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過去と過去

 嵐の脅威を乗り切った時、疲弊した体を抱えた船子達は自分達の運の良さを女神ナトゥへと感謝した。

 多くの帆船がそうであるように、当然この船の先端にはナトゥを模した女神像が竜珠と呼ばれる小さな珠玉を胸に抱くのが見られる。

 その像に感謝の言葉と酒を振る舞い、船の損傷を調べ上げていく船子の声を遠くに聞きながら、この船の船主の息子は吐息を落とした。

「命拾いしたな」

「海では死なないさ」

 何の根拠も無い言葉を口にし、マーヴェルは肩をすくめる。

たいていの船乗り達は同じ言葉を呪文のように口にし、そしてたいていの船乗り達がその最期を海で迎える。

「だが進路がだいぶずれたろう。ったく、ろくなもんじゃねぇっ」

「そういうなよ、ドーザ。嵐の間は沖にいたほうが座礁は免れる」

「その代わり船がしずんじまえば命はないだろ。流石の俺だって陸地まで泳ぎきる自信なんざねぇ」

 つまらなそうに言う友人に苦い笑みを返し、マーヴェルは口の端に笑みを刻んだ。


――死ぬのもそう悪くない。

 などといえば悲観的過ぎるだろう。

父親はすでにマーヴェルの新しい縁談を考えているとほのめかした。相手はずっと北のほうにある港町の商家の娘だとか。

「これだけ探して見つからないんだ。リドリーは死んでいるかもしれないじゃないか」

 兄の言葉に、咄嗟に頭の中が真っ赤に染まるように感じ、その襟首を締め上げていた。父がとめなければおそらく殴り倒していたことだろう。


 考えなかった訳じゃない。

何故なら、リドリー・ナフサートは気の弱い――繊細な娘であったから。

護ってあげなければと思わせるか弱い少女が、たった一人で生きていると思うだけで胸が締め付けられるように苦しくなってしまう。

 商家の娘としておっとりと育っていた彼女が、果たして厳しい世間でどうやって生きていけるだろうか。

 誰かに騙されてやいないか。泣かされてはいないか。つらい思いをしていないか……悪い男に騙されたり、はたまたその命を……

マーヴェルはぐっと拳を握り締め、その考えを投げ捨てた。


リドリーは生きている。

生きている。

 決して顔を合わせてくれなかった彼女の母親が動揺など微塵も見せはしなかったのが何よりの証拠だ。

 あの頑な人が「ティナに聞けばいい」と言ったのは、きっと自分の誠意が通じたのだと信じたい。

 七割の確立でただのでまかせで追い払いたかったのだとしても、それでもやっと掴んだ手がかりならば無視などできなかった。


 ただ、ティナにもう一度会うことができるだろうか。

自分はティナを拒絶した。そして、ティナの父親の願いすら拒絶した。今更会わせて欲しいと願って会わせて貰えるものだろうか。

 それ以前に――ティナが姉の居場所を伝えてくれるだろうか。

以前目にした彼女は、まるきり元の彼女とはまったくの別人のようだった。ただ寝台で壁に向かい、ぶつぶつとリドリーを呼んでいた。

 心が壊れてしまったと彼女の父親が言っていたが、自分はそれをただ冷たく見つめただけだ。

 ティナは――十歳足らずの頃こそ病弱だったが、病気が完治すると天真爛漫で無邪気な娘になって、あけすけにマーヴェルが好きだと言っていた。それでも大人になるにつれてその発言が無くなったのは、マーヴェルとリドリーの婚約が成立していたからだ。

 

 リドリーと会う時、決まってティナもいたけれど、ティナとリドリーと三人で何の問題も無かった。

むしろ三人でいなければリドリーに触れてしまいたくて、それを誤魔化すように愚かなことばかりしていたから、ティナがいることに対して文句は無かった。


――姉さんは、結局何でも持ってるから欲が無いの。


 ティナはふと、そんなことを言っていた。

「ううん、違う。どんなモノもどうでもいいの。面倒くさがりなのか博愛主義者なのか知らないけど。争いごとが嫌いで、自分が我慢すれば何事も起こらないと思ってる。馬鹿みたい」

 ティナが何かの拍子、リドリーが席をはずした時にした台詞に腹をたてたのは、それが事実でもあるからだ。


 家から出るなといわれればリドリーは父親の言葉を守って家から出ない。

ティナが一緒にいたいといえば断わらない。

幼馴染の男と結婚しろと言われても、彼女は何の躊躇もなく受け入れる。


「あたしがマーヴェルを頂戴って言ったら、くれるんじゃないかしら?」


――……とっさに、ティナの頬を叩いていた。

女性を叩いたことなど一度も無い。それでも気持ちが乱れ、体温が上昇し、腹立ち紛れに手が出ていた。

 最低な行動だと判っている。

でも――その台詞は、決して言って欲しくはなかった。

自分の胸の内で、確かにくすぶっていたものだからこそ。


……彼女があんな行動を起こしたきっかけは、結局自分だったのかもしれない。

 

***


「お帰り、リトル・リィっ」

 毎度毎度飽きもせずにぼんくら魔術師姿のすかぽんたん様は両手を広げて左手に持ったトップハットから鳩を飛ばした。

 一羽、二羽、三羽……――


くるっぷぅ。


 そしてあたしはにっこりと微笑んだ。

この間とは違う。

今日のにっこりは――臨戦態勢を示すにっこりだ。そのかわり口の端か目の端かは細かく痙攣しているけれど。

「ただいま、魔法使い」

 あたしの言葉に、魔法使いは軽く目を見張り、満面の笑みを浮かべて見せた。それはそれは幸せそうに。

 いくらでも幸せに浸れば宜しい。

今のあたしは真っ黒ですよ。色々と腹立たしい要素の塊ですからね。

「やった! 今日は喋ってくれたっ。すごい、嬉しいっ。どうしよう。ぼくってばもうそれだけでイ――」

……逝って良し。

天国でも地獄でも思う存分逝くがいい。ただし、

「今日は真面目なお話があります」

大事な詰問の後で。


「なになに? 結婚式の日取り? それともまさかのもう赤ちゃんができたとか? えええ? ぼくってばおとーさん?」

 どうしよう。

とりあえず何より先に殴っていいような気がいたします。どうしてこう口を開くと人を怒らせるようなことしか言わないのだろう。

 あたし――本当にこの阿呆が好きなのでしょうか。

本当にあの腹立たしい男と……致しちゃったんですよねぇ。ああ、人生ってどうなっているのでしょうか。


 後悔先に立たずって本当だと思いますよ。

後悔してませんけどね! だって結局好きだもの。

あああ、この自分の矛盾が何よりイヤですよ。

本気でね。


 あたし自身の思考回路もそうですが、放っておくとどんどんと一人でおかしな方向に向かっていってしまう魔法使いは、つつっとその視線をあたしの腹部へと向け、じいっと見つめたかと思うと「赤ちゃんいないっぽいよ?」と小首をかしげた。


 まて。

なにそれ。見ただけでナニが判るというのでしょう。

あたしは口元が更に引きつるような気持ちになった。


「ああ! でも赤ちゃんはまだちょっと先がいいよね。だってもっとイチャイチャ一杯したいしっ、あんなことやこんなことも色々と試してみたいことが一杯あるけど、妊娠初期に無茶はできないよね」

「あたしの記憶を奪ったのはどうしてかしら?」

 あたしは貼り付けたような微笑のまま、極力感情を抑えてそう問いかけた。


 相手の動き、表情、その全てを見落とさないようにあたしは身構えていた。

どんな小さな嘘一つだって見逃してあげるつもりは無い。

あたしがこう切り出すことで驚愕し、慌てふためいてどんな言い訳を――と、こちらが身構えているというのに、魔法使いはさらに嬉しそうな笑みを浮かべてみせた。

「思い出してくれたんだね?」

「……」

 いや、あの、へ?

なんか、ちょっと違いますが?

何をそんなに嬉しそうにのたまうか?

あたしは思っていたのとはまったく別の反応がかえってきたことに狼狽してしまった。


「あの時も君は記憶を消すことを反対していたね。でも、ちゃんと思い出してくれたんだね!」

「何盛り上がってるのか判らないんだけど、あたしが言っているのは――どうして記憶を奪ったのかってことなのよ! どうしてそんな酷いことができるのっ」

 相手の謎の勢いに負けてはいけません。

 あたしの手首を掴み、引き寄せようとするものだから、あたしはその手を振り払って一歩退いた。

 魔法使いは一瞬傷ついたような表情を浮かべ、ついで淡く微笑むと自らの後ろ手にある扉に手を掛ける。

「少し話し合いが必要かな。こんなアパートの廊下で話している訳にもいかないし。とりあえず中に入ろうか?」

 ほんの少しだけためらって、けれど相手の言うことも理解できるものだから、あたしは仕方なくその言葉に従って古臭い扉を潜り抜けた。


 途端に体に違和感が生まれる。

それはたとえるのであれば、わずかなゆがみだ。

踏みつけた場所の角度がほんの少しだけ曲がっているような、なんとなく踏み心地の悪い違和感。脳内揺さぶられるような、騙されたかのような感覚。

 脳内で考えることと体で感じることが食い違う違和感。

 そして扉を抜けた先、あるのは案の定な、どこまでも白を基調とした綺麗過ぎる寝室で、あたしは理解していたというのにたじろいでしまった。


 そう、寝室。

数日前にあたしが目を覚ました、その場所。

「座って」

「……どこに?」

「寝台?」

 当然お断りです。

あたしは喉がこくりと動いて唾液がやたら溜まってしまうのを無視して、無言でその寝室をつかつかと歩き、更に奥にある廊下へと出る扉を開いた。

「隣が私室だよ」

 それも当然お断り。

だれがそんなプライベート空間――もとい、悪魔の縄張りになど行くものですか。


 あたしは自分が腹をたてているということを明確に示す為にも、足音も高く廊下を歩いて居間へと赴きたかったのだけれど、生憎とこの屋敷の二階の床ときたら寝室だろうと廊下であろうとやたらふかふかとした起毛の絨毯が敷き詰められていて足音なんてたちゃあしない。

 やっと階段を下ってオープンフロアに出ると床が石張りになった。

あたしは思う存分足音を鳴らし、まるでこちらの来訪を知っていたかのように普通に頭を下げて居間の扉を開けてくれる使用人の脇を通り、居間のソファを示した。

「どうぞ」


あたしの家じゃないですけどね!


 そうして改めてあたしは絶対に誤魔化されるわけにはいかない重大案件を突きつけた。

「どうして、あたしの記憶を奪ったの?」

 あたしの決意のこもった再度の宣戦布告を、面前の男はトップハットをくるりくるりと手で弄びながら微笑で応えた。


「君が竜を目覚めさせてしまえる人だから」

 淡い微笑のままに告げられる言葉に、あたしは予想の斜め上どころか方向感覚を見失い、ぐっと足を踏ん張って絨毯の模様を見つめた。


――ごめんなさい……聞きたかったのは、もっと阿呆な、理由です。

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