彼が嫉妬するのは私のせいではない
休暇の最後にこの作品を皆さんにご紹介するとは思ってもいませんでした。いつかこの物語がアニメ化されることを願っています。
「ノリちゃんに二度とちょっかい出すなよ。」
それがアムラに向かって、どこの誰かもわからない男が最初に言ってきた言葉だった。もちろん、「ノリコ」を「ノリちゃん」なんて呼ぶのを聞いて、アムラは違和感しかなかった。
そいつは整った短い黒髪に、よくある日本人っぽいダークブラウンの目。顔はいつも無表情で、感情が読みにくいタイプ。あまりしゃべらず、じっと周りを観察してるような感じだった。
「はぁ!?お前誰だよ?」
男は軽くため息をついてから、静かに答えた。
「俺は田川ミチオ。ノリち…いや、ノリコは俺のもんだ。」
「は?どういう意味だよそれ。ノリコは物じゃねーし。」
アムラのツッコミは当然だった。ノリコは簡単に近づけるような子じゃないし、アムラが知ってる限り、そんなこと言えるほどの距離感のやつなんていなかった。
「中学の時から、俺にとって大事な存在なんだよ。」
「ちょ、待て待て…お前らいつから知り合いなんだよ?」
「中学に入ってすぐ知り合ったんだ。」
アムラは思わず吹き出しそうになったが、隣にいたマシロも同じく笑いをこらえていた。
「ぷっ…俺とノリコは、もっと前からの幼なじみだし。」
「…ま、いいよ。あとで姉貴に報告するから。」
「それだけじゃ足りねぇな…ってかさ、お前の姉ちゃんって誰だよ?」
アムラは肩をすくめて、気楽な口調で返した。まるで何でもないことみたいに。
「見てりゃわかるよ。」
そう言い残して、ミチオはくるっと背を向け、そのまま去っていった。
でも、その場に残ったアムラとマシロの耳には、周囲のざわめきがはっきりと入ってきていた。
「えっ…あの姉ちゃんって、副会長じゃなかったっけ?」
「うん、うちの姉が言ってた。ミチオの姉ちゃんと友達なんだって。」
「ってことは、あの人…ここじゃ結構恐れられてるってことか。」
アムラは周囲の噂話をなんとなく聞き取ったが、すぐに信じるわけではなかった。
内心では、もしかしたらミチオの姉ちゃんに呼び出されたのかもしれない…と勘ぐっていた。
彼女はこの学校で、かなりの影響力を持っているらしい。
「アムラ、実はね、あの姉ちゃんについてちょっとだけ聞いたことあるよ。」
マシロが突然口を開いた。静けさを破るような声に、アムラは興味を持って彼を見た。
そしてマシロは、少し声を潜めながら続けた。
「たしかね、彼女に逆らったり問題起こしたやつって…体育倉庫に呼び出されて、そこで“処理”されるって噂があるんだよ。」
アムラは思わず眉をひそめた。驚きつつも、顔には出さないようにしていた。
でも心のどこかで、その噂を完全に否定できるほど、彼の直感は甘くなかった。
「まあ、ただの噂だろ。」
アムラは息を吐き出しながら、自分に言い聞かせるようにつぶやいた。
「でもさ、やっぱミチオの姉ちゃんと関わる人間には、気をつけた方がいい気がする。」
その瞬間、校内にチャイムが鳴り響いた。休み時間の終わりを告げる音に、空気が切り替わる。
生徒たちはそれぞれの教室に向かって動き始めた。
「ほら、このお椀、洗い場に持ってって。」
マシロはのんびりと立ち上がって、テーブルから離れようとした。アムラも特に何も言わず、コクリと頷いてそのあとをついていった。
***
下校のチャイムが鳴り響き、教室内は一気に賑やかになった。みんなが「今日なにする?」とか「カラオケ行こうぜ!」なんて騒ぎ出す中──
アムラはまだ自分の荷物をロッカーにしまっている最中だった。ロッカーの扉を閉めたその瞬間、背後に誰かの気配を感じて振り返ると、そこには無言で立っているノリコの姿が。
「わっ…おいおい、声ぐらいかけてくれよ…心臓止まるかと思ったじゃん。」
ノリコはアムラの驚いた顔を見て、ふふっと小さく笑った。
「アムくん、いっしょに帰らない?」
「いや〜…たぶん無理かも。だってさ、なんか…誰かに『ノリコに近づくな』って脅されちゃってさ。」
その言葉を聞いたノリコは、首をちょこんと傾けて、少し困ったような、それでも落ち着いた表情でアムラを見つめた。
「どういう意味?あたし、他の男なんて興味ないんだけど?」
ノリコは何度か眉をひくひく動かして、アムラをからかうような目つきでジッと見つめた。
アムラは静かにため息をつくしかなかった。彼女の言葉に、何て返せばいいのかわからない。
「その男、名前はミチオって言ってた。で、お前は彼のモノだってさ。…知ってる?」
からかい顔だったノリコの表情が、ピタッと止まった。目を見開き、さっきまでの笑みがすーっと消えていく。
「やっぱりか…あいつ、あたしの元カレなの。」
アムラは固まったまま動けなかった。その場に立ち尽くし、ノリコの言葉を頭の中でゆっくり反芻する。
「お前…あいつと付き合ってたのか?」
「うん、まぁ…一応。でもすぐ終わったよ。」
「まじかよ…お前、何人と付き合ったことあんだよ?」
「う〜ん…正直、数えるほどしかないよ? 5人くらいかな。」
「おいおい、それ十分多いからな!」
アムラは思わずツッコミを入れたけど、ノリコはまったく悪びれた様子もなく、肩をすくめて笑った。
「でもさ、誰と付き合っても結局、違うって思っちゃうの。なんか…ドキドキしないっていうか。」
「ふーん、なるほどな。で、ミチオとはどうやって終わったんだ?」
ノリコはしばらく黙っていた。歩いていた足を止め、少し空を見上げる。
「…一方的に終わったの。あたしから。」
「理由は?」
「単純に、疲れた。あいつ、全部勝手に決めちゃうタイプでさ。あたしの意見とか、聞いてない感じ?」
アムラはノリコの横顔を見つめた。普段あんなに明るい彼女が、こんなふうに真剣な顔をするのは、なんだか珍しかった。
「まさか…あんたって、そんなにコロコロ相手変えるタイプだったとはね。」
ノリコはその言葉を聞いた瞬間、黙りこんでしまった。まるで責められたような気持ちで、言い返すこともできずに立ち尽くしていた。
でも──実は誰にも言えない理由がある。それは、姉ちゃんにだって話したことのない秘密だった。
二人は校舎を出て、校門の方へと向かって歩き出した。遠くのほうに、セーラー服姿の中学生の女の子が一人、門のそばに立っているのが見えた。
まるで誰かを待ってるみたいに。
「あっ、あれってサクラさんじゃね?」
「サクラ?」
「フクシマ・サクラって言って、うちの家の使用人の一人。」
「へぇ〜、アンタの家って、使用人とかいるんだ?」
「うちのじいちゃんの家系、孫一人ひとりに専属の使用人つけるってのが伝統でさ。後継の家につくことになってる。」
ナガムラ家のしきたりでは、長男の家系に生まれた孫は、それぞれ一人ずつ専属の使用人が与えられる決まりだった。
それは、代々続いてきた家族のルールみたいなもんだった。
ノリコはふんわりとうなずいた。
二人が近づくと、サクラはぺこりと深くお辞儀をして出迎えた。
「お疲れさまです、アムラ様。」
「サクラ、そんなにかしこまんなくていいって。ここじゃ人目もあるしさ。」
「申し訳ありません、アムラ様。」
「いいってば…」
サクラは頭を上げ、ノリコの方にちらっと視線を送った。そして首をかしげる。
ノリコも同じように首をかしげ返した。まるで鏡みたいに。
「たしか…あなたは、ヒラヤマ家のご令嬢様ではありませんか?本邸の裏手に住まわれてる…」
サクラはまたぺこりと頭を下げる。
「初めまして、御嬢様。」
「うわっ、ちょ、やめてよ!そんな丁寧にしなくていいってば!」
ノリコは慌てて手を振りながら、軽く笑みを浮かべてサクラに頭を上げるよう促した。
サクラはゆっくり顔を上げたけれど、ノリコの方は逆に困惑した顔を浮かべていた。
──え、何待ってるの、私?
「誰か待ってるの?」
ノリコの問いに、サクラは両手を胸の前で揃え、落ち着いた口調で答えた。
「アムラ様とミオ様を、お迎えに参りました。」
「オレのこと待たなくてもいいのに、サクラ。」
「ですが、それも私の役目ですので…」
アムラはため息をつく。
「知ってると思うけど、オレ今は一緒に暮らしてないんだ。」
それを聞いたノリコはびっくりしたように目を丸くする。
「えっ?じゃあ、今は一緒に住んでないんだ?」
アムラは小さくうなずいた。声も少しトーンが落ちる。
「うん、別に住んでる。」
「なんで一緒に住まないの?」
「……理由があるんだ。」
アムラは言葉を選んでるように、少しだけ沈黙した。
「無理に言わなくていいよ。じゃ、私そろそろ帰るね。姉ちゃん待ってるから、いつも一緒に帰ってるんだ。」
ノリコはふんわりと笑いながら手を振り、アムラたちを残してその場をあとにした。
アムラは小さく息を吐いた。どこか気持ちが重くなるのを、少しでも軽くするために。
「そういえば、ミオは?」
「申し訳ありません。ミオ様は現在、先生とお話中でして…まもなくこちらへいらっしゃるかと。」
その時、遠くから誰かが叫ぶ声が聞こえた。
「アニージャー!」
その声に反応して、アムラはぱっと顔を上げた。
「やっと来たか、ミオ。」
以前とは違い、ミオの髪は肩に届くくらい伸びていた。前髪は目元にかかるくらい。
背も伸びて、大人っぽくなってきている。
「アニージャー!一緒に帰ろうよ〜!」
「方向違うだろ。お前ん家、もうちょい街のほうじゃん。」
「いーじゃん、アニージャ〜!アパートの前まで送るだけでいいからっ!」
ミオはすっかり子供モードで甘えてくる。アムラはまたため息をつきながら、観念したように返事した。
「はいはい、もう…お前には勝てねぇよ。」
そう言ってアムラは先に歩き出す。
そのあとに、ミオとサクラの足音が続いて聞こえてくる。
本当は、ミオって他の人の前ではあんなじゃない。
周りにいるときはめっちゃ上品で礼儀正しくて──まるで完璧なお嬢様って感じ。
でも、アイツの前だと、まるで子供みたいになるんだ。
アムラはちらっと後ろを振り返った。
ミオとサクラは隣同士で歩いていた。
手を繋いで、すごく自然に。
二人はめっちゃ近かった。──いや、近すぎるかも。
けどアムラはほんの一瞬だけ眉をピクリと動かして、すぐ前を向いた。
(サクラって、普段あんなに他人との距離感ガチガチなのに…?)
そう思ったけど、特に深くは考えないことにした。
自分でも気づかないうちに、後ろの空間はまるで二人だけの世界みたいになってた。
静かで、ふわっとしてて、甘ったるい雰囲気。敏感な人なら、すぐ気づくような空気だった。
その空気を破るように、ミオとサクラが小走りでアムラの横まで追いついてくる。
「アニージャ、今夜さ〜、泊まっていい?」
「は?今夜?やだ、めんどくさい。」
「え〜、いいじゃ〜ん!なんでダメなのぉ〜?」
ミオはぷくっと頬をふくらませて、アムラの腕に抱きついて甘えてくる。
「じゃあさ、許してくれないなら…明日の夜、勝手にアパート入っちゃうよ?冗談じゃなくてガチだからね?」
ミオはちょっと悪戯っぽく笑いながら、アムラを見上げた。
「だって、まだアパートの合鍵持ってるし〜。入るの簡単だもん♪」
「チッ…こっちのアパートなのに、なんでお前が自由に出入りできんだよ…」
「うちの家の一部なんだから、合鍵もってて当たり前じゃん〜?」
ミオはくすくす笑って、アムラのイラっとした顔を楽しんでた。
三人は特に話すこともなく、夕暮れの道を歩き続けた。
風の音と、足音だけが静かに響いていた。
ふと、ミオは俯いて、どこか遠いところを見てるような目をした。
サクラの手を握ったまま、でも頭の中は別の何かに囚われているようだった。
「…そういえば、アニージャ。」
「ん、なに。」
「今朝の朝礼でさ、ノリンが代表で前に出たでしょ?」
ミオはノリコのことを“ノリン”って呼んでいた。
アムラは最初違和感あったけど、もう何も言わないことにした。
「なんでそんな呼び方してんの?」
「だって〜、最初に呼んだときの反応がめっちゃ面白かったんだよ?めっちゃ照れててさ〜!」
そのまま、ミオは今日あった出来事をぺらぺらと話し続けた。
アムラはそれに最低限の相槌だけ返していた。
「あとさ、休み時間に友達が弁当ぶちまけたの。やばくない?」
「ふーん。」
「だからさ、手伝ってあげたの!でもさ、逆に『やりすぎ』って言われた〜!」
「……まぁ、あるよな。」
サクラはその間、ずっと無言のままミオの横を歩いていた。手をつないだまま、静かに。
表情はいつも通り、まるで感情がない人形みたいだった。
けど、ミオだけは知ってる。彼女が本当はすごく優しいこと。
ミオは突然立ち止まって、またほっぺを膨らませた。
「アニージャ、なんかつまんなーい。返事、冷たすぎでしょ?」
アムラは一瞬だけ振り返って、すぐまた前を向いて歩き出した。
「聞いてるだけで十分じゃん。」
「聞くだけじゃ、気持ちは伝わらないのっ!」
ミオは拗ねたまま追いかけてくる。
サクラは相変わらずミオの手を離さず、ただ静かに歩き続けていた。
表情も変わらず──でもその沈黙が、二人の空気を壊さず包み込んでいた。
そんな感じで、三人は少しずつ会話もなくなって、やがてアムラのアパートにたどり着いた。
ミオは玄関前でふと立ち止まり、建物を見上げてから小さく微笑んだ。
「じゃあね、アニージャ。また明日〜!」
ミオは元気よく手を振った。
その横で、サクラは軽くお辞儀をして静かに別れの挨拶をした。
「失礼します。」
アムラは胸の前で軽く手を上げて、それに応えた。
「うん、また明日な。」
特に言葉を交わすこともなく、いつも通りアパートの前で別れた。
アムラは小さくため息をついて、アパートの中へと入っていく。
エレベーターの前に着くと、上ボタンを押して、無言で待った。
チーンという音とともに扉が開き、アムラは中へ入る。3階のボタンを押すと、ゆっくりと軽やかな音楽が流れ始めた。
その静けさの中で、アムラはスマホを取り出して、特に目的もなく画面をスワイプし始めた。
アパートの部屋に入ったアムラは、扉を閉めて鍵をかけると、靴と靴下を適当に脱いだ。
足首には、ちょっと色あせた青いアンクレットが見えた。
それは小学生の頃にもらったもので、大切な思い出が詰まっていた。
ふぅっと小さく息をつきながら、リビングを抜けて自分の部屋へ向かう。
電気をつけて、バッグを机の上にポンと置いた。
制服の上着を脱いで椅子に放り投げると、ゆるっとしたグレーのTシャツとよれたハーフパンツに着替えた。
「…だるい。」
一日中動き回った体が、じんわりと疲れを訴えてくる。
アムラはそのままベッドにダイブし、もぞもぞと毛布にくるまる。
目を閉じて、ただ静かな時間を味わった。
部屋は広くはないけど、落ち着いた空間だった。
机の上には教科書とノート、ノートパソコン、バラけたプリント。
反対側にはゲーミングデスクと大きめのモニター。ヘッドセットと食べかけのスナックもある、完全に“くつろぎスペース”。
窓際のクローゼットは色ごとに服が並べられ、棚には限定版のガンダムフィギュアが飾られていた。
ベッド周りはそこそこ整ってるけど、枕と毛布がちょっとぐちゃっとしてる。そこだけが、アムラらしい感じだった。
「…あー、洗濯しなきゃ。」
もぞっと起き上がると、洗濯カゴを取りに洗面所へ。
アムラは服と下着を分けて洗濯機に放り込み、洗剤と柔軟剤を入れてスタートボタンを押す。
「ついでに風呂入るか。」
手際よく服を脱いで、下着だけになると、風呂場のドアを開ける。
蒸気がふわっと出てきて、タオルをかけてから最後の一枚も脱いだ。
そのままシャワーの下へ。
熱めのお湯が体を包み込み、今日の疲れを流してくれる。
数分後、アムラは新しい服を着て風呂から出た。
昨日干しておいた洗濯物の束を手に持って、部屋へ戻る。
ベッドの上に洗濯物を置き、床に座って一枚ずつ丁寧にたたみ始めた。
Tシャツ、パンツ、下着。カテゴリー別に並べていく。
たまに手を止めて、ふっと息をついたり、ガンダムフィギュアの棚を眺めたりして。
たたみ終えた服を持ってクローゼットへ。
中は、色と種類ごとに分けられた服がずらっと並んでいた。
シャツは左、パンツは右、下着は一番下の引き出しへ。
もう完全に体に染みついたルーティンだった。
全部しまい終えると、ドアを静かに閉めて、ベッドの端に腰を下ろした。
──実は、アムラにも専属の使用人がいた。
名前はフクシマ・カオル。サクラの双子の妹だ。
顔はそっくりで、見分けがつかないくらい。
けど性格は正反対だった。
サクラはいつも冷静で真面目、規律第一。
カオルは明るくてアクティブで、ちょっと自由すぎるタイプ。
アムラに甘えてくるのも日常茶飯事で、よくくっついてきたり、甘えた声で話しかけてきたりする。
でも、アムラや家の人が「OK」って言えば、なんでも気にせずやっちゃう、そんな子だった。
数分後、アムラの腹がぐぅっと鳴った。
「…はぁ、腹減った。」
立ち上がって、キッチンへ向かう。
「なんか食えるもん、あったっけ…」
だるそうに歩いて冷蔵庫を開けると、冷たい飲み物と、調理がめんどくさい食材ばかり。
「…めんどくさ。」
アムラは気だるそうに冷蔵庫を閉めてから、棚の方を開けた。
中をガサゴソと探しながら、奇跡的にインスタントラーメンか何か見つかんないかと期待していた。
「よし…せめてラーメン一個…頼む…」
でも、現実は甘くなかった。
棚には生の食材ばっかで、気合い入れないと作れないやつばかり。
アムラは深いため息をついた。
「…コンビニ行くしかねーか。しゃーなし。」
棚の扉を閉めると、部屋に戻り、クローゼットからスウェットパンツを取り出して履き替えた。
その上に薄手のパーカーを羽織って、財布とスマホをポケットに突っ込む。
「ついでにお菓子も買っとこ…」
そのまま玄関に向かって、スリッパを引きずり出す。
軽く履いて、パーカーの紐をキュッと締めると、ドアの鍵を回して外へ出た。
冷たい夜風が顔に当たり、ちょっとだけ目が覚めた気がした。
ドアを閉めて鍵をかけ、アムラは廊下を歩き出した。足取りはゆっくりだけど、確実に。
アパートから出て数分後、目的のコンビニが見えてきた。
周りは静かで、特に人の気配もない。
自動ドアがウィーンと開いて、アムラはそのまま店内へ。
カゴを取って、即座にインスタントラーメンコーナーへ向かった。
手に取ったのは5個分、ほとんど辛口系。夜中に腹減った時用だ。
次に向かったのはお菓子コーナー。
チーズ味が好きだけど、匂いが強いやつはちょっと苦手。
だから軽めのチーズスナックを選んで、チョコ入りのパンと甘い系も数個カゴへ入れた。
飲み物は買わない。家にまだあるし。
買い物を終えてレジに向かい、会計を済ませた後、袋を持って外に出る。
そのとき、ちょっと離れたところに見覚えのある人影が。
「…アオイ姉さん?」
はぁ、と小さく息をついた。
なんでこういうときに限って会うんだよ…別に気まずいわけじゃないけど、何かと長引くんだよな、姉さんと話すと。
「アムくん?こんな時間にコンビニ?」
「インスタントとお菓子。もう作る気なかったから。」
アオイは小さくため息をついて、アムラを見た。
「お腹すいてるなら、なんで言わないの?」
「いや、姉さんに迷惑かけたくなくて。」
「もう…ちょっと待ってなさい。動かないで。」
そう言ってアオイは軽くアムラの肩をポンと叩き、さっさと店内に戻っていった。
アムラはまたため息をついた。
「うわ、時間かかるやつだこれ…」
数分後、アオイは袋を手にして出てきた。
無表情だけど、どこか満足げな雰囲気が顔に出ていた。
「アパートで一緒にご飯食べよう。味噌汁作ったよ。」
「いや、オレ自分の部屋で食べたいんだけど。」
アオイはまた静かに息を吐いた。でも口調は変わらず淡々としてる。
「……来なさい。」
そしてそのまま、アオイはアムラの手をスッと取って引っ張った。
その動きにはもう、「選択肢」なんて存在してなかった
アムラとアオイは無言で並んで歩いていた。
アオイはアムラの腕にしっかりと抱きついたまま、まるで「離さないよ」とでも言いたげだった。
表情は相変わらず無機質なのに、ぴったりくっつくその体からは、“今夜は一緒にいたい”という気持ちがじわじわと伝わってくる。
「姉さん、そろそろ手を離してくれない?」
「やだ。どうせ逃げるでしょ?」
アムラはため息をひとつ。
しばらく沈黙のまま歩く二人。アオイは腕を離そうとしない。
通りすがりの人がちらりと二人を見る。
「青春だね〜」
「お似合いカップルって感じ!」
アムラは視線を避けたが、アオイは全く気にしない様子で、むしろ腕の力を強めながら微笑んだ。
「姉さん、完全にカップルだと思われてるよ?」
「別にいいじゃん。」
「……いやいやいや。」
「ふふっ、間違ってないかも?」
「は?」
「ヒミツ♡」
アオイの声はいたずらっぽく、普段のクールな表情とのギャップが大きすぎた。
二人はようやくアパート前に到着。しかも隣の部屋。
「なんで隣なんだよ…」
「アムくんを毎日監視するため〜」
アオイは軽やかに鍵を開け、部屋に入っていく。
「だってアムくんってすぐ無理するでしょ?」
アムラはもう諦めたようにため息をついた。反論しても無駄だと知っているからだ。
「さ、入って入って〜」
部屋はいつも通り、きっちり片付けられていて、アオイらしい几帳面さがにじみ出ている。
「靴脱いでね。部屋散らかさないでよ?」
「わかったよ…」
「ソファ座ってて〜。味噌汁あっためるから。」
アムラは黙って言う通りにしてソファに腰掛ける。目線はキッチンへ。
「姉さんって…まだコスプレやってんの?」
「もちろん!」
「……誰がそんな年増と付き合うんだよ。」
「はぁ!?あたし、まだ17歳だし!!」
ドン!と味噌汁の器をテーブルに置き、どや顔でアムラを見るアオイ。
「さあ、食べて〜。その後でビックリさせてあげるから。」
「……は?」
食事を終えたアムラは食器を洗い、スマホ片手にソファへ倒れ込む。
そして――。
「ふふふ……」
背後から首に回る腕。甘い匂い。反射的に体がビクッと跳ねる。
「ふふっ、ほら。言ったでしょ?驚くって。」
「……ブラコンすぎんだよ。」
「血が繋がってなかったら、とっくにキスしてたかも♡」
アオイはウィッグの長い白髪をなびかせながら、前に回ってドヤ顔で叫ぶ。
「アムラ!あたしはまだ17歳!じゅうななさいっ!」
制服姿、青いカラコン、白い髪。もはや別人だった。
それでもアムラはただのため息で返す。
「大学行き始めてから全然遊べなくなったしな…」
「ふふっ、アムくんがどれだけお姉ちゃんを愛してるか、知ってるよ♡」
アオイはアムラの肩にもたれ、甘い声で囁く。
「ねぇ、今夜一緒に映画見ようよ〜」
「明日、学校あるんだけど…」
「一作だけ!絶対寝坊しないようにするから〜」
「……はぁ、わかったよ。」
「やったー!アムくん、やっぱ優しい〜♡」
アオイは笑顔でぺしぺしとアムラの肩を軽く叩いた
アムラは小さく首を振ったが、口元がわずかに緩んでいた。
イラッとくることも多いけど、結局いつも姉には勝てない自分がいる。
映画はすでに半分以上進んでいたが、アムラはストーリーなんて頭に入っていなかった。
つまらないからじゃない。隣にいる姉が、肩にもたれながら時々クスクス笑ってるせいだった。
ウトウトし始めたアオイは、ゆっくりとアムラの肩から頭を上げた。
半分閉じた瞳で、テーブルにあった小さなケースに手を伸ばし、静かに蓋を開ける。
「ちょっと待ってて…目が乾いてきた」
そう呟いたアオイに、アムラが横目で尋ねる。
「ソフトレンズ?」
「うん…」
ブルーのカラコンをそっと外し、専用の液に浸してから、アオイは大きくあくびをして再びアムラの肩に寄りかかった。
今度は少し力が抜けていて、さっきよりも疲れてる感じがする。
「やっと…目閉じられる……」
そう呟いたきり、彼女は完全に沈黙した。
数分後──
アオイの頭がゆっくり傾いていき、そのままアムラの肩で静かに眠りについた。
規則的な呼吸が聞こえ、白いウィッグがズレて顔の一部を隠している。
アムラは横目でその姿を確認し、そっと息をついた。
「…はぁ…やっと寝たか……」
苦笑いを浮かべながら、小声で呟く。
彼はしばらくそのまま様子を見守り、アオイが完全に寝入ったのを確認すると、そっと立ち上がった。
部屋の隅にある小さな棚からブランケットを取り出し、慎重に彼女の身体を包むようにかけてやる。
「ウィッグつけたまま寝るとか…暑くないのかよ」
そうボヤきながらも、彼の仕草はどこか優しかった。
そしてテレビのリモコンを手に取り、まだついていた画面を消す。
部屋の中は一気に静かになり、天井の扇風機が静かに回る音だけが残った。
最後にもう一度だけ姉の姿を見て、アムラは自分のアパートへと戻っていった。
「明日の朝、寝坊しても知らないからな、姉さん……」
そうして、騒がしい夜は静かに終わった──
温かく、そして静かに。
次の日の朝、アムラは死んだ目で教室に入ってきた。
肩を落とし、半分閉じた目で、重そうなバッグをズルズル引きずりながら…。
誰にも挨拶せず、名前を呼ばれても振り向くことなく、自分の席へまっすぐ向かうと──
そのまま机に頭を乗せて、重いため息をついた。
「おはよ、アムラ。…なんかめっちゃダルそうだね?」
隣の席から声が飛んでくる。話しかけてきたのはマシロ。
彼女は首をちょこんと傾けながら、猫みたいな表情でアムラを見つめていた。
ショートカットの黒髪が風で少し乱れていて、肩にかけたカバンがまだそのまま。
その透明感のある瞳は、相変わらずまっすぐすぎて、今のアムラにはちょっとキツい。
アムラは顔を少しだけ上げて、マシロの顔を確認するように見ると、すぐにまた「ドン」と机に落とした。
「…聞くな…徹夜しただけだ。」
「えっ、また?勉強でもしてたの?」
マシロは素でそう聞いてくる。
「勉強なら…まだマシだったな…」
「…もしかして、またアニメ一気見とか…?」
「いや、それよりヤバい。姉ちゃんと映画見てた。気づいたら夜中。」
マシロは口元を手で押さえて、ぽつり。
「あ〜…アオイ先生?」
アムラは返事の代わりに、机の下から片手だけ上げて親指を立てた。
マシロはくすっと笑って、椅子を引いて横に座る。
「寝てもいいよ?私は起こさないし。先生に当てられてパニクってるとこ見てみたいし。」
「お前……性格悪いな……」
アムラが再び目を閉じようとしたその時、教室の空気が少しだけざわついた。
廊下から足音が聞こえ、教室のドアがゆっくり開いた。
すらっとしたシルエット、長いシルバーの髪が揺れて──
「おはよう、平山さん」
誰かが声をかける。
「おはようございます」
ノリコは、いつもの柔らかい笑みで応えた。
その控えめだけど優しい笑顔は、それだけで教室の空気を少し明るくする。
「おはよう、ノリコさん!」
マシロも手を振りながら挨拶を返した。
ノリコは微笑みつつ、自分の席へ向かっていく──
そして、隣の席に視線を移した時、少しだけ驚いた表情を見せた。
「…あれ? アムくん?」
机に突っ伏したままのアムラ。呼吸は静かで、まるで寝息のように規則的。
朝の教室には似合わない、あまりにも平和なその姿に、ノリコは小さく息をついた。
「徹夜だったんだってさ」
隣のマシロが、あごに手を乗せてのんびりと答える。
「映画を見てて、夜更かししちゃったらしいよ。…アオイ先生と。」
ノリコは一瞬驚いたように目を見開いたが、すぐに微笑んで席に座る。
「…ふふ、仕方ないわね。」
そのまま静かに本を開いて読み始める。
時折、アムラの方をチラッと見つめるけど、起こす様子はない。
やがて、生徒たちが次々と教室に入ってくる。
「おはよう、平山さん!」
「おはよ〜!平山さーん!」
「今日も早いね〜!」
「おはようございます」
ノリコはいつも通り、静かな笑みと小さなうなずきで返す。
その落ち着いた佇まいは、クラスのどこかに“安心”を与える存在だった。
そして──
「アオイ先生来たー!姿勢整えて!」
ドアが開くと、青い長髪を揺らしながら、アオイ先生が入ってきた。
表情はいつも通りクールで、感情をほとんど表に出さない。
「おはようございます」
落ち着いた声が教室に響く。
「おはようございます、先生!」
クラス全体が一斉に返事をする。
アオイ先生は無言で机に向かい、出席簿を開く。
その視線が一瞬、寝ているアムラに向けられるが──何も言わず、そのままスルー。
ほんの少しだけため息をついて、また出席の確認に戻った。
授業はいつも通りに始まった──生徒たちにとっては普通の朝の繰り返しだ。でもアムラにとっては、時間が霧のようにゆっくりと流れていた。たまに顔を上げて、「はい」と返事をしてまた机に伏せる。それが彼の日常だった。
時間は淡々と過ぎ、やがて日が傾く。廊下に夕暮れの影が伸び、窓から差し込むオレンジの光が、授業終了を告げる。
学校は一気に静かになり、ただ廊下に響く靴音と、部活を続ける数名の声だけが残る。
アムラとマシロは並んで歩いていた。会話はほとんどなく、風音と足音が軽く交差するだけ。
ふと、アムラが大きく息を吐いた。
「どうしたの、アムラ?息、すごく荒いよ。犬にでも追いかけられた?」
「……ただ疲れてるだけかも。授業中寝てたせいで余計に」
「それ“疲れ”じゃなくて“カルマ”じゃね?」
「……マシロって意地悪だな」
「いや、事実だから」
「昨夜は姉と映画見てた。ソファでコスプレウィッグ付けたまま寝てたんだ」
「そりゃゾンビみたいになるわな。コスプレの副作用?」
そこへクラスメイトが飛び込んできた。
「えっと、アムラさん。二年生の先輩が──旧校舎で会いたいって」
「誰?」
「確か、OSIS副会長じゃなかったかな」
二人は顔を見合わせる。
「じゃあ先に行っとくわ。じゃあね、また明日」
クラスメイトはそう言って立ち去った。
アムラが溜息をつく。
「恋愛話まで姉の名前出されるとか、マジくそだな」
マシロは彼の肩を軽く叩きながら笑った。
「お前の葬式は盛大に祝ってやるからな」
「くそ、マジで殺すぞ」
「じゃ、まず俺が帰るわ。あいつらには気をつけろよ」
「誰のことだよ!」
マシロには黙って帰られ、アムラはひんやりした廊下を一人歩き出す。どこか嫌な予感が胸に漂っていた。
やがて彼は体育倉庫の前に立つ。夕陽が鋭いオレンジ色でコンクリートを照らし、不気味な雰囲気が漂っていた。
“ここで無事帰れるといいけどな……”
そう思いながら、そっとドアをノックする。
いつもの、「キー…ガチャガチャ…」という扉の音。開けると中は薄暗く、埃が光の粒となって宙に漂っていた。
中には四人の先輩がいた。三人は気だるそうにスマホを弄っており、一人は黒髪を後ろで束ね、冷静そうな顔で待っていた。表情は無機質で、時間に追われているようでもなく──ただ無感情にアムラを見ていた。
「…君が、Nagamuraか?」
その声は柔らかいけれども、鋭く突き刺さるようだった。
「来てくれてありがとう」
彼が一歩進むと、ほかの先輩たちが視線を彼に向けた。
髪をかき上げながら声をかける一人がいる。
「この子さ、『Nagamura』って呼んだら二人いるって言うのよね。で、弟か妹かどっちか呼ぶことにしたって」
「あの子が妹?」
「うん、妹だよ」
「ふぅん…別に気にならないけどね」
その後は緊張が増す。
「で、本題は?」
「姉さんみたいに甘えんぼさんな妹のことで呼ばれたのか?」
「ちょっと忠告。恋って時に憎しみに変わる。ミチオが嫉妬したら、あなたが理由かもしれないよ?」
彼は肩を竦めて言い返す。
「誰がミチオに関心あるって?前にNorikoと付き合ってたのも知ってるよ。でもどうして別れたかは知らない――ただ今は関係ない」
「で、今Norikoと近づいてるのは何のつもり?」
その先輩は冷たい目で鋭く見つめた。
「ミチオはまだ気持ちがあるんだよ」
「それは彼女の問題。俺は過去に関係ない」
薄く笑い、問い返される前に言った。
「で…これって、どういう意図?」
黒髪を束ねた先輩が腕を組む。
「Norikoに近づく気なら、よく考えろ。私たち黙ってはいないよ」
彼はまっすぐ答える。
「俺はただの疲れきった学生だ。ドラマなんて興味ない。なら帰る」
そしてドアへ歩き出す。振り向きざまに言った。
「…もうこんなことで呼ばれるのはゴメンだ」
そうして夜の校舎に一人去っていく。
しばらくして振り返ると、先輩–Tagawa Naoだけが静かに立っていた。歯を軽く噛みしめ、怒りか葛藤か、何かを抑えているようだった。彼女は彼の背中をじっと見送ったが、何も言わなかった。
その廊下の静けさに音楽部屋からかすかなメロディが流れ、空気はより沈んだ。そして事件は起きた──
後ろから急ぎ足が近づいてくる。
「中村さん!」
アムラははっと振り返った。
「な、何だよ…?
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