真相
八つ当たりだと判っていたのだ。リアナの悲愴な顔を見て瞬時に血の気が下がったのは言うまでもない。それでも口は独りでに動き、気づけば廊下を歩いている。
まさに後悔先に立たずとはこのことだろう。話も聞かずに勝手に決めつけた挙げ句、決して口にしてはいけないことを放ってしまったのだ。胸が痛い。
肺が空っぽになるくらい大きな溜息が自然について出る。
そもそもの元凶はあの皇帝だ。あろうことかリアナを皇太子妃にと打診してきたのだ。リューグの母は前皇帝の妹で、時折皇族とは婚姻を結んでおり、別段おかしな事ではない。スフェンネル公爵家は今時珍しい貴族で、代々の当主は良く言えば欲がない、悪く言えば引き籠もりばかりの変わり者として有名だ。
本人達の心情としては面倒は嫌いという一点につきるのだが、権力を欲する者達からは羨むばかりの名門一族で、皇族にしてみれば体の良い一族だ。どの貴族も口を出せない名門で、しかもその一族は中央権力に興味がない。これ程便利な外戚はいないのだ。
そんな公爵家から皇太子妃を輩出するのは全く問題ない、のだがリアナは事情が違う。リアナは養女で、皇族や公爵家の血を一滴も継いでいないのだ。血統主義社会において、これ程マイナスになるものはない。当然貴族院が認証するはずもないし、議会は大きく揺れるだろう。
しかし公爵もリューグも絶対に貴族達の反論を許さないだろう証拠があることを知っている。澄み切った混じり気のない紫の瞳。神に愛されし初代皇帝の血を引く者しか持ち得ないその色を持っていることは大きな意味を持つのだ。
本気になればリアナは簡単に奪われてしまう。それは公爵もリューグも望んではいないのだ。仕方なかったとはいえ彼女を養父母から取り上げたのは二人の中でしこりとなっている。せめて穏やかな生活を、と望んでいるのに周囲がそれを許さない。
机の前に両腕を組み、額を乗せる。机の木目を何と無しに見つめながら打開策を探っていく。とはいえ皇帝の方が一枚上手だ。机の上に置かれた料紙を苛立たしげに睨みつける。
正式な押印で封をされた皇妃主催の茶会の招待状。宛名はリアナ。
社交デビューをしていないリアナを呼ぶための茶番だ。ごく私的なもので断ることも可能だが、社交界へと出る際に皇妃の茶会を欠席した人間として名が傷つくのは必至。加えて出席者は皇太子妃候補と目される令嬢ばかり。
何が楽しくてそんなところへ可愛い妹をやる兄がいるだろか。頭が痛い。
扉が叩かれる音に入室を許可する。入ってきたのはシャックスとリューグの専属護衛兼侍従であり、シャックスの兄シェイスだった。
時間を空けて連れてくるよう指示したのを思い出す。
「若君」
「ご苦労でしたシェイス。シャックス、先程は取り乱してすみません」
「いえ。私の不手際で、リアナ様の逃亡を許してしまったのですから」
処罰は当然のことだと生真面目な答えにリューグは苦笑する。頑固さは兄以上のようだ。
「あれを止めるのは不可能でしょう。それよりなぜ勝手に抜け出したのか教えてください」
「それは…」
歯切れの悪い答えにシェイスがはっきり言えと弟を叱責する。シャックスは尚も逡巡したようだが、迷った末に切り出した。
それを聞いて二人は目を丸くした。
数時間前のこと。朝食を食べ終えたリアナは、庭の手入れのために質素なドレスに着替えていた。公爵家の皇都別邸の庭は専属庭師も雇っているのだが、彼は気のいい人物で、リアナに時々手伝わせてくれるのだ。いつものように庭師に借りた藁帽子を被り、スコップを片手にせっせと土いじりする姿は、ぱっと見ではとても貴族とは思えないだろう。
だから油断していたのだ。手入れに夢中で背後を取られたことに気づかなかった。
「おい、そこの侍女。リトルという少年を捜しているんだが知らないか?」
「…………」
「聞いてるのか!」
「…………」
「おい!」
「ふぁい!」
ぽんと肩を叩かれ飛び上がらんばかりに驚いたリアナは振り返った瞬間、目を見張った。同様に相手もまたこちらを凝視していた。ここは裏庭で、間違っても彼のような者が入る場所ではないのだが。
リアナは内心の動揺を押し隠して目を伏せる。
「……何の御用でしょうか?」
「あ、いや」
ヴァリアスは驚いていた。まさかあの歩く凶器といっても過言ではないリトルと同じ顔がこの世に二つもあるのだから当然だ。本人かと思ったが、声も違えば服も明らかに女物。
「お前はリトルの双子か、兄妹か?」
「……」
ここで頷けば、リトルという人物の生い立ちそのものが嘘になってしまう。彼の家族構成には両親しかいないのだ。まさか本人です、とは言えず沈黙を選ぶ。髪は帽子の中で隠され、瞳の色は帽子の陰になって黒紫色に見えなくもない。想定外の出会いに、どうするべきかと首を横に捻っていると笑い声が届いた。
「あははは。いや、すまない。あまりにも兄妹でそっくりだからな」
「……」
勝手に解釈してくれれば願ったりだ。そのまま沈黙するリアナに気を悪くした様子もなく、ヴァリアスは言葉を継いだ。
「ところでリトルを知らないか?昨夜はこっちに戻ったんだろう?」
「兄はええと……そう、領地!自分の領地の様子を見に行きました。畑が気になるようでして」
「そうか。休日だから誘いに来たんだが残念だな」
苦しい言い訳かなと思ったのだが、あっさりと退いてくれたので知らずに握っていた拳を解いた。緊張で手の平は汗がびっしょりだ。
「ところで」
「っはい!」
「そんな緊張しないでくれ。無視されて怒っているわけではない」
気軽に頭をぽんぽん叩くヴァリアス。どうやら一々大きな反応をするリアナを怖がっていると勘違いしたらしい。大人しくしていたリアナだが、ヴァリアスの服装を見て嫌な予感がした。
「お前、甘いものは好きか?」
「それは好きですけれど……」
警鐘が頭の中でがんがん鳴っている。ここで回れ右してすぐに屋敷内へ入るのだ。聞いたら絶対後戻りできない。
「なら丁度良い。ちょっと付き合え」
「はい?……ってうわっ!」
ヴァリアスに腕を取られ門へと歩いていく。庭師が目を丸くしているのを尻目にヴァリアスが少し借りていくぞと声をかけて通り過ぎた。リアナが握っていたスコップや、藁帽子を押しつけるのを忘れない。
「リアナ様!?」
「シャス!!」
「そこのお前!しばらくこいつを借りるぞ」
「え?」
ようやく見つけたリアナにシャックスは驚いた。引きずっていた相手は何とあの皇弟殿下だったのだから。直ぐに我に返るが、相手は臣下の位に降りたとはいえ、皇族には違いないので手を出すことも出来ない。躊躇うシャックスに、大丈夫だと目配せする。
門を出たところで、ようやくヴァリアスが歩調を緩めた。
「……お前リアナって言うのか。俺はリトルの同僚でヴァリーだ」
「判りました。ところでそろそろ手を放していただけませんか?」
「駄目だ。放したらお前、逃げるだろう」
「当たり前です。ぼ、私には仕事があるんですから」
「兄の不始末は妹がするべきだろ?心配しなくても夕刻には送ってやる」
「関係ありません!どういう理屈ですか。……それよりいい加減放さないと、警備隊を呼びますよ」
「本当にリトルとそっくりだな。俺に対してずけずけ言うのはあいつくらいだぞ。よし、リアナ。今日は俺の奢りだから沢山食えよ」
ヴァリアスってこんな強引な人だったかな?と遠くへ視線を飛ばしながら思った。
ちょこっとヴァリアスとリアナの場面を変更しました。