山越え
鬱蒼と茂る木々が周囲を囲み、時折遠くから聞こえる咆哮が空気を揺るがす。その度にびくつく男達を横目に、リアナは火種に小枝を投げ入れた。ちろちろと炎がそれぞれの影を弄ぶ。
「冷えてきましたね。もう少し火を強くしましょうか」
リアナがそう言うなり、火元へ手を翳す。すると、活力でも入れられたように炎が急に大きくなった。
「ほんっと便利やなぁ。どうなってんのか俺にはさっぱり理解できんわ」
不思議そうに理経が炎とリアナの手を交互に見る。その隣で大吾が危ないからあまり火に近づかないで下さいと注意した。
「原理は簡単ですよ。世界の”大いなる意志”に働きかけるだけですから」
魔術に関連する本なら、まず始めにその一文が書かれている。それが全ての理であり、それさえ判ってしまえば後は簡単だ。
「その抽象的な物言いがまず判らんのや。何や、”大いなる意志”って」
「目に見えない世界の大きな流れ、でしょうか。こればかりは感覚ですから」
「同意」
「うぉっ!あんた、ちゃんと喋れるんやないか」
ここ二日ほど行動を共にして、初めて声を発したロードに理経が目を丸くする。それに苦笑しつつ、リアナは炙っていた芋をひっくり返した。
「やはり理解できん」
「すみません、説明が下手くそで」
しゅんと項垂れるリアナにロードが微かに咎めるような視線を大吾に向ける。底知れない黒い瞳に感情が宿っているのを見て、大吾は漸く肩の強ばりを解いた。砦に着いて直ぐに引き合わされたこのロードという男の得体が全く知れず、無意識の内に緊張していたようだ。胡散臭さでいえばその隣に座る黒髪の少年も同じなのだが、接する機会が多いので最近ではその本質が何となくだが見えてきている。彼は、命令がある限り裏切らないだろうと。
大吾がぼんやりとそんなことを考えていると、羽音がこちらへ近づいてきた。即座に警戒する青髪の男達の頭上を、さっと黒い影が飛び去る。
「皆さん、落ち着いてください」
無理もない、がいい加減慣れては貰えないだろうか?近くに最強と呼ばれるドラゴンの生息する禁域があるせいか、過敏になりすぎているようだ。緊張が常時高ぶった状態では、疲労の度合いもかなり違ってくる。
「こればっかりは本能やからな」
鞘から手を離しながら、理経が苦笑する。全く動じていないのは、リアナとロードだけで後の全員は耳を澄ませて周囲を窺っているようだ。
「剣で敵う相手ならばそれもまた良いでしょうけれど、貴方達の行っている事は全くの無駄です。これではトートスに着くまで体力が持ちませんよ」
「ドラゴンの加護があるあなた方にはこの恐ろしさが判らないでしょうねぇ」
生命の営みを全く感じられない静か過ぎる森。唯一、風が木の葉を揺らす音だけが森であると認識させてくれる。
やれやれと腰を下ろした緑破が食べかけの木の実を囓る。彼を皮切りにして、トートスの面々はそれぞれ緊張を保ちながらも食事に戻った。
「僕達に加護などありませんよ。たかが一匹御した程度で、他のドラゴンに襲われない保証はありません」
「それでも奴等を降しているじゃないですか。ああ、これは僻みではありませんからお間違えなきよう」
「降すという言葉は適切ではありませんが……これ以上は秘密です」
「おや、残念」
バーリアス帝国がこれだけの広大な土地を有しながらも成り立っているのは、この大陸で唯一ドラゴンを御する方法を知っているからだ。いや、御するという言い方も間違っているだろう、実際は力を借りているだけである。
一匹で一騎当千の働きをするドラゴンを各国は躍起になって手に入れようと、秘密裏に研究しているようだが帝国側からすれば苦笑するしかない。それはとても簡単なことだったから。
「しかし、本当に気味が悪いな。虫や動物の一匹もいないなど」
それ故、食糧の宝庫でもある。山菜や木の実はいうに及ばず、植物たちにとっては楽園と化していた。
「この森を突っ切れば直ぐにトートスの首都、元正に入ります。頑張りましょう」
「予定では後三日、だったか?」
「そうですけれど……この調子では先が思いやられますね。裏の手でも使いましょうか?」
「そんなんあるんか?」
「ええ」
その笑みに、大吾は嫌な予感しか浮かばなかった。案の定、それは的中する。
「それでは行きましょうか」
その光景を見れば、誰もが目を疑うだろう。それくらい衝撃的で、大吾など寿命が一気に半分にまですり減ってしまいそうだ。
見渡す限り、ドラゴン、ドラゴン、ドラゴン。
どのような方法でか、朝目覚めてみれば彼等はドラゴンに囲まれていた。飛び起きた大吾は言うに及ばず、これ程近くにいながら誰も起きる様子がないことに愕然とする。それでも守らなければという使命感から、絶望的な気分になりながらも剣を構えていると。
「あ、大吾さん。おはようございます」
ドラゴン達の隙間を縫うようにして、小柄な体躯が眼前に出た。その背にドラゴンを従えるような構図からまさかという思いが芽生える。
「これは一体どういう事だ?」
「昨日お話しした裏の手、ですよ」
「ああ、確か……」
ふ、と昨日の出来事が怒濤に押し寄せてくる。意味深な笑みに、首筋へと当たる軽い何か。次々と倒れていく仲間達。
その手には既に震えなどなかった。あるのは、研ぎ澄まされた殺気のみ。
「やはり、ロクロと繋がっていたのか!」
「貴方達を抹殺する為にわざわざ5万の兵を動かすと思っているのなら、自意識過剰もここに極まれり、ですね」
「貴様!」
「冗談ですよ。それよりも……落ち着いてください」
それはあまりにも自然だった為に大吾の反応が僅かに遅れた。しかし、その一瞬の隙はリアナにとっては十分すぎた。小さな身体からは想像も出来ない強い力が、剣を手首から叩き落とす。落ちた剣を足で跳ね上げて空中で掴んだ手際は鮮やかだった。その圧倒的な力量差に大吾は歯噛みする。
「簡単に説明すると、これからこの子達にトートスまで運んで貰います。その為には気を失っていた方が彼等の為、と判断しました。貴方だけ起きているのは、目が覚めた彼等に説明して貰うためです。目を覚ましたら突然別の場所に移動していた、なんて驚くでしょうから」
手の中で弄んでいた剣をリアナは大吾に差し出した。疑心暗鬼に陥りながらも大吾はそれを受け取る。
「……なぜそれを先に説明しなかった?」
「面ど……予想以上に動きが早くなりましたので」
絶対に今、面倒とか言いそうになっただろう!というのを無理矢理抑えつつも、溜息を禁じ得ない。
「というと?」
「ロクロが王位についた際に追い出された官吏達は馬鹿ではなかった、ということです」
バーリアスの手の者が市井に広げた噂は最初こそ馬鹿馬鹿しいの一笑に付されていたが、それに賛同する者達が増えてきたのだ。それには知識階層が関わっていることまで判っている。
「接触するつもりはありませんが、ロクロに対する疑念が高まってきている……この機会を逃す手はありません」
言っていることは理路整然とし、反対する理由がない。が、予めそういうことは相談してくれないだろうか?いくら、手を借りているとはいえ主導権を渡すわけにはいかなかった。
「事前に説明してくれと以前に告げたはずだが?」
「あなた方の話し合いでは出発が何時になるやら……。今求められるのは速さです」
トートス人は民族柄、何かを決める際には全員でという風潮がある。つまり、誰か一人でも反対すれば話がまとまらないのだ。勿論、国家体制としてそれでは成り立たないので、ある程度の代表は選ばれるが、それすらも他国に比べれば雲泥の差がある。国民の意思をより反映させる点では良いのだろうが、その分決定が遅くなる難点もある。
民族の違いをいえばきりがない。剣を鞘に戻すと、大吾はリアナに指示を仰いだ。