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沖田総司辞世の句が本物だとしたらどんな可能性があるだろうか。

作者: 黒猫親方

素人の文章なので御容赦願います。地元である、いわき湯本温泉と沖田総司辞世の句との繋がりが気になっていたので仮説を立ててみました。



「動かねば闇にへだつや花と水」沖田総司の辞世の句とされるが、真偽不明にも関わらず新選組好きな人達の間では本物の様に扱われており知名度は高い。

新選組研究者・菊地明氏によれば、いわき市にある温泉地にある神社から出たものだと言う。オリジナルの所在は不明。


これが、いわき市にある温泉の神社、温泉神社とするならば候補地は二つ。一つはいわき湯本温泉の湯本温泉神社。もう一つは玉山鉱泉にある玉山温泉神社である。どちらも江戸時代前半に磐城を治めた磐城平藩内藤家が建立している。

仮説①磐城平藩内藤家分家・湯長谷藩内藤家江戸屋敷関係。

 東京麻布六本木ヒルズふもとに沖田総司の菩提寺・専称寺がある。沖田家が仕えていた白河藩阿部家の藩邸が向かいにあったが、そのお隣に湯長谷藩内藤家藩邸があり場所は現在の麻布税務署当たりとなる。

明治期に入ってから阿部家より内藤家に姫が嫁入りしており、その関係者が沖田総司から口伝えで聞いた物を書き残した又は沖田総司ファンがいて(姫様とか)創作された可能性があるのでは無いだろうか。

②遊撃隊説

 幕末の美剣士で、るろうに剣心にもちらりと出た伊庭(いば)八郎(はちろう)や脱藩大名・(はやし)(ただ)(たか)、後に蝦夷共和国松前奉行や茨城県令になった京都出身幕臣・人見勝太郎等を中核とした戊辰戦争時の佐幕派戦闘部隊が徳川義軍遊撃隊である。彼らは新選組(大阪での将軍警備等)とも関りがあり磐城に来ている。

伊庭八郎は江戸剣術4大流派の一つ「心形(しんぎょう)刀流(とうりゅう)」道場主八代目の息子であり新選組道場「試衛館」に道場破り対策の助っ人(新選組は実戦派で竹刀で戦うのは苦手であったとか)に駆り出される事もあり土方歳三や沖田総司と親しかったらしい。因みに湯本温泉とも縁がある中野区に墓がある。


千葉の請西藩三代目藩主・林忠崇は遊撃隊が大阪を引き上げ分裂したのち、伊庭八郎・人見勝太郎のグループが請西藩を訪れ林忠崇は遊撃隊に合流、領民たちに迷惑を掛けぬために自ら脱藩した。叔父が二代目藩主で伏見奉行を務め寺田屋の坂本龍馬捕縛作戦の責任者。後に新選組とトラブル。伏見奉行所は鳥羽伏見の戦い時の新選組拠点となっている。


遊撃隊は箱根湯本での戦いを経て奥羽列藩同盟に加わるため江戸から小名浜港に上陸、磐城平藩安藤家・安藤信正公(ご隠居)の要請により磐城勢に加わった。

その時に湯治したのがいわき湯本温泉で、場所は新滝旅館(現在はローソンいわき常磐湯本町店)であったらしい。


当然、湯本温泉神社にも参拝したであろう事から遊撃隊関係者が何らかの形で知っていた沖田総司の句を奉納した可能性があるのでは。

伊庭八郎は箱根湯本の戦いの怪我で離脱、湯本温泉には来ていないが函館戦争で重傷を負い安楽死する頃、病室で義父春日左衛門を看病していた田村銀之助と接触している。


③田村銀之助説

 函館で伊庭八郎の最後を看取った田村銀之助は磐城平藩脱藩の新選組最年少の隊士で近藤勇・土方歳三の小姓をしており、蝦夷共和国でも榎本武明の小姓となっている。

西南戦争に参加したのち軍を抜け、日本郵船に務めたり船舶塗料の販売を行っていた。磐城平藩脱藩である事から磐城にも伝手があったらしく製品材料を求めて八茎鉱山を訪れた事があるらしい、宿泊場所に近くの玉山鉱泉を選び玉山温泉神社に句を奉納した可能性もあるかもしれない。又は湯本温泉も訪れたとしたならあるいは、その時に函館で交流があったであろう遊撃隊が湯治した新滝に泊ったなら更にドラマチックである。


本筋から離れるが新選組の母体とも言える八王子千人同心や会津藩が京都守護職に就く切掛けの遺訓を残した会津藩初代保科正之公とも内藤家(磐城平藩内藤家)は関りがある。


八王子千人同心の心のよりどころでもあり、姉・見性院(武田信玄の娘)と共に幼い保科正之公を養育した信松尼(武田松姫、織田信忠婚約者)が甲斐国から八王子に逃げ延びる際連れてきた姫の一人・小山田香具姫が磐城平藩内藤家二代目藩主内藤忠興の後室になり跡継ぎの内藤(ないとう)(よし)(むね)内藤風(ふう)())や湯長谷藩内藤家初代・遠山(とおやま)(まさ)(すけ)を生んでおり、義妹・菊姫が保科正之の最初の妻となり一子を産んだ(その後母子どちらも死去)。

八王子千人同心の心の拠り所・信松尼、保科正之達、新選組ゼネレーションゼロとも言うべき存在と関りがあったのも興味深い。




真偽の定かではないお話も入っているので資料としては使えなくとも何かの企画にしてみたら面白いかなと思ってます。

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