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天と地と  作者: aaa_rabit
第三章
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『死』の恐怖

 がむしゃらに走ってきたので、立ち止まった時にはここはどこだろうと本気で思った。バルコニーを飛び越え、飛び出た屋根の部分に座り込む。見回りの最中なのだろう。眼下では光源を持った近衛兵が通り過ぎていく。

 雲に覆い隠された月へと手を伸ばして握り締めた。暗闇の中で、僅かな光を見つけようと藻掻く。胸が引き裂かれるように痛かった。


「お父さん、お母さん」


 今も苦しんでいるのだと思うとすぐにでも飛んでいきたい。あの家を出た時に決して泣くまいと我慢したはずなのに、水滴が両目から溢れていく。

 『死』という文字が心を過ぎった。あれ程身近にあった死を、この世界では一度たりとも感じたことがなかったのだ。しかし今になって、初めてその重みを知る。

 神の娘にとって死とは魂の消失。肉体は己が世界に還り、魂は次なる世界を作る礎になるのだ。見えることは二度とない。


「逝かないで。私を置いて逝かないで……っ」


 これが大切なものを失う痛みなのか。届かないと判っていても、手を伸ばさずにはいられない心が今なら判る。嘗て死を与える己に乞うた、男や女の姿が走馬燈のように思い出された。


「誰だ!」


 誰何の声に驚き、雫が落ちるのも構わずリアナは下を覗く。丁度隠れていた月が雲間から顔を覗かせる。お互いを認め、目を見開いた。なぜここにいるのか。


「リトル……泣いているの?」

「いえこれは、何でもありません」

「ふぅん。じゃあ僕の頬に落ちてきた水滴は雨なのかな?」


 水滴を拭った指先を舐め、しょっぱいと舌を出すジェラルド。おいで、と手を差し出されれば従うしかなく、体重を感じさせない軽やかな動きで地面に足をつけた。なぜか泣き顔を見られたくなくて、服の袖で乱暴に涙を拭う。ジェラルドはそれをやんわりと押し留め、懐から出したハンカチで拭いてやった。透明な雫が染みこんでいく。


 されるがままになっていたリアナだが、草を踏む音にはっと顔を上げた。同様にしてジェラルドも屈んでいた腰を上げて同じ方を向いている。身体を硬くしたリアナに、今は見られたくないだろうと咄嗟に手を繋いで走り出した。


 

 腕を引かれるまま連れて行かれたのは、いつぞやの温室。夜にだけ咲く花々が、月の光に照らされ美しく彩っている。三年前のあの日と同じ場所で同じようにして机の上に座らされた。互いに成長し、ジェラルドが椅子に座っているにも拘わらず、視線の高さがあまり変わらない。


 これまで張りつめていた感情が一気に溢れ出したせいか、いつまでも大粒の涙が溢れ出てくる。恥ずかしくて俯かせるリアナの目元にジェラルドは口を寄せた。目元の湿った感触に、驚いて泣くのを忘れる。


「あ、の。ジード様?」

「うーん。泣いてる姿もそそられるけど、やっぱり君は笑ってる方が良いな。ということで。ほら、笑え」


 至近距離で顔を合わせたまま、頬を左右に引っぱられる。


「ふぃ、ふぃーほふぁま、いひゃいへす。ひゃなひてくりゃひゃい」

「嫌だね。それにしても…ご、めん…今の君だと元の顔が台無しだな」


 泣き腫らした赤い目に、眉尻を下げて頬を伸ばされている何とも間抜けな顔。どれだけ元が綺麗でも折角の美貌が形無しだ。

 肩を震わせるジェラルドを睨みつけ、赤くなった頬を擦る。


「そんなに笑わなくても」

「いや、だって。あのグルテア卿が……!」


 歩く凶器とさえ密かに呼ばれているほどの超絶美形は、何をしても絵になると専ら評判だ。しかし、誰もこれ程情けない姿を見たことがないに違いない。


「名誉毀損で訴えますよ」

「皇太子たる僕を?いい度胸をしているじゃないか」

「皇族であろうと、人の名誉を侮辱していいことにはなりません」

「そんなことを僕や父上に面と向かって言うのは君くらいだ」

「同じ人には変わりませんから」


 特にリアナの前には、無意味な問題だ。自身の存在が超越しているために、今は単に身分という人間のルールを守っているに過ぎない。


「そう。僕達は所詮同じ人間だ。でも周りは同じと見てはくれない。それは確かに必要なことだけど、時々苦しくなるよ。だからかな。君の傍にいると楽になるよ」

「ジード様……」


 背中に回された腕の力が強まった。肩に乗せられた頭をそっと撫でる。ヴァリアスもだが、見た目に反して柔らかい毛質をしている。きちんと櫛を通しているからか、指先からこぼれ落ちるようにさらさらと抜けていく。


「なんだか僕の方が甘えているな」

「そんなことありません。お陰で涙も止まりました」

「君が泣くなんてよっぽどだろうけど、敢えて理由は聞かない。でも、一つだけ約束してくれないか?」

「出来る範囲でなら」


 忍び笑いが耳たぶを擽る。


「正直だなぁ。そこは同意するところだよ」


 かぷと首筋を囓られ舌を這わされて、声にならない悲鳴を上げるリアナ。それにまた笑って、ジェラルドは上体を起こした。


「泣く時は僕のところへ来ること。簡単だろう?」

「え?いえ、それは……」


 今回は完全に想定外だっただけで、泣き顔を晒すつもりは全くこれっぽっちもなかった訳で。どうしたものかと思案していると。


「約束しないとキスするよ」

「判りました。約束します」


 反射的に答えてしまってから、しまったと慌てるももう遅い。それだけでなく、ちゅっと軽い音を立てて唇が重ねられた。


「狡いです。今のは卑怯だ!」

「約束したらキスしないとは一言も言ってないよ。普段からこれくらい隙だらけだと簡単なのになぁ」


 動揺している今だからこそ言質が取れたともいう。あーうー唸っているリアナを横目に、ジェラルドはほくそ笑んだ。




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