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女々しさと波紋

「でかいのが来るぞっ。脇腹を見せるんじゃねぇっ」

 季節はずれの嵐だった。

聖都から続く運河をひたすら下り、三日を掛けて海へと出て、大型の商船に乗り込んで二日目。外洋ではなく内海を南下しつつも左手にはずっと岸辺を眺めていたものだが、湾内を出て一日、雲行きの悪さに慌てて内海へ戻るべきか沖合へと出るべきかを考え、大型商船は座礁を恐れて沖へ沖へと進んだ。

 黒くうねる海原の動きに全神経を研ぎ澄ませ、船子たちが忙しなく船上を行きかう。

船の上で産まれたと笑いあう海の男達といえど、嵐ばかりは軽くあしらうことも余裕を見せることもできない。普段の海であればともかく、こんな嵐で船上から放り出されれば命などひとたまりもなく消え去るしかない。海は彼等に数多の糧を与えるが、時には無常にその全てを一瞬で奪い去ることを彼等はよく知っていた。


「っの、くそったれ!」

 巨大な波に乗りあがり、その船体がぐらりと揺れるのに合わせて体制を崩した友人を、上半身裸の男がロープで引っ掛けてはたき倒した。

「うろちょろすんな、ぼけがっ」

「ドーザ、オレは船から落ちたりしないさ」

「一度落ちろ! 落ちて、死ねっ。この疫病神っ」

 本気とも冗談ともとれるようなやり取りを繰り広げ、なんとか幾つものうねる波をやり過ごした船は疲れ果てて外洋でその碇を沈めた。

 空を見上げれば未だ雲は多いが、ところどころその雲の上から太陽の光がまぶしく海上にまっすぐの線を描き、神秘的な美しさを見せ付けている。

 ぐっしょりと濡れて肌に張り付いた上着を脱ぎ去り、ぎゅっと強く絞れば水に浸したのかという程に海水が絞り落ちていく。


「おまえに関わると本当にろくなことがねぇな。やっと郷里に戻るかと思えばコレだよっ」

「オレが嵐を呼んだように言うなよ」

「違うのか? 違うんだな? 本当だなっ?」

 ドーザは言いながら自分も相手と同じように腰にくくっていたシャツを引き出し、乱暴に絞った。


「あああっ。こんなことならあの嬢ちゃん達の舟遊びに俺が付き合うべきだったよ。ダグの野郎今頃あの綺麗なメイドのねぇちゃんとうまいことやってるかもしれねぇなっ」

 ちきしょうっと呻く幼馴染をあきれるように眺め、マーヴェルは絞ったシャツを勢い良く広げて水切りの為に二度程振った。

 ドーザがその話をするのはもう幾度目だったか。

聖都を出る時に「舟遊びがしたい」と声を掛けてきた二人の子供と付き添いと思われるメイドはマーヴェルの記憶にもはっきりと残っていた。

 なかでも付き添いのメイドは不思議な雰囲気をかもしてはいたが、どうやらドーザの心に住み着いた様子で「名前を聞いておけばよかった!」としつこい程話題に上っている。 


「何もついて来ることはなかったのに」

「今更だろ」

 ドーザは舌打ちし「ま、また近いうちに都にあがったら探すからいいさ。神殿官のお偉いさんの紋章馬車だったからな」とぶつぶつと続けた。

「いつまでも付き合うことはないんだよ」

 ドーザは何だかんだとこの一年ずっとリドリーを――婚約者を探すのに手をかしてくれている。一人であてどなく探していると気が滅入る為、ドーザがいてくれるのはとてもありがたい。


――いい加減にしろ。もうナフサートの娘と結婚しろとはもう言わない。あの商人も今となっては落ち目だからな。何より、いくらお前が三男だといっても、いつまでも遊ばせておくつもりはないからな。


 ふいに父親の叱責が耳によみがえり、マーヴェルはほんの一瞬苦痛をおさえるように瞼を伏せた。

仕事の合間合間をぬっての人探しではあるが、父や兄としても目こぼしし続けるにも限界なのだろう。


「そう、おまえまで付き合うことはない」

思いのほか重く落ちた言葉に、

「俺はなぁ、リドリー・ナフサートに一度会って言ってやりたいんだよっ」

 ドーザはドラの音のように響くだみ声で強く言った。

「こんな女々しい男は捨てて当然だ! 良くやったってなっ」


「左舷に雨雲っ。かぁっ、だから台風っつぅのはイヤなんだよっ。次々きやがる」

 突然船の先端から向けられる金切り声のような報告に、一旦解かれた緊張がその場を支配する。マーヴェルは濡れて張り付いていた前髪をかきあげて絞ったシャツを腰にくくった。


「女々しいのは……判ってるよ」


***


 軽く殺意が沸いたところで実際にヒトゴロシなどできよう筈は無い。

どれだけ腹立たしく、どれだけその息の根を止めたいと願っても。

だからあの日、あたしは帰宅途中の階段で頭の中で花を咲かせ、あまつさえ蝶を飛ばしているあんぽんたんですかぽんたんでのーたりんで腹立たしい程顔だけはいい阿呆な魔術師の格好をした変態を前に、にっこりと笑ってみせた。

 きっと口の端はひくひくと引きつっていただろうけれど、あたしは一生懸命極上の笑みを作ってみせたのだ。


「お帰り、リトル・リィ!」


 あたしの全開の笑顔をどうとったのか知らないが、あんぽんたんですかぽんたん――以下略――は、ふいにもじもじと身をくねらせ、まさにてれてれと「あのね、そのね、今日もぼくの部屋に泊まる? 美味しいご飯も用意してあるし。今日はもっと時間をかけて――」と何か判らないけど、きっと邪悪なことを口にしようとしていた男に、あたしは言った。


「どちら様ですか?」


「……えっ、と? え?」

その時のあれの顔は素でおかしなことになっていた。

「良い天気ですね。ではさようなら」


――以来二日程口を利いていません。


「リドリー、あの人は本当に頭がどうかしているとは思いますけれど、そろそろ許してさしあげて下さいませ」

 アマリージェが昼食のパンをぱふりと二つに割りながら、ちらちらとあたしの様子を伺うように言ってくるのだけれど、あたしは相変わらずにこやかな表情で「何の話しですかー?」と無視していた。

「今では四六時中兄に泣き言を言っているのです」

 うっ。なんかそれは申し訳ない。

御領主様ときたら人が良すぎるものだから、きっと親身になってあのあんぽんたんですかぽんたん――以下略――の下らない妄言を聞いているに違いない。なんて不憫。

しかもその光景が物凄く想像できる。


激しくうじうじとした女々しさ大全開で他人様に迷惑をかけているに違いない。


「マリーが何について言っているのか判りません」

 しかし今のあたしは意固地なイヤなヤツでございます。


「またそんな」

「どなたのことを言っているのか、まったく判りません」

 そりゃ、ちょっとやりすぎている感もあるけれど、あたしの憤りはこの程度でどうにかなるものではありません。

はっきり言って人権侵害。

もうアマリージェとは顔を合わせているけれど、果たしてジェルドさんやルティア――はどうせ喜んでいるだろうからいいけど――それと、エルディバルトさんと顔を合わせられない。あんまり恥ずかしくって。

あたしが淡々と「変態なんぞ知りません」を貫いていると、困惑の色を深めていたアマリージェが、ふいにその瞳を見開き、あたしを凝視した。


「まさか、本当に忘れてしまっている訳ではありませんわよね?」

「――」

「でも、そんなまさか? あの方がまた記憶を奪ったという訳ではありませんでしょうに?」

 驚愕してその手からパンをぽろりと落とすマリーに、横合いから落ちたパンを咄嗟に拾い上げるアジス君。

 アマリージェは腰を浮かせ、あたしの手首をぐっと掴んだ。

「それとも、何かの後遺症とかっ」

「えっと、マリー? 突然何?」

 記憶を奪うって、なんですかそれ。

いくらなんでもどっからその発想が出るの。


「リドリーもいい加減にしろよな。なんで腹をたててるんだか知らないけど、ガキみたいにいつまでも無視するなんて下らない」

 慌てているマリーの様子を見て、アジス君は顔をしかめてあたしを睨みつけた。その顔にははっきりとアマリージェに迷惑を掛けるなと書かれている。あたしは肩をすくめ、あたしの手首を掴んだままのアマリージェの手の甲をぽんぽんと叩いた。


「脳内から完全消去したいという願望はあるけど、しっかり居座ってますよ。心配かけてごめんね」

 アマリージェはけぶる睫毛をぱちぱちと瞬き、ほっと息をついた。

「本当に忘れてしまったのかと思いましたわ」

「ん。ま、確かにあたしは割りと物忘れが激しいほうですけど――あの突拍子も無い生き物を忘れるのはなかなか難しいですよね」


 でも、あたしはその突拍子も無い生き物を忘れていたのだ。

子供の頃に出会っていたというのに。それはものの見事に綺麗さっぱり。

まるで――そんな記憶は元から無かったかのように。


あたしはアジス君にも謝りながら、ふっと眉を潜めた。

さっき何かアマリージェってばおかしなことを言っていませんでしたか?


――あの方がまた記憶を奪ったという訳ではありませんでしょうに?


「マリー……?」

「え、はい?」

 マリーはほっとした様子を見せながら、小首をかしげて微笑んだ。


「あの、さ。もしかして――魔法使いは、人の記憶を奪ったりとか、できちゃったりする、のかしら?」





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