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類友と贄

 ぴしゃりと扉は玄関口で閉ざされた。

小型の手漕ぎ船で大の大人五人が交代制で小川を遡ること二日と半分――さすがに極度の疲れも手伝ってドーザはその日は久しぶりに戻った自宅で小うるさい母親の小言を耳に流し込みながら酒を飲んで眠りについた。


 二十年近く生きてきたが、自分がナフサートの家を訪ねたことは無い。

商家の主としてのナフサートにも、ティナにもリドリーにも用は無かった。どうしても気が重くなるが、自らが進んでした約束だと自分を鼓舞して、それでも一応の礼節をもって昼飯時の前、午前中に玄関を叩いたのだ。


「旦那様は現在留守にしてますし」

 不機嫌そうな北部訛りのきつい下女がそう口にする。

見たことの無い女の様子に、以前からいた女ではないなと思い、ドーザは愛想笑いを浮かべた。

「いやいや、俺ぁ町の人間でドーザ・ガダンズっとモンだけどよ。ティナにちょっと用があるんだ」

 ドーザは自分の体が大きく、一見して恐ろしいことをよく熟知している。だが、その顔をほころばせれば、人がたやすく心を開いてくれることもまた理解していた。

 だから人の良い笑みを浮かべて威圧感を軽減させるように身を縮めて言ったのだが、女は更に胡散臭いものを見るようにドーザを眺め回した。


「お嬢さんは誰とも会いませんし」

 ばっさりと言い切り、女は玄関扉を乱暴に閉ざした。

「……」

――思わず嘆息しながらがりがりと頭をかき、ドーザは数歩下がってナフサートの家をじっくりと見回した。


 町の外れの丘の上にたてられている家は、家と言うよりは邸宅やら屋敷やらという言葉が似合うのだろうが、いかんせんその概観はやけに古臭い。長いこと見ていなかったが、こんなにもさびれた屋敷だったかとドーザは眉を潜ませた。

 左側の壁には蔦が絡んでいるが、こればかりが雰囲気を壊しているわけではないだろう。そもそも蔦などはきちんと手入れさえしてあれば美観を損ねるものでもない。だが、今面前に広がるそれは、あくまでも無駄に生えていると感じさせる。

 確かにナフサートの家は、今や没落していると言ってもいいだろう。だが、その没落だとてこの半年余りのことだ。


――商家と船長との縁組。


 それを元にもっと栄える筈だっただろうに、その要となる娘は逃げ出した。

それが全ての現況だった。

いや……目に見えていなかっただけで、それ以前にこの家は傾いていたのだろう。婿をとり、更に仕事を拡大する予定だったものが全て覆された。

 その時のナフサートの主人の憤りっぷりはすさまじいものがあった。

リドリーはまるで籠の鳥のように大事に大事に育て上げられていた。ただその大事の定義が少しばかりおかしい。蝶よ華よと育てられたのであればもっと違う生き物になっただろう。

「大事にしている」というオブラートに包み込み、ただただ放置されたというところか。

 ゆがんだ家は、今はそのゆがみをはっきりと他者にも見せ付ける。

大事にしていた娘は逃げ出した。ナフサートは激怒したが、その後にしたことといえば、大慌てでランド商会に媚を売り、ついで――リドリーがいないのだからティナではどうだと切り替えた。

 ランド商会としてはティナでも良かったのだろう。

良くなかったのはマーヴェルだけだ。


 ドーザは大きく息を吐き出し、ぐるりと身を翻して元来た道を戻るように見せかけ、さっさと屋敷の裏手へと足を向けた。

ティナの部屋がどこであるかなどしりはしないが、大方の予想をたててドーザは開いている二階の窓を目当てに植えられた木に手を掛けた。


「海の男を舐めんなよ」


 ドーザは腰に手を回し、とんとんっと木の強度を試すようにその幹を叩き、その幹肌を確かめるように靴底で幾度か蹴った。


***


 さすがに変なおじさんはまずい。

あたしは咄嗟に自分の口元に手を当てて愛想笑いを浮かべて見せた。愛想笑いには自信がありますよ。

なんといってもパン屋は客商売ですからね。

仕事をはじめた当初は色々と失敗したものです。なんといっても――他人と会話することも難しい人生でしたからね。思い出したくもありません。

「ごめんなさい……あの、すみません。何かお取り込み中に」

 いい年した壮年男性二人で迷宮庭園の噴水でお取り込み――ああ、言葉にするとなんか微妙にいやんな感じですが、まずは自分の失言のほうが問題だ。

 顔を合わせた途端に「変な」と形容されて許されるのは変態くらいのものだろう。あれは、変が服を着て歩いていると言って過言ではありません。


 あたしに出会いがしらに「変なおじさん」呼ばわりされた変なおじさん――ルティア言うところの若い娘さんを虐めて楽しむ趣味の持ち主は、眼光の鋭い眼差しを細めて、ふっと鼻で笑った。

「おじさんではない」

「本当にすみませんっ」

「オジサマだ。かわゆく言えば許そう」


……そこですか、そうですか。

はぁぁぁぁ、もう本当にアレの関係者はちょっとどこかおかしいのではありませんかね。類は友を呼ぶなどとも言いますし。

いや、あたしは違いますよ?

あたしは絶対に違いますから。

ああ、ユリクス様とか御領主様も違いますね。

類友とかそんな失礼なことは微塵も思っておりませんよ。この場合の類友は当然ルティアでありエルディバルトさんです!

 その序列の中にこの面前の偉そうなオジサマも加えてさしあげます。十分その資格はありそうですからね。


「ほれ、かわゆくな」

尊大な雰囲気を持つ相手は、相変わらず噴水の淵にどかりと座り、腕を組んで、決して可愛くない口調であたしをうながす。

「ご、ごめんなさい。おじさま」

「かわゆくない。オジサマごめんね、じゃ」


 ほらぁ、隣のユリクス様がいたたまれない顔しているではありませんかっ。

あたしからは見えないけれど、おそらくきっとあたしの数歩後ろで控えているお迎えの人だって相当ドン引きしていますよ。

 しかしあたしの無駄な抵抗は、相手の眼光の前で崩れ去った。

くぅっと喉の奥で小さな呻きをあげ、あたしは何故か激しく屈辱的な気持ちで相手の言葉を反芻した。


「オジサマ、ごめんね」


 もうなんか恥ずかしい。恥ずかしすぎる。もうイヤっ。

どんなプレイですか。

もう二回目ですよっ。

あの変態だってこんなことしないですよ――ルティア、この人本当に女の子を虐めて楽しんでますよっ。

 半泣きになったあたしに、ユリクス様が近づき元気付けるかのように、とんとんっとあたしの二の腕を叩いた。


「あなたが変であることは今にはじまったことではないでしょうに」

「――おまえとは二十年間意見が合わんな」

「十九年ですが」

「そういうところが嫌いなんだ。おまえはほんっとうに目の上のなんとやらだ。覚えておれ、おまえには絶対に復讐する」

 三白眼でユリクス様を睨みつけ、低く恫喝するような口調で言う言葉にあたしが身を震わせると、まるでかばうかのようにユリクス様は一歩あたしの前に出て微笑を浮かべた。

「それは楽しみですな」

「おう、存分に楽しみにしておれ。わしが死ぬ時はおまえも道連れだ――おまえの棺も用意してやる。わしの墓の片隅に場所も確保してやろう。遺言でおまえも連れて行くと残してやるのだ。ざまをみろ。

わしの守護者が確実にそのようにしてくれるであろう」

「相変わらず趣味が悪い。後世語り継がれる愚か者ですな。いい年した男が男を連れて旅立たれるおつもりか。気色悪い」

「……確かに」


――どうしよう。

笑ったらいいのかな。

突っ込んでいいのかな。

なにこの二人は。

ユリクス様、そっちに行ったらいけません。

それは罠です。墓場よりなお悪い、類友という禁断の世界に旅立ってはいけませんったら。

 極度の緊張の為か、あたしは自分の目元がぴくぴくと痙攣するのを感じた。

身の置き所がまったくありません。


「ナフサート嬢」

 ふいに、それまで謎の会話を楽しんでいたユリクス様は、一歩足を引いて体の向きをあたしへと向けると、苦笑のようなものを浮かべて目じりに小じわをつくり、あたしの肩をそっと押した。


「この方は――」

「おお、そうだ!」

 ユリクス様が紹介するより先に、声の大きな変なおじさんはたんっと自分の膝を叩いた。


「忘れておった――娘、おぬしルティアに伝言を伝えてくれたか?」

 その言葉にあたしはあせった。

「あ……」

「なんだ。役に立たぬな」

「いえ――一応伝えたのですが」

 あたしはしどろもどろに言葉を捜した。

「あなたが」

「オジサマじゃ」

 それ、ずっと言わないと駄目なんですか?


「オジサマがどなただかピンと来なかったみたいで」

「なんだ。ルティアのやつめ。洞察力が悪いのぉ。まぁ良い。今度じきじきに召還状でも送りつけてやろうか」

「おやめください。そんなことをされては、あの子が怯える――そもそも、そんなことをおっしゃりたかった訳ではありませんでしょうに」

 呆れたような口調のユリクス様に、変なオジサマは肩をすくめ、そして突然その雰囲気をがらりとかえた。


 その鋭い眼差しに更に力を込めて、口元を引き締め、背筋を伸ばし。

冷たい眼差しであたしをひたりと見る。

 そうするとまるで鋭利な剣の切っ先でも突きつけられたかのような圧迫感をぶわりと感じ、あたしはぞわりと背筋があわ立つような感覚を味わった。

 そう、忘れていた。

この人は底冷えのするような強く恐ろしいものを秘めているのだと。

――決してただの変なおじさんではないのだ。


「わしは言うたな。罰を与えると」

「――」

「小娘。甘んじて受けるがいい」

 

 冷たい眼差し、口元に笑みを浮かべ、


「おまえを竜の贄とする」


 告げられた言葉は、正直――理解できるものではなかったが、共にこの言葉を聞いていたユリクス様は、口元にひっそりと笑みを浮かべていた。

 





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