口八丁と手八丁
「とにかく、奪ったものなら戻せるでしょ。
記憶を返して」
あたしの言葉に、しかし相手は意外な言葉を聞いたとでも言うように瞳を瞬き、挙句の果てに小首をかしげ、物の道理を判らぬ子供に諭すかのように言った。
「人の記憶を操作するのはとっても危険な魔法なんだよ?」
って、おまえが言うな!
しかも、危険ってどういうことですか。人の記憶を奪っておきながら言う台詞でしょうか。
もぅ、本当に誰かこのアホの育成責任者を出せ。
「記憶をたどる手伝いはしてあげられるけど、さぁどうぞと切り取った記憶をリトル・リィの中に押し戻すことは残念ながら、できない」
とんとんっと自分の隣を示して、殊勝な態度で淡く笑む。
どうやら座れと言いたいようだが、断固として拒否致します。
しばらく何度か座るように示し、あたしが拒絶を続けるとシュンっと肩を落としてみせる。その様ときたら、本当に寂しそうで痛々しくて、なんだかこちらが悪いような気がしてしまうのは――絶対にこの男の作為に違いない。
魔術師とか詐欺師の手口。
あとになってみればちゃんと判るのに、けれど面前にしていると騙されてしまうのだ。騙されるものかと何度も心の中で上書きしているというのに。
「無理やり記憶を引き戻して、もし君の心に傷ができてしまったら……そう思うだけでもつらい」
いや、だから。
その記憶に傷ができるような根本的なことを自分がしたっていうトコは無視ですか?
もしもーし?
前々から判っていたことですが、本当に自分勝手なご都合主義の塊でできていませんかね?
「でも、君の中にきちんと記憶の種はあるからね。思い出せない訳じゃないんだ――だから、さっきも言ったように、君の記憶を引き出す手伝いはいくらでもできるよ」
「……って、それはどういうことをするの?」
あたしがおそるおそる尋ねれば、天然詐欺体質の尊きあほんだら様はにっこりと極上のタラシ笑顔を浮かべてのたもうた。
「そうだね。失った記憶と同じことをたどってみる……とかね? それとも、ぼくがゆっくりとその時のことを話して聞かせてあげてもいいよ? 君がぼくにどんなことを話してくれたか。君がぼくの膝の上で寝ちゃったこととか」
なにその気はずか……
「君がぼくの口にあるチョコレ――」
「黙れぇぇぇっっ」
あたしがとっさに悲鳴のような声をあげるのに対し、確信犯(誤用)の病気持ちはにっこりと微笑を見せた。
「あ、コレはもう思い出してるんだったね」
――絶対に判っていて言ってますよね?
確実にこちらの反応を楽しんでいるだけですよね。
「ちっちゃな君が、頬をほんのり染めながら、お嫁さんにしてくれる? って……」
更に続けようとする相手に、あたしは身もだえするほどの羞恥に爆発した。
「もういいです!――もぉ、ホントウに結構ですっ」
「じゃあ、許してくれるんだ?」
「許す訳ないでしょっ」
それとこれとはまったく違います。
「だったら、やっぱり記憶が戻る手伝いをしないと。安心して、一晩でも二晩でも――なんなら一月じっくりあの時のことをすべて再現してあげる。ぼく、リトル・リィのことに関してはものすごぉく記憶力いい自信あるんだ。なんたってぼくの宝物だからね」
ひょいっと引き寄せられて耳元に「あのね」と囁かれたのを最後、あたしは半泣きで悪魔に魂を売り渡した。
「も、もぅ許すから、もうやめて」
……というかもうなんだか判らないけど、堪忍して。
騙されていると理解していても、人間には流されてしまうことがあるのだと身に染みて理解した瞬間だった。
***
そう、騙されてる。
判ってますよ!
少なくとも七割近くはごまかしとか、騙されとかの成分で満ち満ちている。
とにかくあのあほんだら様ときたら口がうまい。まるきり司祭長の顔で淡い微笑を湛えて淡々と解かれると、それが間違っていようとも誤魔化されてしまう自信がある。
生きてるだけで詐欺成分満載。
あたしってば意志薄弱!
弱すぎる。
「とにかく、君の為だったんだよ」
で何もかもが回せるのであれば町に警備隊は必要ありません! 何度近所に変態が出ると訴えでてもまったく役立たずな警備隊でしたがね。
しかし、そんなことすら強く言い切れなかった昨日のあたしに説教をかましたい。
まぁ、そのままずるずると押し倒そうとしたぬけさく様を渾身の力ではったおして逃げ帰った自分は褒めますが。
あたし偉い。
偉すぎる。ちょっぴり、ぎゅっと抱きしめられてそのぬくもりを感じたいとか思ってしまった部分は穴を掘って埋まっておけばいいと思いますよ。ええ、ホントウに。
「リドリー、雪虫だ」
アジス君の弾むような声に、あたしは店の窓を外側からふきあげながら、顔をそらして空を見上げた。
ほわほわと白い何かがゆっくりと吹きかかる風に巻かれて落ちてくる。
それは雪のように白くて、けれど真綿のような不思議なモノ。
虫というけれど動きはせず、ただ地面に落ちて消えていく。
やっぱり雪なのかな。
「もう冬だねぇ」
あたしはのんびりと呟いた。
冬といってもこの町の冬は短い。
万年雪が積もる竜峰とは違い、この辺りは地熱の影響と町の人曰くのありがたい竜様のおかげで冬の時期は短いし、この町じたいはさほど冬の厳しさを受けることは無い。町から出ると、途端に雪が偉い勢いで積もっていたりするので、そこはやっぱり竜に関係するのかしらと思ったが、どうやら――どっかのドくされバカが「寒いのはちょっと」ということらしい。
便利なアイテムなのか、身勝手なアイテムなのかそこは謎。
町の中こそ被害は少ないが、外は例外なく雪が厳しいのでこの町は孤立してしまう。もとからここの町に住む人にしてみれば、やっぱり冬は厳しい冬で間違いは無いのだ。
乗り合い馬車も来なくなるので、この町の冬はちょっぴり寂しい。
「アジス君は冬の間はどうするの?」
店の前のゴミ拾いをしているアジス君は、不思議そうに首をかしげた。
「どうって、何が?」
「乗り合い馬車も来なくなるでしょ? ターニャさんのところに戻ったりしないの?」
「どうせ俺は役立たずだしな」
母親の元に戻らないとあっさりと言う少年は、顔をしかめて見せる。だが、役立たずというのはあまりアジス君に似合う言葉ではない。
「どうして役立たずなんて」
君はいつだって立派ですよ。
最近はなんだか領主館の番犬の如し。ただし、今のところころころっとした子犬が必死に睨んでくるような、ちょっぴり可愛いらしさが目立つ。
「かぁちゃん今妊婦」
さらりと言われた言葉に、あたしはぶっと噴出してしまった。
豪快なマイラ小母さんの娘にして男前少年の母親、なんと、妊婦。
唖然としたあたしに、十一歳の少年はやれやれと肩をすくめた。
「二日前に手紙が届いた。家に戻ったって邪魔だの何だの言われるのが判ってるからな。まだ最近判ったみたいで、安定期っていうの? それが来るまでは鬼のように神経張り詰めてるらしいぞ。絶対に帰らない」
「でも、それだったらなおさら……人手とか」
いや、妊婦さんのことはあたしにとっても未知数なのであまり判らない。
妹のティナが産まれたのはあたしがまだ小さな赤ちゃん期なもので、いわゆる年子なのよ。だから、赤ん坊が産まれるとかって経験が無い。
けど、やっぱり赤ちゃんが産まれるというのであれば人手とか必要ではないのかしら?
ターニャさんの旦那様は普段から出稼ぎで居ないし、あの家にはおじいちゃんしかいない。しかもおじいちゃんは頑固だ。
「いいか? 十一の俺の下に突然いもーとだかおとーとだかができるんだぞ? 俺のこの繊細な気持ちも察しろ」
ないいぶ。
「かぁちゃんの顔見てどうしたらいいか判んねぇし。どうせ俺はいたって邪魔だろ」
だが妊婦で動きづらいターニャさんと頑固なおじいちゃんのコンビでは何かと心配だ。と思う心を読むように、アジス君は肩をすくめた。
「俺がかーちゃんの腹にいた時も、じぃちゃんが家事とかやったらしいから。今頃はじぃちゃんが奮闘してるさ。じぃちゃん妊婦には優しいんだってよ。ばぁちゃん――二人目の妊娠の時に無理がたたって死んじまったらしくってさ」
さらりと言われた言葉が意外に重くて、あたしは口をつぐんだ。
出産は命に関わる大仕事だ。
以前はマーヴェルの子供を腕に抱く想像もしたことがある。
でも、なんだろう――あの口八丁手八丁の子供を抱くのを思い浮かべることができないのは、あの人と自分との結婚というのがなんとも結びつかない為だ。
自然と胸に下げた指輪に触れて、あたしは北に連なる霊峰へと視線を向けた。
遠く霞む山脈には万年雪がうっすらと見える。
竜の眠る竜峰は――今日も変わらない。
それは御伽噺でしか無い風景。
「やぁ、がんばってるかい?」
あたしがぼんやりと遠くに霞む竜峰を眺めていると、突然柔らかな口調で言われ、あたしはあわてて背筋を伸ばした。
「おはようございます」
パン屋のお客様来訪かと、あたしが営業スマイルといつもよりちょっとだけ高いトーンでにっこりと振り返ると、そこにこの町で見たことも無い人物を発見し、あたしは窓拭き用のウェスを握ったまま凍りついた。
麦藁帽子に生成りのシャツ。
黒いズボンといえば一般的に農夫の衣装――だろう。
だが、そこについている頭は、物腰も柔らかな壮年の紳士。
色白な様子は確実に農夫ではなく、むしろまっとうな肉体労働など無縁の完全室内型と思わせる面は青白くて不健康。
だのにその格好は農夫。
あまりの不似合いっぷりに自然と口元が引きつってしまう。
それはさながら、見てはいけないものを見てしまった時の感覚に似ている。
――大げさに言えば、上半身はびしりと決めているのに、下半身が丸見え。
挙句相手は爽やか笑顔。
「ユ……リクスさま?」
さすがのアジス君も驚いた様子で言葉をつまらせ、あたしも唖然としながら瞳を瞬いた。
「あの、ユリクス様……ですよね?」
幾度もお会いしたことは無いが、それでも招待を受けて一緒に食事もしたし、屋敷に泊めても頂いた。
ルティアの養父である神殿官長ユリクス様は、完全に超浮きだくりの農夫姿でにこやかに微笑んだ。
「似合ってるかな? 町に溶け込むようにこういった格好のほうがいいとルティアが用意してくれたんだが」
人の良さそうな神殿官長様は、自分のシャツの袖口をつまむようにして微笑むが、あたしが応えるより先にアジス君が言ってしまっていた。
「いや、この町でもその格好は、ない、かなぁ――」
ルティア……ルティアがおかしな格好をするのはもう慣れたけど、自分の養父まで毒牙にかけるのは如何なものでしょう。しかも確実に騙してるし。
あたしの脳裏には、ルティアが口に手を当てて笑っている様子がまざまざと浮かんでいる。
「農夫って、このヘン居ないし。それ以前の問題もありそう」
アジス君の微妙な返答に、あたしは慌てて「それより、今日はどうなさったんですか?」と畳み掛けた。
とりあえずもうその格好のことは触れちゃ駄目だ。
この善良なる紳士をこれ以上追い詰めてはいけない。
不憫すぎるから。
あたしの努力の賜物か、それとも当人がちょっと人が善すぎるのか、神殿官長ユリクス様は目元に小じわを作って微笑んだ。
「ナフサート嬢に、ひとつお願いがあってね」
きいてもらえるといいのだが、と言葉を続ける相手に、あたしは愛想笑いを浮かべながら力強くうなずいた。
「あたしにできることなら」
そのルティアの悪行衣装から話題を逸らせられるのであれば、何だってしちゃいますよ。
そんなあたしの意気込みは、しかし告げられたオネガイの言葉に凍りつく羽目に陥った。