天国か地獄か 前編
ヴァリアス兼竜騎士達の補佐であるリアナにも、竜騎士の一人として執務室を当てられている。その隣にはリアナ直属部隊の待機室があり、リアナの用事はそこにあった。
「隊長!どうしたんですか、こんな時間に」
隅の机で仕事をしていたそばかすの浮いた副隊長が、唐突に現れた上司に虚をつかれる。太陽はまだ中点を越えていない。
「騎士長の仕事が一段落したから見回りに来たんです。他の者は?」
「倉庫の備品整理に行ってますけど……」
見回り、と聞いてぎくりと身体が強ばる。嫌な予感をひしひしと感じながらも、答えた。
「リックさん、少しだけ時間ありますよね」
「いえ、僕は先月の経費の計算中ですので無理です。これの締め切り明日なんですよ」
元々経理課で働いていたリックだが、偶々兵庁の担当でもあったことでその仕事ぶりを目につけられ、リアナに引っこ抜かれた経緯がある。
その彼でさえ、リアナの仕事量に比べれば微々たるものだ。隊長であるリアナの意向(門限がある)で残業の許されない職場では、常に全力で当たらないと仕事が片づかない。そして明日までに片づけなければならない書類の束が、あと二つほど残っているのだ。
「時間、ありますよね?」
片づかないのだが。有無を言わせない圧力を感じて、一心不乱に動いていた手がようやく止まる。視線を合わせるな、視線を合わせるなと念じながらも米神から伝う汗が、書類に染みを残す。
「副隊長ー、倉庫の整理終わりましたぜ」
おお。神は僕を見捨ててはいなかった!
ウェイアーに感謝を捧げ、丁度良いタイミングで戻ってきた隊士達を涙目で迎えるリック。その視線を受けた隊士達は、何事かと首を傾げ、この時間は騎士長の執務室に詰めているはずの上司を認めて固まった。
「たた、隊長!?何でここに……」
「おや、皆さんお疲れ様です。この後は確か訓練の時間でしたよね」
「は、はひ!」
裏返った声が、ここにいる者達全員の心情を表している。決められたスケジュールがあるから上司がやってくることはほとんど無い。つまり例外という名の変更がない限り。
訓練で扱かれるだけならまだいい。問題はそれ以外の、つまり雑用係としての方だった。予定にない雑用は、大抵録でもないと相場が決まっている。
「それ、中止です。今日は一斉掃除を行うことになりました」
笑顔で告げられた死刑宣告に、全員が固まった。それに気づかず、鐘が三つ鳴る頃に集合してくださいね、と宣い出て行く。ぱたんと扉が閉じられて一拍後。絶叫が上がった。
「うぉい、どういうことだよ!前回掃除してからまだ一月経ってないはずだぜ?」
「今度こそまともな方々の部屋に当たりますように」
「駄目だ。俺の命は今日で終わりだ…」
予定を確認する者、或いは運を少しでも良くしようと神に祈る者、果ては遺書まで書こうとする始末。青ざめながらも準備をしようと動く者は一割にも満たない。つまり、一人か二人。
この場の収拾をつけられるのは、リックだけだ。頃合いを見て声をかけるか。そう考えて、再び意識を書類に戻した。
今彼等の目の前には、これからの運命を決める重大なものが置かれている。簡単に言えば部屋割りのくじ。誰がどこの場所を担当するか。運が悪ければ、良くて軽傷、最悪死ぬかもしれない。逆に運が良ければ、労いと称してお茶を振る舞われたりする。正に運命の分かれ道だった。しかも一年は同じ担当になる。
名前を呼ばれた者、つまり階級順に呼ばれるのだが、一人一人がこれから断頭台に登るような気持ちでくじを引いていく。全員に行き渡ったところで、開けてくださいと号令がかかる。ごくりと唾を飲み、男らしくえいやっと開けた。この後は先程と同じく現実逃避コースへいく者もいるのだが、生憎時間を無駄にしない麗しの天使様が降臨されているため、無理矢理現実を叩きつけられる。言ってしまえば強引に連行される。
人生何事も諦めが肝心なのだ。流石にリアナと付き合いの長いベテランなどは、既に悟りきっているので虚ろな眼差しながらも目的地へと歩いていく。
11/1小話を外伝部屋に移動しました。一部レイアウト変更されていますが、内容は変わらないです。