腹黒王子
天野が社長との打ち合わせを終え、無言で自席に戻ってくる。
ゆかりはちらりと天野の様子を確認する。
ため息を吐きたそうだが、それを飲み込み自身のノートPCを食い入るように見つめ始める。
まるで何かを射るような瞳で、ひたすら画面を見つめながらカタカタと指を動かず天野。
ゆかり「あの…作業が終わったのですが。何か出来ることはありませんか?」
無言で冷酷な表情のまま、ゆかりをちらりとみる天野。
その目に優しさはなく、凍り付いたような気分になり方を竦めるゆかり。
表情を変えずに口を開く天野。
天野「あ、そう。ほんだらメールのテンプレ設定と、自分の名刺を作成しておきましょうか。名刺は正式なものを発注するんですが、万が一の時の為に作成しておきましょう。
デザインのテンプレートは…」
自席のデスクを開き、一つのUSBを取り出す。
天野の引き出しやデスク周りは全く散らかっておらず、キチッと整理されているようだ。
天野「この中に入ってるんで。文字を変更してくれたらいいだけなので、やっておきましょっか。」
先ほどの冷酷なイメージとは違い、フランクで温かみのある話し方の天野。
相変わらず表情はニコリともせず仏頂面ではあるが
彼の非常に癖が強い関西弁なまりと、少ししゃがれた声に、安心と少しの懐かしさを覚えるゆかり。
関西弁のせいだろうか…と不思議だなと心の中で感じる。
淡々と静かに仕事が進むオフィス。
あまり世間話をしない社員たちに不思議な空気感を覚えるゆかり。
入社初日ということもあり、自分はまだそのオフィスに馴染んでいない異質な人物のような気がしていた。
----昼12時----
昼休憩の時間なのか、社員たちがみんな自身のデスクを立ちあがり始める。
ゆかり(ん?休憩なのか・・・??これ休憩行っていいのかな…?)
戸惑うゆかりのもとに、パートの女性社員の田村が話しかけてくる。
田村「堂本さん、ランチ持ってきてる?よかったら一緒にお弁当買いに行きませんか?」
眼鏡をかけ、きりっとした顔立の田村。30代後半くらいだろうか。
ショートヘアにパンツスーツがよく似合う女性社員だ。
表情は薄く、ぱっと見近づきづらい印象だが、見た目とは相違した思いやりある行動に驚くゆかり。
ゆかり「え!いいんですか?ぜひ、ご一緒させてください!」
オフィスが入っているビルを出ると、路地のいろんな所にお弁当を移動販売する業者が来ている。
ゆかり(オフィス街ってこんなにお弁当売りにくるんだ…すごい!わくわくする!)
今まで都心のオフィス街で就業したことはなかった。
真夏の日差しを照り返す高層ビルの輝き、太陽の光を受けエメラルドグリーンに輝く街路樹の葉
そしてその路地に行きかう人々の活気に、目をキラキラさせるゆかり。
田村「ここのお弁当はヘルシーで安くて美味しいですよ。私はこれにしようかな」
田村の後ろにくっつくようにお弁当を選ぶゆかり。
焼き魚弁当を手に取りお会計を済ませる。
ゆかり(400円って安いな。オフィス街ってこんな感じなんだ)
オフィスに戻り、田村は仲のよさげなパート女性社員・保坂に声をかけ、3人でお弁当を食べ始める。
保坂は50代くらいの品のいい女性だ。
保坂「堂本さん、今日は初めてだから緊張するわね」
微笑みながらお箸を動かす保坂。優しい彼女の微笑みにほっとする。
そんなやわらかい雰囲気をまとった女性だ。
田村「そうよね、びっくりするわよね。堂本さんは結婚されてるの?お子さんは?」
堂本「私は主人との間に子供が出来なくて…それでこちらの会社に勤めることにしたんです。」
田村「そうなんだ。私もなかなか子供が出来なくてね、やっとできたの。今6歳なんだ。諦めなかったらいつかできるかもしれないね。」
堂本「授かりものですもんね、頑張ってみます。しかし皆さん真面目にお仕事されてる会社なんですね」
目を丸くしてクスクスと示し合わせたように笑いだす田村と保坂。
保坂「そうね、うちは社長が、ね?」
周りに聞こえないように口の横に手を当てて小声でつぶやく保坂。
田村「営業さんも大変だけど、天野さんが今は一番大変かもしれないね。あの人机の中もすごいきっちりしていて完璧主義(?)で、全プロジェクトの数字管理してるし、今は店舗の起ち上げとかも全部丸投げされてるし、営業さんも”天野さん頼み”だから」
ゆかり「ですよね。面接の時から、天野さんはしんどそうな雰囲気出してました…」
田村「天野さん忙しいから、私で分かることならフォローするから。何でも聞いてね」
ゆかり「ありがとうございます!」
田村、保坂、ゆかりの3人で和気あいあいとした雰囲気で休憩時間を過ごした後
お手洗いに向かうゆかり。
そこで口紅を塗っているパート社員:本田と対面する。
ゆかり(あっ、この方…多分同じ会社の人だ)
ゆかり「あの、今日から入社した堂本です。よろしくお願いします!」
本田はにこりと微笑む。
本田「初めまして、本田です。私もうすぐ辞めるんです。短い間だけどよろしくお願いします。」
ゆかり「そうなんですね。よろしくお願いします!」
昼休憩が終わり各自のデスクに戻り作業を開始する。
新店舗の店長の安西がゆかりに話しかけてくる。
安西は仏のような顔立ちをしていて、優しい声色で堂本に資料を持ってくる。
安西「堂本さん!物件資料を作成してほしいんですが、今手は空いてますか?」
ゆかり「もちろん大丈夫です。やらせてください。でもどのように作成したらいいんでしょうか?」
安西「あ…それは天野に…」
ゆかり「え?あ、はい…」
ゆかりは天野をちらりと見つめる。
しかめっ面でノートPCから視線を外さす指だけカタカタと動かせている。
バツが悪そうに天野に話しかけるゆかり。
ゆかり「あの、天野さん、少しよろしいでしょうか?」
手を止め、目を合わせず体をゆかりに向ける天野。
ゆかり「す、すみません、手を止めてしまって。物件資料の作り方を教えていただいていいでしょうか?フォーマットなどございますか?」
天野「ああ、これはこのフォルダにあるので。画像はこのサイトから、あ、HP関係教えてなかったですね。URLをメールで送りますわ。IDとPWはメモしてもらってもいいです?」
そこに係長の中野がやってくる。
中野「天野さん、このデータまとめといてもらってもいいです?」
天野「了解。中野ぉ~、ちょっと後でもいい?」
中野「もち、いいっすよ。」
社長「天野ォー!ちょっといいか?」
と遠くの席で天野を呼ぶ社長の声が響き渡る。
天野「すんません、堂本さん、ちょっと待ってもらえますか?」
ゆかり「全然大丈夫だと思います。」
天野は席を立つ。
田村の言っていた”営業さんも天野頼り”という言葉が頭の中に蘇る。
ゆかり(こりゃしんどいはずだ。なんか会社全体が天野さんに圧し掛かってるやん)
そう、刻一刻と、天野に魔の手が忍び寄っていた。