反撃の狼煙
お待たせしました!
最初に火の手が上がったのは一番鶏が鳴く頃だった。憲兵隊によって事前に知らされていたためか、住人たちは祭りの始まりだと眠い目を擦りながらベッドを飛び出す。
陽気な音楽が流れてくる。それに釣られてやって来たのは、この国一番の権力者、ゴウトの邸だった。普段堅牢に閉ざされた塀は開け放たれ、色鮮やかな飾り付けが集まった人々の目を楽しませる。
「さあさあ。紳士淑女の皆様。早朝よりの来訪、心より御礼申し上げます」
邸の扉から顔を出したのはひょうきんな仮面を被った道化。優雅な仕草の割には足取りがおぼつかず、それが人々の笑いを誘う。
「これから私どもが供するのは、可哀相な王子の物語。ほら、助けを求める声が聞こえますでしょう?」
耳を澄ませる道化に倣って人々は耳を傾ける。風に乗って微かに届く呻き声に子供達は唾を呑んだ。半分開いた扉がいきなり開け放たれて強い風が吹きつける。突然のことに驚き、叫び声が上がったが道化が手を叩けば突如として止んだ。
「おや、何者かが妨害しているようですね。ですがご安心を。…これも演出ですから」
ここだけの秘密ですよ?
立てた人差し指を唇に当てる道化の言葉に安堵が広がる。
「そう、王子は囚われているのです。この邸の何処かに!これから話すことを聞いて助けに行くかどうかは皆様次第。調度品目当ての入場はご遠慮くださいね」
怒声と野次が上がった。
「では、始めましょう!真実の物語を」
道化が一礼し拍手が起こる。ここに邸まるごと一つを使った舞台が幕を上げた。
「始まりましたか」
邸の一角、一際豪奢な一室でリアナは待機していた。扉はなく、窓があるだけのその部屋には死屍累々とは言わないが、老若男女が猿轡を噛まされて転がっている。苦悶に満ちているのは、悪夢でも見ているからだろうか。リアナの興味は既に外へと向いている。
彼らが、ロクロの所有するこの邸を襲撃したのは昨夕のことだ。事前に流した“祭り”の噂のお陰で警備体制は常より厳しかったが、空への警戒は無きに等しかったためドラゴンと魔術の使えるバーリアス軍人にとって邸に侵入する事は容易い。周辺に気づかれず(警備上で人払いしたのが逆に仇になった)あっさりと制圧を果たした彼らが次にはじめたのは、舞台の準備である。何故かこういったことに長けているロードの部下達が数時間で作り上げた集大成。魔術制御には定評のあるリアナも当然ながら夜通し駆け回され、現在は見張りも兼ねて、強制的に眠らされている兵士や侍女たちと一室に閉じ篭っているのだった。これだけの人数になると見張りの人出も複数必要になるが数が足りない。ならばと白羽の矢が立ったのがリアナであり、こうしている間にも邸に仕掛けられた魔術を同時に操っていた。更には赤城の許可を得て城内の様子も探っており、逐一知らせを受け取っていたリアナはその光景に吹き出さないようにするのが精一杯だ。
「さて…仕上げと参りましょう」
繊細な指が空に揺らめく。複雑な模様が鮮やかに光り、映像に変化が顕れる。具体的にはそれまで壁と同化していた扉に微かな隙間が開いたのだ。その部屋は本来ここにはなかったもの。先日襲撃した例の屋敷にあった研究資料や道具などを全てそのまま持って来て、元あった地下を改造してそれらしくしたものである。流石に自分の邸に証拠を置いておくような馬鹿はいない。……いない筈だが。
「出てくるのは不正の証拠ばかりというのも、笑えます。重要なもの程手元に置きたい気持ちはわかりますが」
そもそも隠滅くらいすればいいのに。
リアナは国民が目を剥くような数字の羅列が書かれた紙束を手に苦笑する。それはゴウトの着服した金とその使い道に関してだった。こうして残されているのは、本人が間抜けなのも理由の一つなのだが、それが正式な証書だからだ。複数の別荘地の権利書から、中にはこの大陸では禁止されている奴隷の所有権まである。
「随分と悪質な魔術だ」
証書に掛けられた魔術が奴隷を縛っているらしく、本来は所有物を管理するために作られたものが悪用されたようだ。事が終われば即座に処分しようと心に決めて、袋に仕舞う。明らかになった事実に怒りへと変貌していく人々を見ながら、リアナはこれから先を予想して口の端を上げた。
「何だこれは?」
ざわつく中で声を上げたのは中年の男。彼は当時の官僚の一人で、闇に葬られようとしたところを間一髪逃げ果せた者の一人だ。こちら側の人間である彼の役目は引き金を引くこと。
観客達も既に舞台の役者であることに気づくことなく、用意された脚本通りに話が動いていく。
膨大な資料にあるのは、表沙汰には決して出来ない実験の数々。知識層にある者達が読めない者達に代わって、書かれた内容を口早に紡ぐ。
「これこそが真実……」
石階段を響かせて降りて来るのは仮面を被った道化。その身に宿る風格に人々は無意識に後ずさる。後ろの紐を解けば素顔が露わになった。
固唾を呑む中、あっと小さな声が上がる。
誰よりも鮮やかな青の髪に青の瞳。海の祝福を受ける王族の姿がそこにはあった。