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悪夢と人形

 それはまるでフラッシュバックのように、脳裏をいきなり駆け抜けた。

一気に酸素を吸い込み、見開いた瞳に入り込む薄暗い天井――明かりひとつない闇が、冷たい空気があらゆる情報があたしの脳内を駆け回っていく。


 壊れたおもちゃのようにがばりと跳ね上げた自分の体。

胸元を押さえるように手を当てて、あたしは止まってしまった心臓を動かすかのようにたんたんっと数度、胸を叩いた。


――夢を見ていた。

なんだか生々しい夢。

 あたしは迷路を一人駆け抜けていく。

生垣の迷路。

荒い息遣いは、獣におわれているかのように思えるけれど、それはあたし自身の口から吐き出されているようにも感じられた。


 足元は芝生。

時折り埋め込まれた石畳。

それはきっと庭の作成者によるほんの少しの遊び心なのだろうけれど、小さなあたしは幾度もその石に躓きそうになり、あわてて手が宙をかく。

 サンゴジュで作られた生垣の枝を無意識に掴んで、なんとか体制を整えなおすことを繰り返し、振り返りたいという吐きたいほどの欲求と同時、振り返った先にあるものをはっきりと認識することを恐れていた。


――耳をよぎる風の音さえも生々しい。


 ニゲナイト。

ニゲナイと……怖いことになる。


 切羽詰った感情と同時に、重なり合うように『あたし』が問いかける。

「何から逃げているの? 怖いことって、何?」


何が追いかけてくるの?


尋ねても、小さなあたし自身それがはっきりと何かは判らない。

サンゴジュ、カイヅカ、様々な樹木で意図的に作られた迷路を駆けながら――つま先に衝撃と同時、あたしの足が鋭い何かで押されてその勢いのまま前のめりに倒れこんだ。


 二の腕から伸びる腕に砂利の上をすべる痛み。

痛み?

いや、痛みはない。

今は――

 

あたしの心臓がばくばくと音をさせ、荒い息遣いを繰り返す。

耳鳴りが耳の中で奇妙な圧迫感をあたえ、動揺するあたしに「悪い夢でも見たの?」心配気に覗き込む眼差しに、あたしはあやうく二度目の心拍停止をむかえてしまいそうになった。


「な……に、してるの?」


 思いのほか囁くような小さな声で問いかけたのは、意表をつきすぎてあたしの感情が制御されているだけに他ならない。

 ここは確かめるまでもなく、あたしの小さなアパートの一室。

十歩程度で隅から隅まで移動が可能。寝台と一人用のテーブルと椅子。小さな水場だけで存在する小さなあたしの城。


 寝台は一人用で、決して――


「睡眠学習って知ってる? 寝てる時に囁きながら子供の頃の思い出を」

狭い寝台でうつぶせに体を横たえ、にっこりと言う男の顔面をひっぱたかなかったあたしは我慢強いのではなく、あまりにも驚いていた為に体が固まっていただけに他ならない。


「でもなんか、えっと、怖い夢になっちゃった?」

ごめんね?

と何の悪意もなさ気に言葉を続ける男に、あたしはやっと自分の体が小刻みに震えていくのを感じた。


「どうして、ここに、いるのかしら?」


 やっと搾り出された声はわれながら、ひっくい。

そして体の振るえに連動するのか、声も振動している。

何故でしょうか――お腹の底からなんだか判らない笑いがこみ上げてくるような気がいたします。


ああ――これってアレ?

純粋な、殺意ってヤツでしょうか?


ええ、あたしとこの馬鹿野郎様はもしかしたら恋人同士かもしれません。

そこを否定するのはちょっと色々と無理があるかもしれない。あたしは好きでもない相手に身を任せたりなんて考えられない。


この男が好きなんでしょうよ――で、どこが?


「他人の寝台に勝手に入るなっ」

 他人様の家に不法侵入して勝手に寝台の中にもぐりこんでいる男のどこが好きだというのだ。

 冷静になればなるほど、あたしは自分自身が大丈夫なのかと問い詰めたい。

「いやだなぁ、いまさら他人なんて言っちゃ駄目だよ?

リトル・リィってばちゃんと責任とってくれないと」


 あたしはぐっと鉛のように喉を競りあがってくる言葉を飲み込んだ。


――責任とって。


って、それは女の子の台詞だろうっ。

こっちこそ責任とって欲しいですよ。いやいやいや、責任の取り方が絶対こういう時だけノーマルだろうから却下。

「一人で寝てるとね、すごく寂しい気持ちになっちゃうんだよ。リトル・リィの体温とか、吐息とか柔らかさとか想像しちゃって――それで、僕は考えたんだよ!」

「……」

「ぼくがソウなんだから、きっとリトル・リィだって一人寝は寂しいだろうなって。一人で寝台の中で泣いているかもしれないとか、ぼくが来るのを待ってるかもって」

「……」

「そう思ったら、いてもたってもいられなくて」


 来ちゃった。


という言葉は、ぼふりという枕の音と共に抹消された。


――警備隊っっっ。

明日起きたら真っ先に被害届を提出。

不法侵入の変態を何とかしてっ。

それともこの無駄に偉い尊きあほんだら様の苦情は直接御領主様であるジェルドさんに言うべきか?

 ぎりぎりと奥歯をかみ締めながら脳裏でだかだかと考えてみたところで、あたしはその全てがまったく無意味であることに気づいていた。


生きる反則技めっ。


「出ていってよっ」

 ぎゅむぎゅむと枕で押し、寝台から排除しようとすれば「えええっ」と驚いた声をあげたあげく、ぱちりと指をひとつ鳴らした。

 途端、あたしの手の中の枕がぱっと消え去り、こちらは枕でぼすぼすと押しているものだから、その勢いのままボケカスの胸にぶつかった。


「じゃ、じゃあさ。キスしていい? そしたら、帰るからっ」

「あほですかっ」

「じゃあ絶対に帰らない」


 あたしの両肩をがしりと掴んでにっこりと微笑む相手に、あたしは耳まで赤くなるのを感じながら睨みつけ、自分の中で平穏と口付けとを天秤にかけた。


 まず大事なのは自分の城から悪魔を追い出すことが先決。

あたしが不承不承了承すると、面前の腐れ魔術師姿の魔法使いは瞳を細めてあたしの頬につめたい指先を沿わせた。


 とくりと心臓が一度大きく鼓動する。

了承はしたものの、口づけに慣れてきている訳ではないし、なんとなく気恥ずかしいものが這い登ってくる。

 あたしは相手の顔を見ていることができなくて、ぎゅっと力いっぱい目を閉ざして「さぁさっさとしなさい」という態度で示したが、相手は何が面白いのか小さく笑い声をもらし、声を潜めて――艶っぽさを含めて、囁いた。


「食べられてしまうと観念したうさぎさんみたいだね」


余計なことなど言わずにさっさとすまして。

「リドリー、可愛い」

囁きにさぁっと背筋にぞくぞくとしたものが這い登る。下半身から力が抜けるような奇妙な感覚。あたしがぱっと目を開けそうになるその瞬間、唇に唇が触れた。


 背に回された腕が、ぐっと強く抱きすくめる。

どう見ても優男だというのに、こんな時の力はとても強くてあたしの中に狼狽が走る。いつもは優しく触れる唇が、力を込めて押し付けられて酸素すら奪い去るかのようにあたしの全てを絡めとろうとする。

 頭に靄がかかるかのように意識が揺らぎ、あたしは酸素を求めて喘いだ。

手で相手の胸を押しても更に口付けが深まって、眦に涙が浮かぶと、親指の腹がそっとそれを拭い去り、嬉しそうな眼差しがあたしを覗き込んだ。


「やっぱ帰るのやめた」


ちょっ、なにそれっ。


***


 港町に一泊したいという欲求を宥めて、五人乗りの小型の手漕ぎ船を用意した。

港町を走る水路から山間へと遡る川へと入り込み、交代で櫂をこぐ作業に没頭し続けて、自分がいったい何の為にこんなことをしているのかと思えば、ドーザは乾いた笑いを漏らした。


「笑えねぇ」

「笑ってるだろ」

 付き合わされている商会の船子にして幼馴染のレイルが積んである皮袋を漁りながら軽く蹴るような仕草をしてよこす。


「ま、ドーザには頭が下がるわ。マーヴェルに付き合ってるだけで人間できてる」

「おぅ、褒めやがれ」

 ドーザは言いながらがしがしと櫂をこぐ。

川の流れを逆らうのだから人力でも相当の苦労だ。それを二日――小型の船では寝入ることもできず、夜は岸につけて地面で野宿という有様だ。

 もちろん、商会にはもっと大型の船もあるし人員もいる。だが、これは仕事ではないので早々良い船など出してはもらえない。


 船長であるマーヴェルの父親や兄達がいい顔をしないのは、当然だ。

それでも仕事をこなしながらの人探し。渋々目を瞑っているだけに過ぎない。彼等だとて判っている。

 マーヴェルがどんな思いで逃げた女を捜しているのか。


「馬鹿だよな」


 ぼそりとつぶやき、ドーザは自分の記憶の中にいるマーヴェルの婚約者を思った。

――一言で言えば、目立たない女だ。

 人の群れの中で、一歩も二歩も下がって決して近づこうとはしない。

マーヴェルは「笑うと可愛い」と言うのだが、その笑った顔を見たものはきっと少数だろう。

 控えめと言えば聞こえはいいが、陰気なと言えばしっくりとくる。

なぜあんな女にこだわるのか、ドーザは理解できなかった。

 何より――マーヴェルが結婚したいのは本当にあの女だったのだろうか。

誰に聞いても、マーヴェルはティナと好きあっていると思っていたと言うだろう。婚約者のリドリーの妹は、十歳頃になるまではめったに人前にでられるような状態ではなかった。

 ひどく病弱で、家の中でよく寝ていたのだ。


その娘が元気になると、途端に町の連中はその可愛さに驚いた。

ドーザもその一人だが、あいにくとドーザはティナに心を奪われることは無かった。ティナはふわふわの金髪に大きな翠の瞳。教会に飾られる天使のような容姿を持った愛らしい娘だが、我儘だった。

 本当にティナとリドリーが姉妹だというのは信じられない。

――その謎は、いがいに簡単に解かれたものだ。

 大人達は子供達が理解していないだろうとこそこそと言うが、ティナとリドリーの母親は違うというのは堂々と言われることではないが、皆……知っていた。


 さすがにティナやリドリー本人達に言うものはいなかっただろうが、皆なんとなく理解はしていた。

 リドリー自身が知っていたかどうかは謎だが。

リドリーはティナを可愛がっていた。というか――盾にしていたように見えた。


人との関わりを嫌い、全てティナの後ろに隠れて怯えているかのように見えた。

まぁ、リドリーときちんと会話をした人間がそもそもあまりいないのだから、ドーザの持つイメージなど、所詮ただの憶測でしかないが。


 判っているのは、近寄りがたい娘だったということだ。


まるで、体はそこにあるのに、魂はそこにないような――不思議な雰囲気。

ティナのように誰もが可愛いと賞賛するような娘でない。

美人でもない。

 だが、触れてはいけないという一種奇妙な雰囲気を持つ娘だった。

感情の起伏などないような、ただ静かな娘。


ドーザはリドリー・ナフサートに対して何等思うことは無かった。

それまでは。

あの日、結婚式の三日前にその姿を消してしまった彼女に対して、町の人間は驚愕した。もちろん、ドーザも同じように驚いた。

何より、正直に言えば――


「あのお人形さんにも心があったのか」

と賞賛したほどだ。


 流されるままに結婚してしまうのだと思っていたのに、意外にも彼女はみずからの花嫁衣裳を引き裂いたのだ。

 おとなしいと思われた娘の激情は、あっけにとられる程清々しかった。


 だからドーザはマーヴェルがリドリーを探すことに手を貸している。


悪いがきっとマーヴェルの為じゃない。

自分が見たいのだ。

今はきっと人間になった、あの人形を。


***


 痛みではなく、それは熱だった。


あたしはぼんやりと自分の素足を見つめた。

夢を見た。

――それは恐ろしい夢だ。


夢の中で、あたしは生垣に囲まれた迷路で悲鳴をあげた。


足を炎が突き抜けたような熱が貫いた。

それは、頭が理解を拒む程奇妙な光景。

ほんの少量の赤い炎が足と、そして石畳をぬらす。いや、炎ではない。激しい熱は、炎ではなくて、赤いものは血液。


太ももを貫いた一本の矢は、まるで冗談のようにそこにあった。


「夢……よね?」


それは、ただの、夢――

小さな子供は、狐狩りの獲物のように矢で貫かれ、痛みを感じるより熱を覚え、そして必死に救いを求めた。


――ユー……っ、


救い?

それとも――矢を向けた相手へと向けたものだろうか。

ほとばしるその声にあたしの悪夢は閉じられた。




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