情が起こした一揆なんぞ捻りつぶせる。数の暴力と装備の差でどうにでもなると考え、最低限の段取りと連絡を取りつつ、原城への攻撃が開始された。
「攻撃開始! 幕府の威信を見せつけよ! 農民風情の一揆軍なんぞ蹴散らしてしまえ!」
一揆討伐を試みた幕府軍、その第一波は約五万の兵を導入したにもかかわらず……目立った成果を上げる事は出来なかった。
「な……! なんだこの堅牢な要塞は⁉」
「全く攻め上がれん……!」
元々の『原城』の出来栄えが良かったのもある。しかしそれ以上に、一揆衆による補強と『奇跡』が、占拠した拠点を難攻不落の大要塞へと変貌させていた。さらに――
「そ、右上側面から伏兵! 弓兵と……」
「火縄銃だ! 引けっ! 引けぇっ‼」
上から見下ろすような地形に誘い込まれた幕府軍は、弓と銃弾の集中砲火を受けることになった。厄介なことに銃は、ある程度の練度が備われば農民でも武者を殺し得る。十分な猶予と時間によって、一揆衆は火縄銃を農民に運用させることを可能としていた。
それだけではない。前衛を張る槍を持った者達は……構えや所作が一朝一夕のものではない。
「はぁっ!」
「うおっ⁉」
「こいつら素人じゃない! 正規の……がはっ⁉」
一揆衆の中には、浪人上がりの者もいる。つまり武士として戦闘訓練を積み、隊を指揮し、さらには戦闘の意志の有る農民に訓練を施すことさえ可能だった。
そして一番大きかったのは――
「ここは……通さないべ……‼」
「松倉の奴らに、わしらの怒りを思い知らせてやるんじゃ……!」
「我々が安心して暮らせる国を作るために――‼」
「あのまま生きてても……税に搾り取られて死ぬか、拷問処刑されるかだけだった……だったらここで、お前らと刺し違えても――‼」
一番の関心事に差はあったが……一揆勢の士気は非常に高かった。幕府はキリシタンかそうでないかで熱量が異なっていたけれど、島原藩への敵意や憎悪は共通しており、根深い。生きていくのも難しい程の重税と、やり過ぎた拷問と圧政は……結果的に一揆衆の団結を促してしまった。
「これでは……えぇい! 全軍後退! 立て直すぞ!」
「おのれ一揆衆め……!」
優れた城塞だけでは、兵は使い物にならない。人数が多いだけの一揆と思い込んでいた幕府軍。思わぬ反撃を受けた彼らは、攻撃を断念し撤退せざるを得なくなった。
ほとんど史実です。島原藩の応対遅れは、藩主の松倉勝家不在もありましたが……それでも全く鎮火の気配が見えないと知り、幕府は指揮官を派遣。ただこの時は中央からの派兵は少なく、九州の各藩に号令をかけて兵員を集いました。その数は五万を超えていたとされており、その数をもって原城に対して第一次の攻撃を仕掛けました。
が――この時、一揆衆はほとんど被害なしで幕府側を退けました。数と練度で農民一揆などねじ伏せられると、侮っていた部分もあるのでしょう。原城の堅牢さもあって、幕府軍は撤退を余儀なくされました。




