web拍手お礼小話つめつめ(7)
母は嫌いでは無い。
母の愛情は疑いようがない。母が父との別居を決めた時も、母は必死にあたしを連れて行こうとしたものだけれど、あたしはティナの戸惑う視線も、父の苦い顔も突然定められた婚約者のことも振り切って母についていくことはできなかった。
むしろ、あたしが行かないと言えば母も残るかもしれない。
そう思った程だ。だがそうはならなかった。母はあたしを幾度も幾度も抱きしめて、けれど一人で伯父の待つ聖都へと行ってしまったのだ。
あたしは今、自分用にと用意された部屋と衣装を眺めながら一人思う。
「――ついて来ないで良かった」
人生かわるどころか何かが激しく壊れそう。
セイシン?
お花畑で暮らせるのは変態だけだと思う。
一日耐えるのもキツイんですが。
***
「エル、喉が渇きました」
冷ややか笑顔の主の言葉にエルディバルトが嬉々として動き回っている。
聖都にある神殿。彼のもともと座すべき場にいる男は神官長らしい長衣装に冷ややな微笑を湛えたままめずらしく仕事にいそしんでいるようだが、その場にいる人間はすべて戦々恐々と潮のように引きだくり、主の言葉にびくびくと身構えている。
「……ご機嫌斜めですわねー」
こっそりと柱の影からそれを眺めつつ、アマリージェ、ルティア、翌日早々に聖都に戻っていたアジスの三人はぼそぼそと口にした。
「こわいですわね」
「――そうか? 近寄りがたいけど、本来の尊き人じゃんか」
アジスにとっては最近見てきたヒトのほうが悪夢だ。
「エル、お茶の時間に私の為に城下町の《アリスタウン》のアップルパイを用意して下さい」
「行って来ます!」
「八つ当たりしまくってますわー」
ルティアはくすくすと笑った。
「ケーキ買って来いって頼んだだけじゃないか」
「《アリスタウン》で売られているのはロールケーキだけですものぉ。きっとエディ様、必死に店主にアップルパイを要求するのですわー、ああっ、楽しい。素敵ですわ、エディ様っ。見逃したらもったいないですわよぉ。行きましょ?」
うっとりと言うメイドさんを一度うろん気に見上げ、ついでアジスはアマリージェに視線を向けた。
「楽しいか?」
素敵なのか?
「……萌えポイントは個人の自由ですから」
エディ様の不幸はルティアの幸せ。
――それは本当に愛なのか激しく疑問。
***
「たまには真面目に働いているのを見てもらえば、ぼくがどれだけ誠実な人間だかリトル・リィに理解してもらえると思うんだ!」
どう思う? と言葉を振られたアマリージェだったが、生憎と「誠実な」人を発見できそうになかった。
「申し訳ありませんけど、その案はオススメできません」
「どうしてだい?」
目に見えてしまうからだ。
きちんと祭祀を執り行っている神官長――その前にリドリーを配置したらどうなるか。
「仕事を放棄して更に人間性を疑われると思いますわ」
「……マリー、ぼくのこと誤解してない?」
果たして誤解なのか?
***
「ルティア」
エルディバルトは珍しく神殿にいるルティアを呼び止め、真面目な口調で言った。
「公が何をおっしゃったか知らぬが、貴女は自宅にいなさい」
「何のことです?」
「――貴女があの女の面倒をみることなどない」
厳しい口調で言うエルディバルトを見上げ、ルティアはそっと溜息を吐き出した。
「公には早く結婚して頂きたいのですわぁ」
「そんなことをしなくていいっ」
エルディバルトはきつくいい、いらだつようにルティアを引き寄せて抱き込んだ。
「そんなことはしなくていいんだ。ルティア」
――公に結婚して頂かないと自分達も結婚できない!
だから率先してリドリーの世話をしたいルティアと、公を想い公の為に日陰の身になって必死にルティアが耐えていると思い込んでいるエルディバルト。
更にその勘違いを承知しつつ、エルディバルトが優しいので思わずノッてしまうルティア。
「ジレンマですわ……」
バファXンの半分は優しさでできていますが、【あたしの魔法使い。】の半分以上が勘違いでできています。
***
「大変だよ、リトル・リィ!」
突然背後から抱き寄せられ、あたしは条件反射で肘鉄を繰り出した。
「ぐふっ」
「ああ、ごめん。いたの?」
「いや、いたよね。判ってたよね?」
「そんなことないわよー?」
棒読みですが、悪意は無いですよー。ほら、誰だって害虫を見たらスリッパを振りかざすでしょう? それと同じ。
「で、何がたいへん?」
「ううう、そんな貴女が大好きです。いや、うん大変なんだよ」
気を取り直した男はぐっと拳を握りこんだ。
「本編のほうで【尊大な騎士~】がのってる」
「ああ、そうね。それのどこが大変なの?」
「ぼくらってば出番無いんだよ? 前編・後編で二週間もぼくの欲求不満がたまるっ」
「……」
「男っていうのはイロイロと溜まるものなんだよ。それでもって一定のサイクルでちゃんと出さないとだ――」
裏拳。
裏拳は痛いからもうイヤだって言ったのに!
***
「【尊大な騎士といじっぱりな姫君】はマリーが二十一歳の話ってことは、現在から7年後ってことよね」
「そうだね」
あら、顔いたそうですねー?
大丈夫ですかー?
顔面を軽く押さえながら心持ち一歩退いた変態は気をとりなおすように言った。
「でも7年後ってことは、その頃はぼくたちもきっと夫婦になって可愛い子供とかいるかもしれないね!」
「でもそんな話ちらっとも出てないわよ」
「そりゃ、本編とは関係が無いからはしょられたんだよ」
「もしかして神官長が代替わりしてるかも。もしかしてあたしは他の誰かと……」
確かに神官長の話題とマリーの友人の話はちらっとだけ出ているけどねぇ。とあたしが冷たく言えば、変態はどんな涙腺をしているのかさめざめと泣き始めた。
「いいんだ。ぼく判ってる。そうやってぼくの心を傷つけてもてあそんでリドリーは快感を覚える性癖なんだ」
「違うわよっ!」
「大丈夫。ぼくちゃんと耐えられる。究極のMにだってなるよ」
「違いますってばっ」
「リドリーの為ならぼくは蝋燭だってムチだ――」
腹部の一発は本当に手馴れてますからね!
「あたしはSじゃないですからっ」
「……本気で言ってる?」
***
肩を落として溜息を落とす御領主様の様子にアジスは心配気に声を掛けた。
「御館さま? 何か……姫様と何か話していたようですけど」
十六歳という年齢が過ぎれば、領主の妹姫であるアマリージェと親しく会話を交わす頻度は明らかに減った。
覚えることは多く、すべきことも多い。
聖都と主との間とを行き来しながら、それでも領主館に居を頂いて遠くからあの人を見ることはできた。
――窓辺に立つ姿を。東屋で休む姿を……
「見合いの話をね、また蹴られてしまった。今となっては自分のことよりもあの子のことが気がかりでしかたないよ」
ふっと、ジョルドは苦笑した。
「見合い……」
小さく口の中でその単語を転がして、自分の胸の痛みを無視しようと勤めた。
だが、それはとうてい無視などさせてはくれぬ。
騎士を目指せるのだと、その道を示してくれたヒト――
誰より綺麗で、誰より優しくて、誰より厳しくて、誰より……
ただ護ろう。
たとえいつか他の誰かのものになろうとも。
いつか、いつか、あなたの騎士に。
その思いと同時に湧き上がる。
――おまえなど要らぬと言って欲しい。
おまえのような騎士など要らぬと、捧げた剣をこの胸に深く突き刺して、優しい慈悲を与えて欲しい。
あなたの姿を、声を、最後に得られればそれは永遠。