睨み合い
眼下では今も尚、両者が睨み合いを利かせながら緊張した状態が続いている。それを見下ろし、窓ガラスに映る自分の顔を見て、リアナは拳を握り締めた。
恐れは、ない。
当然だ。嘗てはこの空気に馴染み、淡々と何も感じることもなくただ機械的に腕を振るっていた。己が開いた赤き道に何も思うことはなく、ただそれを当たり前と受け止めていた過去。
それが今は悲しいと思えるなんて不思議だ。
小さな数にしか見えない兵士達にも大切な人がいる。それを壊すのが戦争。
「あまりにも愚かでそして……」
愛おしい。
空気を震わすことなく、リアナの心に消えることない一滴の雫が落ちた。
「異常は?」
「今のところは特に。あちらも出方を窺っているようです」
リアナの視力では、川を挟んだトートス兵士の一人一人の顔が明確に確認出来る。未だ動きを見せることのない川向こうから視線を外し、リアナは振り返った。そこにはマントを翻したジュードが入室してくるところだった。いつ衝突するかも判らないので、その身体は鎧を纏っている。
「任務、お疲れ様でした。彼等は何時来られそうですか?」
「父上に掛け合ってみたが、主要な馬は全て出払っていてな。隣のシューテン男爵領から届くまでは動けん」
「民が優先されるのは仕方のないことです。ですが男爵の馬なら明後日には公爵領を出発出来るでしょうね」
シューテン男爵領といえば、名馬で有名なところだ。そこを治める男爵家は一族全員が無類の馬好きであり、代々皇室に献上する役目を負っている。養子として引き取られて直ぐに贈られたリアナの馬もシューテン生まれだ。
「皇都はどうなっている?」
「順調ですよ。そろそろリュシーが来る頃だと……ああ、来ましたね」
急に空が翳った。俄に騒がしくなる砦内にリューグは一つ息を吐いて屋上へ向かった。ドラゴンといえば帝国を最強と言わしめる象徴であり、それが砦に到着したことで兵士達の志気が一気に上昇する。再び視線を遠くへやったリアナは、動揺する様がつぶさに伝わり、喉の奥で微かに笑った。しかし、即座に顔を引き締めると自身も屋上へ上がる。
そこには今にも踏み潰さんばかりにジュードへ頭を擦りつけるリュシーと、窶れたようなルークーフェルがいた。二体のドラゴンの間では、疲労困憊の体を浮かべた世話係、リトがへたり込んでいる。道中で様々な遣り取りがあったのだろうと、労いを込めてルークーフェルの首筋を撫でてやる。
「ご苦労様、ルー。リトもお疲れ様です。到着早々で申し訳ないですが、厩舎の確認をお願い出来ますか?」
「本当にお疲れ様だ。リュシーが煩くって仕方ねぇ。……おい、ジュード坊。暫くおめぇがリュシーの面倒を見ろよ。ずっと寂しがってたんだぜ」
「すまんな。世話になった」
「ふん。……ま、仕事だしな。それより坊主、お前に手紙だ。ルーは連れてくぜ」
不満げに鳴きながらもルークーフェルは手綱を引かれたリュシーの後に続いて、空を滑空していった。
「竜騎士、だと?」
もたらされた報告書を握り潰し、男は一層醜悪な顔を歪ませた。その怒りを間近に受けた哀れな男は、膝をついたまま身を震わせる。
「巫山戯おって。直ぐに役立たずを処分せよ!判ったら出て行け」
暗がりに消えたのを見計らって、男は手摺に拳を振り下ろした。痛みよりも先に怒りが沸き立つ。
「一体どういうことだ?あやつらは何をしている?」
男が計画したシナリオ通りならば、今頃帝国内は謎の流行病でパニックに陥っているはずで、とても国境に兵士や竜騎士を回す余裕など無いはずだ。だが実際には、さしたる混乱もなく国境での防備に徹している。
「赤城!赤城はどこだ!」
「ここに」
「おお。赤城よ、手の者はまだ残っておろうの?新たにあれを撒き散らすのだ。次は蜥蜴共が邪魔をする前に」
「御意」
深い溜息を押し隠し、赤城と呼ばれた男は暗闇へと消えた。
2012.1.25誤字訂正