王子の凱旋
川田の契約。
それは川田にとっても、新店舗にとっても、とても大きな意味を持った契約だった。
翌朝、出勤するゆかり。
そこには自信に満ち溢れた表情を浮かべた川田がいた。
ゆかり「おはようございます!川田くん、初契約おめでとうございます!」
川田「ありがとうございます!手応えはあったんですけど、最後までヒヤヒヤしました。」
とホッとした笑みで胸に手を当てて返事する川田。
安西「加瀬!俺らも川田に負けないように契約取ってくぞ!さぁ、皆、朝礼始めます!」
いつもより踊る心を抑えきれないゆかり。
ミーティング内容を書き留める手が早い。
安西「僕は今日、A様の物件案内をしてきます。3回目の案内になるので、ここで決めます!」
川田の初契約に刺激を受けたのか、店長の安西の声や目に力がこもっているように見える。
力強い安西の話し方に、これからの新店舗の未来に明るい光が差し込む。
正反対に係長の加瀬は小さい声で進捗報告を始める。
加瀬「今日は私は接客の予定がありませんので、新来のお客様にアプローチと追跡をやっていきます。」
見込み客がいない加瀬は、俯きがちにスケジュール共有を行う。
安西「加瀬、見込みのお客様は?C様はどうなったんだ?」
加瀬「その方はキャンセルと昨日連絡がありました…」
安西「理由は?」
加瀬「確認したのですが、今は購入を控えるとだけ。」
安西「それ、どんな方法で連絡があったんだ?電話か?」
加瀬「いえ、メールです。」
安西「最低でも電話で話さないといけないだろ!係長ならもっとしっかりしろ!」
加瀬「はい、申し訳ありません。気を付けます。」
方を竦め、さらに下を向く加瀬係長。
役職とは反比例しているかのように、覇気が薄くなっている。
安西「では、川田。昨日契約の取れたC様の契約が取れた理由やその物件を紹介した理由を共有してくれるか?」
川田「はい!まずはC様は女性の一人暮らしでして…」
川田はC様が若い単身女性であること、希望条件や仕事内容を鑑み、その物件を提案した理由を淡々と述べていく。
彼の人物像を分析する力や論理的思考力の高さがうかがえる。
ゆかり(川田くん、自信持ってて少し大きくなった気がするな。)
朝礼が終わり、店内清掃を行った後、10時になり店舗がオープンする。
そこにやってきたのは…
天野「お疲れ様ですー。」
季節が変わり、スリーピースのグレーのスーツに淡いピンク色のワイシャツ、ボルドーのネクタイに、これまた淡いピンク色のポケットチーフを胸ポケットから見せている。
まさに王子というか、皇帝のような雰囲気とオーラを従えている主任の天野。
堂本「天野主任!復帰されたんですね、お待ちしてました。お身体は大丈夫ですか?」
天野「まだ痛いですけど、そこは痛み止めでなんとか。
待たせてすんまへん…。大変でしたね、よく踏ん張ってくれました。」
今まで見た事のなかった優しい笑みを浮かべる天野。
その笑みに、笑顔で応えるゆかり。
天野はゆかりの隣の席…本来、川田が着席するはずの席に腰を落とす。
天野「ほんでね、堂本さんにお願いしたことがあるんですよ。このチラシのデータなんですけど…」
同じPCを見つめる二人。
天野は隣の席から、時折画面に指差しをしながら業務を細かい内容を指導する。
ゆかり「天野さん、こんなファイルを作成してるんですね。とても精巧で見やすいし綺麗…すごい」
天野「ハハッ…いつも作らされてるんで(笑)」
俯きながら他人に悟られないよう、クシャッとした笑みを浮かべる天野。
ゆかり「早く天野主任みたいになれるように頑張ります。」
業務指導を終える天野。
本社に帰社する様子はなく、本来の席の持ち主の川田が戻ってきても席を移動せず山のようにゆかりの隣の席から動かない。
その様子を見て、川田は驚くが、気を使って他の空席のデスクに着席し、仕事をこなす。
ゆかりは何もせず、ただ爪をいじっている天野を横目でとても気にしながらも、表作成に集中する。
ゆかり「天野主任、帰らなくていいんですか?社長お怒りになりません?」
天野は俯いたまま自分の爪をいじりながら答える。
天野「いいんですよ。帰ったら、こき使われんるんで。自分で出来ることは自分でやらせましょ。今日はしばらくここに居ます。だから分からん事あれば何でも聞いてください。」
と笑いながら自分の爪をいじり続ける天野だった。
その日、安西がお客様を連れて意気揚々と帰ってくる。
息を切らしながら、やや興奮気味にゆかりに話しかけてくる安西店長。
安西「堂本さん、買付証明書お願いします。」
ゆかり「おおっ!川田さんに続いて店長も初契約ですね!さすがです!!」
社内からの風当たりが強い新店舗に、上昇気流が吹き始めていた。