馬車の中で
店内は薄暗く、扉の僅かな隙間から外の光が漏れている。掃除のためかカウンターに上げられた椅子を三人分下ろして、リアナは座るよう促した。閉店中に入ってきた客を咎めることもなく、こちらを一瞥したマスターは黙って外へ出て行く。
「お前はリトル、か?」
「そうですよ、ヴァリー。見てのとおり僕は今、仕事中です。護衛は?」
「捲いてきた。……あ、いや違うぞ。あそこのフルーツパフェを食べに来ただけだ。で、あいつは甘いのが嫌いだから外で待たせている」
明らかに視線を泳がせるヴァリアスにリアナは小さく溜息をつく。ヴァリアスは護衛を何だと思っているのか。
「担当はロッドでしたね。護衛対象に捲かれるなどこちらの失態です。後で鍛え直さなければ」
「いや、その、許してやってくれないか。俺が態と捲いたんだ」
リトルの鬼畜っぷり、もとい鬼教官ぶりは、自他共に認めるほどで、竜騎士でも1,2を争うほど厳しい。嫌が応にも実力はつくのだが、その過程たるや大の大人が震え上がるほどの訓練内容と有名だ。
以前、某砦で行われた訓練にてそれを目の当たりにしたことのあるヴァリアスは、心の底から震え上がったものだ。あの恐怖は未だ根付いている。
余談だが、訓練を終えた後の砦の兵士達の動きは目を見張るほどで、定期的な模擬戦で全戦全勝を果たしたというおまけ付きだ。
「存じております。貴方が本気になれば、大抵はついていけないでしょうから。それでもやるのが護衛です。実力不足で護衛できなかったと言い訳にはならないんですよ」
「すまなかった。俺が悪いんだ。ロッドにあまり無茶な訓練はさせないでくれ」
「善処しましょう。……ヴァリーのお説教は後です。マスター、用意は?」
「裏口に呼んでおきやした」
いつの間に戻ったのか、マスターが壁に凭れて待っていた。全く気配が感じられなかった二人は驚くが、リアナはマスターを見ることもなく淡々と紡いでいく。
「ありがとうございます。すみませんがもう一つ、二軒先の喫茶店の支払いをお願いします」
「気にせんでくだせぇ」
「また飲みに来させてもらいますよ」
実はここの酒場。三桁ぞろ目隊御用達の酒場で、主人も隊員である。当然それは隠されているが、情報を売買する店として裏では有名な酒場だ。
パフェ代に少し上乗せして、呼んで貰った辻馬車に二人を乗せる。最後に乗ったリアナは口を開こうとした大吾を制した。扉を閉じれば馬車は目的地に向けて走り出す。歴史あるバーリアス帝国の皇都というだけあって、城下は勿論、主要な道は全て綺麗に舗装されているので、揺れは極端に少ない。
流石に走る馬車に聞き耳を立てるのは難しいだろう。景色が動くのを確認して、リアナは向き直った。
「お陰で助かりましたけど、先の通り彼の行動は完全に想定外でした。彼は同僚ですが、今日の午後は休みなんです」
「では偶然だと」
「ええ。証拠はないので信じて頂くしかないのですが」
探るような視線をリアナは受け止めた。双方が出方を探り、やがて大吾の方から視線を外す。どうやら一応信じてはくれたらしい。
一方ヴァリアスから見れば、二人が見つめあっている様にしか見えず、面白くなかった。腹心に声をかければ、冷ややかな態度で接しられ、益々苛立ちが募る。
「おい、リトル!一体どういう事だ」
「どうもこうも、予め説明して許可も頂いたはずですが?まさか憶えてないなんてこと、ありませんよね」
ここ最近、仕事中に上の空であることを承知で訊ねるリアナに、ヴァリアスは冷や汗を流す。自分が認可しているのだ、一度内容を読んでいるはずなのだが、記憶を攫っても欠片も憶えがない。
「はぁ。余程お疲れのようですね。やはり一度、長期休暇を取られてはいかがですか?今回の件が終わったら調整しましょう。だからそれまでは頑張って下さい」
違うと否定したかったが、確かに成人してから数年、まとまった休日を貰ってないことを思い出して言葉を呑みこんだ。疲れているのかも、しれない。心にゆとりが持てれば、このもどかしい気持ちも収まるだろうか。同じ顔で別人の人間が傍にいるだけで、ともすればどうかなりそうだ。反射的に手を伸ばそうとするのを、これはリトルだと言い聞かせて我慢する。特に今のような恰好は、ヴァリアスにとってサフラをぶら下げられた馬と同じだ。
頬を緩ませては落ち込むのを繰り返すヴァリアスに、城に戻ったらヴィエッタに相談しようと決めた。母親代わりでもある彼女ならきっとどうにかしてくれるだろう。不甲斐ないが、ここ数日何かに悩んでいる様子のヴァリアスがリアナに口を開くことはなかったから。
少し寂しいと思うが、我が儘は言っていられない。これでも軍部を握る一角なのだ。彼の一つ一つの決定が大きな意味を持つ。それまで致命的な失敗もなかったので見守っていたが、仕事に支障を来すようでは放置しておくことが出来ない。