首都潜入1
長らくお待たせいたしました。いつもよりやや多めとなっています。
民家のある一歩手前に降ろされた一行は、目が覚めるなり眼下に広がる城下の景色に首を傾げ、そして事の次第を聞くにつれ盛大に顔が引きつっていった。信じがたい話だろうが、その一部始終を見届けた大吾の顔色が真っ青になっているのを見て、何となく事実だと確信する。改めて竜騎士の非常識さを認識したのだった。
その竜騎士であるが、今この場にいるのはリアナだけだった。ロードは潜伏中の仲間達と合流するために一足先に城下へと向かった。未だ興奮冷めやらぬトートスの軍人達を尻目に、リアナは手際よく朝食の準備をしていた。
「ほんまあんたらには驚かされっぱなしやな」
「こちらとしても予想外でした。お陰で二日分の行程を縮めることが出来ましたが……」
他国のドラゴンに対する畏怖の感情を見誤っていた。帝国の人間からすれば、ドラゴンの住む禁域は神聖な場所であるが、余所から見れば恐怖の象徴でしかないのだろう。
「今日中には山を下りるんか?」
「そのつもりです。今はロードさんの連絡を待っていますが、誰かが妨害しているようで雑音が酷い」
その眼は掻き混ぜている鍋を見ているようで見ていなかった。それでも淀みない手つきは絶え間なく動いている。ふと気づいてリアナは理経にも聞こえるようにしてやった。
『……ている。合……たが……』
途中でぷつんと切れた。さざめくように、風がつむじ風を巻き起こす。
「ええ、ありがとうございます。またお願いしますね。……どうやら術の中心人物は城にいるようです」
「今のでわかったんか?」
「この世界は僕に好意的ですから」
「それはどういう」
「朝食の準備が出来ました。すみませんが呼んできて貰えますか?」
それ以上は詮索されたくないのだと悟り、理経は諦めて部下達に声をかけに行った。
「世界……」
何かに引っかかりを憶えてリアナは掻き回していた手を止めた。しかしそれが何かを手繰り寄せる前に、細い糸は途中で切れてしまう。時折探るような動きを感じては、紛れるようにして掻き消されてしまう。世界がそれを守るように。
これ以上考える前にやることがあると思考を切り替えて、リアナは続々とやってくるトートスの兵士達のために鍋を火から下ろした。
「これは……」
軽やかに撫でる感触を感じて、赤城は歩みを止めた。謁見の間へと繋がるこの白い廊下には彼以外誰もいない。己の張ったものから微細な隙間が開き、赤城はそれを防ごうとするも相手が優秀なのか、速度は驚くほど遅い。こちらから探ろうとすれば強固な拒絶が返ってくる。その繊細な制御もだが、同じ魔術師としてとても興味惹かれる相手だった。
常人には見ることの出来ないであろう、短い攻防は古くからこの地に根付いた赤城に軍配が上がったが、侵入者、それも内ではなく外にいる相手は相当手強い。
何者か。
真っ先に思い浮かぶのは故郷の同胞達。しかし、これ程の腕前を持つ相手となれば名の知れた者である可能性が高く、また彼等がトートスに干渉することはないはずだ。だとすれば。
「帝国ですね」
だが、と思案する。彼の記憶ではあそこの魔術師達は、赤城の故郷である北の魔術大国ロスティークとは魔術の系統が違うはずだ。悪くいえば大雑把、良く言えば実用に特化しており、こうした魔術を扱う術者になると限られてくる。
「面白い」
魔術師としての本能が疼く。
数刻後。
もたらされた知らせと共に、彼は機会を得ることになる。
まさかこの中央山脈を踏破して侵入するとは思わないのだろう、それそのものが自然の砦であるためか見張りなど無きに等しい。あっさりと首都元正に侵入を果たしたリアナ達は、既に用意されていた隠れ家へと移っていた。大多数が出入りするのはあまりにも怪しすぎるのだろうが、商家であれば不思議なことではない。帝国と戦時状態であろうとも、他大陸との貿易は行われているからだ。
因みにこの商家は、帝国の皇都にあったあの酒場と同じく竜騎士の手の者が商いをしている。勿論これだけの大きな商家として成長するために長い歴史を持ち、今ではトートスでも指折りの名家として名を馳せている。
その商家の奥へとリアナは招かれていた。勿論他国である大吾や理経達にこの事を教えるのは良くないので一旦別行動をしており、こことはまた別に潜伏先を用意している。
出されたお茶を飲んでいると、程なくしてロードが少々身体の肥えた男を伴ってやってきた。ここの店主である依土に違いない、
「これはまた麗しいお客様ですね、隊長。是非肖像画を書かせて頂きたい。きっと高く売れるでしょう」
男のかけた眼鏡がきらりと光る。値踏みするような視線にも気にすることなくリアナは初めまして、と拳を前に出した。男も同様にして拳を出すと、リアナの拳と軽く合わせる。トートス風の挨拶だった。
「時間があれば構いませんよ。僕はリトル・グルテア。『いえ、今は莉里でしょうか』」
「『これは申し遅れました、ここの店主をしております依土と申します。ここは人払いをしていますから、共通語(リエス語)で構いませんよ』」
当然ながら、国が違えば言語も違う。しかしこの大陸には共通語というものがあり、どこの国でも知識階層であれば大抵は話せるだろう。元々帝国ではリエス語が使われているので問題はない。
「では、お言葉に甘えて。……ロードさん?」
物言いたげな視線が気になって、リアナは依土の隣へと視線を移した。
小麦色の肌にくすんだ青色の髪、腕を剥き出しにした独特の衣装に身を包んだリアナを見れば、知る者ならば誰もが目を疑うだろう。ロードの部下によって施された化粧によってリアナは変貌を遂げていた。身分を示すためにわざと付けている耳飾りだけが、リアナであることを証明している。
「上々」
何のことだか判らずに首を傾げるも、己の恰好を見下ろしてこれか、と気づく。
「私も舌を巻く腕前でしたよ。なぜかこの衣装がぴったりでしかも女物なのかは敢えて聞きませんけれど」
「お察しの通りかと」
見た目との差が激しすぎる某竜騎士が腕を振るったに違いない。彼の人物とも面識があるのか、依土は苦笑しながら答えた。
「丁度二日前でしょうか。事前に送られていた荷物の中から衣装一式がございまして、疑問に思いましたが、貴方を見てぴんと来ましたよ。貴方なら似合う、とね」
「はぁ……」
何とも曖昧な返事になってしまうのはどうか許してほしい。後々この時描かれた肖像画が売りに出され、某公爵や某皇太子を筆頭とした者達によって、目を剥くような金額が動くことになる。
二重括弧はトートス語って事でお願いします。