里帰り3
何だかんだで話しているうちに打ち解けてきたのか、砕けた調子で話しているところへ扉が激しい音を立てて開いた。女の息も絶え絶えな様子に女将が水を一杯持ってくる。
「どうしたんだい?ミーファちゃん」
「あの!竜騎士様がいるって聞いて。それで」
「ああ、旦那のことだね。竜騎士様ならあそこにいるよ」
一気に水を飲み干した女性は足早にリアナに近づくと、目の前で崩折れる。リアナが慌てて助けようと屈み、女性はその腕を力いっぱい掴んだ。咄嗟のことでリアナも膝をつく。
「貴方が竜騎士様?」
「え、ええ」
必死の形相にややたじろぎながらリアナは頷いた。
「フレイ……フレイ・ミュリエルが竜騎士様のところに保護されてるって聞いて……あの人は無事なんですね!?怪我とかしてませんか?」
縋りつくミーファを見かねてシャックスがミーファを離そうとする。けれどミーファは梃でも放すまいとし、リアナはただ呆然としていた。喉がカラカラに乾いて、上手く呼吸ができない。
「……フレイ・ミュリエルは元気にしていますよ。彼らが知らせてくれなければ、もっと病は広がっていたでしょう」
「そうですか。良かった……っ!あの人ったら、お義父さんとお義母さんの様子を見に行ってくるって言ったきり帰って来なくて」
安堵の涙を流すミーファに真実を伝えることはできない。本来ならば山賊を頼った時点で犯罪者として裁かれるのだが、今回は事情が事情なだけに事実は伏せられることになっている。なので公式文書として公爵に伝えた、
若者たちは遠く皇都まで病を治せる医者を探しに来た。その際相談を受けた医者が元は城勤めの医者で即座に王宮に連絡を取り、いち早く対策を立てることができた。感染の被害を防ぐために現在若者は竜騎士の元で保護されている。
と説明する。
どうやらそれはまだ聞かされてなかったようで、村人たちもそうだったのかと納得している。フレイの名でつい口にしてしまったが、今更ながらにまずいのではないかという懸念が過ぎる。本来ならば公爵家の人間が真っ先に告げるべき内容をリアナが伝えてしまったのだ。幸いにしてこれまでスフェンネル公爵家は領主として領民たちに敬われているが、何故すぐに公爵家が知らせてくれなかったのかと不満が残るかもしれない。
此処に来るまでリアナはルークーフェルのお陰で短時間で来ることができたが、皇都で準備を整えて更に自らが駆けつけるまでには最低でも半月はかかるだろう。実際公爵が皇都別邸を出発したのはかなり前のことだ。リューグは指揮を執るために、医師団と出発して行ったがその間に割ける人手は殆ど使っていたはず。そうなれば、独断専行した若者たちのことなど後回しにされてもおかしくないことだ。
「失敗したな」
「リアナ様?」
呟きを拾ったシャックスが声を潜めて名を呼ぶ。周囲の意識がすっかりミーファに向いているのを二人とも見越してのことだ。
「おーい!誰かフィアとヨーテに伝えて来いよ」
「じゃあ、あたしがひとっ走りしてくるよ。二人ともまだ病み上がりなんだろう?シェイも連れてくるよ」
「す、すみません」
「こういうときはお互い様さね。あんたは良くやってるよ。少しくらい頼ってくれていいんだよ」
「ありがとうございます」
気を利かせた村人の内の一人が走っていく。宿屋の主人が集まった全員に昼食を振る舞い、村人たちも一緒になってフレイの無事を喜ぶ。
「よし。今日はフレイの無事が判った祝いに、あいつの昔話をしてやろう」
「ミーファちゃんを泣かせた罰だ。帰ってきたらおもいっきりからかってやろうぜ」
「おう!それなら俺達も手伝うぜ。こんな別嬪な奥さんを泣かせるなんて男の風上にもおけねぇ」
「そりゃ助かる。よし、じゃあまずは……」
小さな村なので、住人全員が顔見知りである。それはつまり、子供の頃の悪戯や失敗もすべて知られているわけで。それに便乗した兵士達が囃したて、宿屋では笑いの渦が巻き起こった。
「なんだかすごいな」
「そうですね。でもそれが彼らなんです」
シャックスには珍しい光景だろう。そもそもの生活環境が違うのだから。
「彼らにとって、この村全体が家族なんですよ。家族の喜びを全員が分かち合い、そして助けあう。誰もがこうであったら素敵ですよね」
現実は違う。妬みや恨みが渦巻き、少しでも優勢に立つために相手の弱点を粗探しする。表面上では笑いながら、背中で刃物を隠すなんて当たり前の世界で生きてきたし、これからも生きていくのだろう。その中でもかけがえの無い人達を見つけてしまった。例えそれが誰かの為であっても、自らが選んだ世界だ。二度とあそこへ戻ることはない。
「随分遠くなった……」
シャックスは唐突に理解した。笑顔に押し隠されたその悲しみも、そしてここがリアナにとってどんな場所なのかも。