虜囚 中編
第二弾をどうぞ。
皇都
牢屋の一角にて、リアナは大吾と向かい合わせにお茶を飲んでいた。過ごしやすいようにと配慮した結果、牢屋というよりも、普通の宿舎と変わらない設備を備えている。
「というわけだ」
「そうですね。ジュード様からちっとも連絡が来ないのも心配ですし」
部下達が心配だから一度根城へ戻りたい。要約するとそんな内容だった。渋るかと思っていた大吾は、随分あっさりと返事が同意が得られて予想以上に拍子抜けする。
「私から言うのもあれだが、本当にいいのか?」
これまでに何度も思うことだが、裏切るという懸念はないのだろうか?
「問題ないです。理経様はこちらの手の内ですから」
「これだけ隙だらけならば、理経様を連れて逃げることも訳無いぞ?」
「ご自由にどうぞ?但し、その先は保証しません」
あくまで余裕を崩さないリトル。その自信は一体どこから来るのか知りたいところだが、有無を言わせぬ笑顔に怯んだ。お茶を飲むために視線が逸らされたところで、大吾は己の不甲斐なさに力無く肩を落とす。こうして笑顔で煙に巻かれることもしばしばで、一々怯んでしまう自分が何と情けないことか。
因みにこれはリアナの周囲の人間にも言えることで、彼だけではなく大抵の人間がそうやって有耶無耶にされている。深く突っ込めるのはこの国の皇帝夫妻かスフェンネル一家だけだろう。
「ところで、そのジュード殿とは?」
リアナの口元が僅か綻んだことに気づかず、大吾は一息に中身を飲み干してカップを置いた。
「ジュード様は僕と同じ竜騎士の一人です。現在”青海の山賊”の根城へ行ってもらっています」
「初耳だぞ」
「言っていませんから」
ここで怒ったところでどうしようもない。どうしようもないと判ってはいるのだが、なぜもっと早くに教えてくれなかったのだと声高にして言いたい。大吾は駆け引きが苦手なのだ。何度もこうして辛酸を舐めている。
「二日前から連絡を絶ちました。ジュード様のことですから恐らくあちらで何かあったのでしょう」
「まさか」
「ご心配なく。貴方方の部下を傷つけるという行為は一切禁じています。彼の目的は理経様に接触することですから」
つまり皇都だけでなく、本拠地まで既に目をつけていたということだ。その手際の良さに呆れるよりも感心してしまう。
「だが、既に理経様は貴殿に保護されている」
「そうです。けれど、ジュード様はそれをご存じない……」
「ふ。竜騎士も大したことがないようだな」
同じ考えに至ったようで、大吾はここぞとばかりにやり返す。しかし腹を立てるかさらりと受け流すかのどちらでもなく、反応は大吾の予想を大きく外れた。
「ジュード様は少々責任が強い方ですから、無理をなさらないといいのですが」
「……珍しい」
「何か?」
「気のせいだ」
寧ろ任務の邪魔だと簡単に切り捨てそうだと思っていたので、かなり意外だった。これはヴァリアスとの遣り取りがそう思わせているだけで、実際のリアナは身内に相当甘い。リアナの部下達が慕うのもその辺りだったりする。
「とりあえず許可だけ取りに行ってきますので用意しておいてください」
足早に出て行ったリアナを見送ってしまってから、大吾は今が夕暮れの時刻であることを思い出し、夜通し駆けるつもりだろうかと顔を青ざめさせた。
早速里帰りを申請するためにヴァリアスの執務室へやってきたリアナは、ソファでくつろぐ人物を認めて目を見張った。それも僅かのことで、即座に踵を返して茶器を用意し、再び戻る。
「来られるなら告げてくださればよかったのに」
「手間をかけさせて悪いね。ヴァリーは気が利かないから」
「俺がお茶を淹れられると思ってるんですか、兄上?」
「うん?ヴァリーに淹れさせるくらいなら、飲まない方がまだいいよ」
言外に不味いからいらないと言われたヴァリアスはただ肩を竦めただけだ。香り高い芳香に誘われるようにして一口口を付け、美味しいと賞する。リアナは黙って頭を下げた。そのまま出て行こうとしたところで呼び止められる。
「そういえばリトル君はヴァリーに何か用があったんじゃ?」
「いえ、リュディアス様を煩わせるほどの用事ではありませんので」
「兄上は気にするな、リトル。単に息抜きに来ただけだ」
「その通りだから、どうぞ?それとも僕がいたら邪魔なら席を外すよ?」
皇帝に席を外させるなんて滅相もないとばかりにリアナは首を横に振った。リュディアスは少し寂しそうだったが、促されて渋々隣に腰を下ろす。ヴァリアスが不機嫌そうだったが、リュディアスに遮られてリアナからは丁度死角になって見えない。
「三日、いえ二日でいいので里帰りを許可願えませんか」
「突然だな。公爵から急に喚び出しでもあったのか?それともウェイザー子爵か」
「違います。実は……」
切り出された内容に段々ヴァリアスの顔が険しくなっていく。
「それは確かに心配だな。だがお前でなくても替わりは他にいるだろう。今お前が居なくなるのは困る」
リアナは今回の案件で重要な役を任されている。何時戦争になるかもしれないという情勢もあって、ヴァリアスが手放したくないのも当然だった。反論しようとしたリアナを遮り、それまで見守っていたリュディアスが口を開く。
「僕は別に良いと思うよ。働き過ぎのリトル君にも偶には休暇もあげないとね」
「兄上は口を出さないでください」
「えー、だったら皇帝命令ね。竜騎士グルテア卿は三日間の休暇後、スフェンネル士爵と共にエーテルメリデ砦にて待機を命じる」
「兄上!一体どういうおつもりですか。エーテルメリデ砦に派遣などと」
その砦はトートス国境付近に位置し、国境線を守っている。そこへ竜騎士を派遣するとなれば、いよいよ開戦の色が濃くなってくる。
「リトル君は行ってくれるよね?」
「陛下のご命令とあれば」
ヴァリアスを一切合切無視したリュディアスにリアナは首肯する。その返事に満足し、リュディアスは頭を撫でた。
「全く、ヴァリーの子守も大変だね」
「慣れてますから」
「そうだ。これをスフェンネル公爵に渡してくれるかな」
懐から出した二通の手紙を受け取ったリアナにリュディアス笑顔を見せ、未だに不満そうなヴァリアスを一瞥して立ち去った。
「リトル。俺は」
「トートス国境に兵が集結しています。数は二十万から三十万」
まとめて明日報告するはずだった書類を渡す。その詳細にヴァリアスは息を呑んだ。
「……だが、何もお前でなくても他にいるだろう」
戦争を知らないリアナが行くよりも、戦争を知る世代の竜騎士に任せればいいという、ヴァリアスの優しさだ。戦場に向かわせるには若すぎると。
「単なる抑止力ですよ。開戦なんてさせません。でしょう?」
竜騎士の存在はそれだけで牽制になる。戦時における彼等の活躍は華々しいもので、それ故彼等は畏怖の対象として周辺各国から恐れられている。
「俺の護衛はお前だけだ」
「ええ、そうです。だから早く迎えに来てくださいね?」
「……普通は逆だろう」
「偶には僕だって迎えに来てほしいんですよ」
「善処する」
「頑張ってください」
小さな背に気をつけろよとだけ告げて、別れた。