里帰り5
「はいはい、どちら様だい……って、竜騎士様とそちらは?」
「こちらはリューグ・シアン・スフェンネル様です。お手数ですがミュリエル夫妻に取り次いでいただけますか?」
「こ、公爵様の?!た、ただいま呼んできますので、どうぞお上がりを」
粗末な家ですがと言い置いて慌ただしく奥へと走っていく女性。勝手に入ることも躊躇われ、玄関で大人しく待っていると再び女性がヨーテを伴って戻ってきた。記憶にあるよりも窶れた姿に胸が締め付けられる。極力目立たないようにしながらリアナはリューグの後をついていく。居間にある唯一の机にリューグとヨーテが向かい側に座り、その隣にリアナとフィアが座る。女性はお茶だけ出すと赤子を連れて出て行った。
「お久しぶりにございます、リューグ様。大層なおもてなしも出来ませんで申し訳ない」
「私の方こそ加減が優れないのに無理に押しかけてしまって。ご子息について改めて説明にきました」
「それをわざわざ伝えに?」
「ええ。あなた方の生活を守るのは我々の役目の筈なのに、気づくことが出来なかった。完全にこちらの失態です。本当に申し訳ない」
原因は思い込みだった。誰もが質の悪い風邪が流行っているくらいにしか認識していなかったのだ。そのため不在を預かっていた家令は例年通りの対策をし、それが発見を遅らせる原因にもなった。
リューグが頭を下げた。仰天したのは頭を下げられたヨーテとフィアの方だ。
「いや、そんな。いち早く救いの手を差し伸べてくださったのは公爵様方です。礼を言うのはこちらの方です。ありがとうございます」
互いが頭を下げ合い、ちっとも話が進まない。仕方がないのでリアナが横から助け船を出す。
「お三方ともそれくらいに」
「そうですね。こちらに来た役目を果たさなければ。……その前に紹介を。こちらがリトル・グルテア卿。我が領地から輩出した竜騎士です。リトル殿、こちらはミュリエル夫妻だ」
夫妻はリアナを見て驚愕に目を開き、穴が開かんばかりに見つめる。居心地悪そうにそれを受け止めたリアナは、本心を隠したまま左手を差しだした。
「初めまして、ミュリエル夫妻。僕はリトル・グルテア。気軽にリトルと呼んでください。今回子爵にご同行させて頂いたのは、お預かりしているフレイ・ミュリエルの様子をお二人に伝えるためです」
「待って!あなたは……」
「フィア!落ち着きなさい。竜騎士様に失礼だろう」
ふらふらと立ち上がったフィアをヨーテが諫める。漸く我に返ったようにフィアは座り直した。視線をリアナから外さないまま。それに気づきながらもリアナは姿勢を崩さないまま、当たり障りのない部分だけを端的に話した。聞き終えたフィアは安堵のあまり涙を流し、ヨーテはそんな妻を支えた。
「ありがとうございます。ありがとうございます……」
何度も口にされる礼に、リアナは微笑んだ。胸が痛い。一刻も早くこの場から立ち去りたかった。リューグに目配せして立ち上がる。
「私達はこの辺で失礼します」
「待ってください!」
扉へ向かっていたリューグの後についていたリアナは一拍おいて振り返った。リューグはリアナの肩を軽く叩いて先に行ってしまう。
「……何か?」
「あなた様はもしや……いえ、公爵様のお嬢様と面識はお有りで?」
「存じていますよ。ご家族に囲まれて健やかにお過ごしになっているようです。……では、」
頭を下げて今度こそ出て行こうとしたのだが、玄関が騒がしくなり、先程食堂で会った女性、ミーファが顔を覗かせた。
「ただいま、お義父さん、お義母さん。……あの、竜騎士様もわざわざありがとうございます」
「これも義務ですから。失礼」
リアナにしては珍しく、やんわりと押しのける形で外に出た。
帰りはリューグや彼の従者達と共にディルトンの公爵邸に戻る。リューグとベイルに話せる範囲で事情を説明し、ひとまずは解放された。竜騎士ということで邸内の一部屋を与えられる。そこは来客用なので、リアナの自室からは丁度正反対の位置に当たる。やることはいくらでもあるのだが、今だけは何もしたくなかった。柔らかなベッドが小柄な肢体を受け止める。
灯りもつけず、リアナは俯せのまま枕に顔を埋めていた。誰かが部屋に入ってくることに気づいていたが、リアナはまんじりとしたまま動かない。
衣擦れの音がやけに響き、ベッドの端が沈む。するりと黒髪の鬘が取られ、月の雫のような美しい髪が現れた。侵入者は感触を楽しむように指で掬っては、隙間からはらはらとこぼれ落ちていく。暫くして漸くリアナは顔を上げた。
「お義兄様」
「何です?」
「一緒に……」
微かに届いたその言葉に、リューグは虚をつかれ、滅多に見せることのない極上の笑みを浮かべて頷いた。髪を撫でる優しさに甘えてしまったリアナは恥じるように目を伏せたが、上から被さってきた重みに情けない声をあげる。
「本当に貴方は馬鹿ですね」
藻掻いていたリアナはぴたりと動きを止めた。暗闇ですら間違うことのない青紫色の瞳が宿す光に促され、リアナの涙腺が緩んでくる。リューグの胸に顔を押しつけるようにしてリアナは肩を震わせた。そんな妹をリューグは黙って抱きしめ続けた。