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異説・天草四郎~悪魔と見る島原の乱  作者: 北田 龍一


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遅れる島原藩の対応

 一揆の初動を潰し損ねた島原藩だが、原因は悪政と不満だけでは無かった。実は一揆勃発の際、島原藩主の松倉勝家は……徳川幕府に呼び出され、江戸城へ出向いていたのである。といってもさして大事だいじではなく、定期的な召集の類だったが……領主不在の状況が、一揆衆への応対を送らせてしまった面は否めない。もちろん配下の将も、大慌てで松倉勝家に報告した。


「と、殿ぉ! 一大事でございます! 島原にて一揆が勃発! 島原城は何とか追い返したものの、奴ら城下町に火を放ち、略奪の限りを尽くしているようです! 村々を焼き、神社仏閣を破壊し、仏僧や神主を殺して回り……代官所も次々と襲撃されています!」

「な、な、なにぃ~っ⁉」


 領主たる彼は報を受け、大急ぎで領地への帰国を急いだとされている。もちろんこの事は時の為政者、徳川三代目将軍の徳川家光とくがわいえみつの耳にも入ったが、最初の頃は傍観に近かった。あくまで『領地で起きたの反乱は、領主が応対すべき』の姿勢だ。

 しかし事態の深刻さは、日に日に増していったのである。


「一体何が原因で……」

「……主導しているのはキリシタン達のようです。恐らく処刑ど弾圧に耐えかねてでしょうが……その規模は既に万を超えておりまする!」

「えぇい! 留守を任せていた者達は何をしておった⁉」

「島原城の防衛に務めました。襲撃を試みた一揆勢の撃退に成功したものの、少なくない損害を受け、一度引いて体制を立て直すしかなかったようです! その隙に城下町が……」

「何たることか……主犯格は⁉」

「まだはっきりとはしませんが、浪人の益田甚兵衛ますだじんべえや森宗意軒などが関わっているとのことですが……総大将は天草四郎なる者だそうです」

「……誰だそやつは? 聞いた事が無いぞ」


 ――あくまで『預言の子』や『奇跡』は、農民や下々の間で言い伝わっていた物。故に島原藩主たる男には初耳だった。領主に向けて部下が話を続ける。


「どうやら益田甚兵衛の子息だそうです。まだ16だとか」

「元服して間もないではないか……何故そのような者を。傀儡にする気か?」

「詳細は分かりませぬ。が、噂によれば端麗な容姿の男児だとか。加えて弁舌も巧みなようで……村々を巡りながら決起を促し、勢力を増しているようです!」

「どうしてそれを止めれぬ⁉ 人手が足りぬなら民にも手伝わせろ!」


 一揆の勃発は、幕府から見れば『領主の統治力不足』と取られる案件だ。年貢や税の取り立ては藩ごとに任されており、幕府側が課した額を納めているなら文句は言わない。だが一揆が、反乱が起きたとなれば話は別。統治についてや経緯を問われる事も必至。上がった反乱の芽も早急に摘み取らなければならない。

 そうした焦りから発した言葉だが、部下の我慢も限界だったらしい。立場が上の相手に対して、耐えかねて鋭い語気で切り返した。


「やりましたよ! 民に武器と食料を提供し向かわせた所……即座に一揆衆に加わったのです!」

「な……何⁉ その者達もキリシタンだったのか!?」

「違います! 藩が税を課し過ぎたがために、不満を溜めた民たちが……キリシタンでもない者達も蜂起に加わっているのですよ……‼」


 配下の目には怒りが滲み、藩主側はいっそう青ざめた。この期に及んでやっと、武装蜂起が起きてやっと、松倉勝家は自らの統治の問題を自覚したのである。

 胃の底に冷たい汗が流れ、怒鳴り声は焦りを帯びた物へと変化する。当時の移動は馬がせいぜい、しかも立場のある大名とあれば、身一つで馬を駆る訳にもいかない。

 その時間で、一揆衆はどれほど規模を広げる? どれだけの被害が出る? 部下たちだけで鎮火できるのか――? 取り乱しそうになるのをこらえて、藩主は報告を促した。


「現状はどうなっておる? 奴らの所在は⁉」

「報告によりますと……放棄した原城に向けて進行しているとのこと。恐らく今頃は入城しているでしょう」

「島原城の築城後、不要だからと放置したが――籠城する気か?」

「あるいは、一時的な拠点にする気かもしれませぬな……野営陣地を一から作るより、ずっと楽との判断でしょう」

「あそこは海を背にした天然の要塞……まずい! まずいぞ! 本格的に陣地にされたら、島原藩の手に余るやもしれぬ! そうなれば……!」


 もしもこれで、徳川家が「島原藩に任せておけない」と出張ってくれば、いよいよ領主の責任問題として追及される。藩主の座を追われるだけならマシで……最悪の場合、切腹を命じられるやもしれない。

 いやそれだけじゃない。幕府側の介入まで事態が大きくなってしまった場合、もはや島原藩だけの問題で済まなくなる。江戸幕府が動いた大事件として、この歴史に刻まれてしまいかねない――


「と、ともかく! すぐに早馬を用意せよ! 何が何でもこの一揆を止めなければならん!」

「承知いたしました!」


 おっとり刀で領地に戻る中で……さらに最悪の一報が入る。

 それは海を挟んで隣接する地方……天草地方でも一揆が勃発し、富岡城が包囲され、攻撃が開始されたとの報告だった。

 この話はほぼ史実です。なんと『一揆勃発時、領主の松倉勝家は江戸に出向いて』いました。

 幕府からの定期的な呼び出しか、何かの要件だったのかは分かりませんが……大きな問題を指摘されたとかではなかったようです。一揆勃発時、島原藩の初動対応が遅れたのは『領主の不在』もありました。

 で、この事知った作者はこう思いました。『一揆の連中、狙ったのか?』と。

 領主不在のタイミングで武装蜂起……反乱の機を窺い、浪人組織を結成していたのは確かです。後々に裏切った者がいるのも考えると、内通者として情報を流せるでしょう。疑念に思って調べましたが、そうした情報や説は出て来ませんでした。

 一揆が勃発したきっかけは『代官の拷問で水牢で妊婦と子供が殺された』か『キリシタンが隠し持っていた宗教的な絵画を代官に焼かれた』の二つが主な説です。両方とも代官の行動にプッツンきて、逆上して代官を殺し、もう後に引けないし我慢も限界だと始まった……って形です。

 どちらの説としても、計画的な反乱とは思えない。作者の考えとしては……勃発した暴動に、浪人や天草四郎も乗っかった感じだと思います。

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