皇都での一幕
リアナがジュード救出に向かい、エーテルメリデ砦で指揮を執っている間の出来事です。
「間違いではないんだな?」
「不幸中の幸いっていうか、あのおっさんが間抜けすぎっていうか」
「あれがなかったら危なかったですね」
ヴァリアスの執務室に集まるのは珍しい顔ぶれだった。部屋の主に副隊長であるカラル、そして滅多に自室から出てくることのないクート。そして、書類片手にヴァリアスの前で報告するクレハとその横で妖しげな笑みを浮かべるチェルス。
それは本当に偶然が重なった結果であった。研究の実験とばかりに誰彼構わず薬物を混入させるマッドサイエンティストとトートス人を食い物にしようとした男が居合わせたのが運の尽き。子羊の皮を被った哀れな狼は、被りものを殆ど強制的に剥ぎ取られてしまった。
「確かにお前達のお陰で有益な情報が得られたのは確かだ。だがな、やるにも限度があるだろう。一般市民にまで被害を押しつけるのはやめろ」
「だってたいちょ~。趣味と実益も兼ねた絶好の機会を逃すなんてありえないです~」
「あたしはちょっと人肌寂しくなっただけよ。だってあの時は獲物がいなくて暇だったんだもの」
全く反省の色がない二人の竜騎士に、ヴァリアスは疲れたように目元を解す。
「最近は収まってたみたいだけど?」
「それはほら、坊やが相手にしてくれてたんだもの」
「……あいつってそういう趣味だったのか?」
チェルスの性癖を知っているだけにカラルは動揺を隠せない。しかし、本人の名誉の為にヴァリアスが渋々口を開いた。
「ただの模擬戦だ。あいつは武器なしでもいけるからな。リトルが素手でチェルスが武器ありのとんでもない試合だ」
ひくっとカラルが顔を引きつらせる。チェルスの武器といえば、えげつないで有名な恐ろしい物ばかりだ。それを自在に操る腕は素晴らしいのだが、それ以上に精神的に大きなダメージを与える要素が強い。それを素手で受け止めるなど、どんな化け物だとカラルは叫びたかった。
「僕もリトルがなかなか来てくれないから張り合いがなくてさ~。流石に顔色が悪そうな相手に毒を盛るほど僕は非道じゃないし~」
「いや、お前なら絶対に盛るだろ?実際この前俺の飯に盛ったよな?!」
「あれは頼まれ事だから~。偶には休憩も大切だよ、ふくたいちょ~」
「……どこのどいつだ?俺直々に根性たたき直してやんよ」
「さる高貴な御方ですけど~」
殺る気満々だったカラルだが、その一言で見る間に萎んでいく。ヴァリアスは馬鹿めと一蹴した。
「この二人を相手にするだけ無駄ですよ、隊長」
「そのようだな。時々あいつらと話していると、同じ言葉を話しているのか疑問に思う」
「同感ですが、今はそれどころでは」
「だな。……おい、お前達いい加減にしろ。クレハも今はそれを再起不能にさせるのはやめてくれよ」
こっそりと瓶の中身を近くのカップに混入しようとしていたクレハを諫め、ヴァリアスは大きく手を叩いた。見回して全員の注意を惹いたのを確認する。
「とりあえず危機は事前に回避されたが、次があるかもしれないからな。警戒は怠るなよ」
「了解。あ、殿下。それでゼイスからの報告なんですけど」
世間話序でとばかりに軽く渡されたそれに目を通したヴァリアスの様子が段々険しくなる。
「お前なぁ。……もっと早くに提出しやがれー!」
ぐしゃぐしゃに丸められた紙が宙を舞い、カラルの頭にヒットする。
それは新たにロクロの手の者を捕まえたという報告であった。
「お疲れ様です、副隊長」
「あれで一番参ってるのは殿下だからなー」
等間隔に並んだ光に照らされながら、二人の竜騎士は歩いていく。何時になく廊下が静かなのはこの階層の住人達の大半が出払っている為だ。物悲しく感じるのはそのせいだろう。
「先程隊長から受け取られたようですが、一体何だったのですか?」
気づいていたのかとカラルは苦笑する。ポケットにしまい込んでいたそれを開けて見せてやれば、クートは目を丸くした。
「贈り主は」
「よっぽど心配なんだな。リトルのこと」
「ですねぇ。相手が男というのが隊長らしいといいますか、リトルなら仕方ないかと思いますが……」
曖昧に言葉を濁すクートにカラルもまた視線を宙に浮かした。カラルはとある事情からリトルの話は聞かされている。それ故に、これに込められた想いがどちらかなのか迷うところなのだが、ヴァリアスの様子を見る限りでは額面通りに受け取っていいものだろう。
「隊長の将来が心配になってきました」
「いや、どう考えても邪な想いはないだろう、流石に」
「貴方と一緒にしないでください。それくらい私にも判っていますよ」
「だよな」
即座に否定が返ってきて、カラルはやや落ち込んだ。それに気づいているのかいないのか、眼鏡のフレームを上げたクートはですが、と続ける。
「隊長には婚約者も見えませんし、私生活でも多少誰かに連れられて遊んではいるようですが恋人もいないようですし……。二人を邪推する人間も多いのではないでしょうか?」
クートが言いたいのは、あの二人の距離が公私共に近すぎるという点だ。リトルといえば、女顔負けどころか最早人外の域に達している。二人が禁断の関係になったと聞いても違和感がないところが逆に恐ろしい。だが、ヴァリアスは皇弟であり、大貴族として婚姻は義務づけられている。そんな噂が立つのは双方にとってよくないだろう。
「それは否定しない、が、最近は新たな噂が流れてるんだな」
「そうなのですか?」
他人の醜聞に興味のないカラルは目を瞬かせた。
「結構有名な話だぜ。スフェンネル公爵令嬢に殿下と皇太子がお熱だって話は」
因みに出所はリュディアスだったりする。先日のお茶会の一件が使用人達の間でまことしやかに流れ、今では公爵令嬢の名が嵐の目となって吹き荒れている。それもリアナが皇都からいなくなったこのタイミングで。
「ああ、ジュードの妹君ですか。お会いしたことはありませんが、聞く限りでは素晴らしい女性のようですね。私の妻には負けますが」
「そういうことだ。まあ、だから安心しろよ」
カラルやクート達年長者にとって、上司でもあるヴァリアスは弟や子供のようなもの。その成長を微笑ましく見守っている。比例してからかわれることも多いのだが、全ては彼に注がれる愛故であった。