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黒い天使と地雷

その日の夕食程のんびりと楽しく、そして美味しいと思わせてくれるものは無かった。

格好だってわざわざ着替えて正装だの何だという堅苦しいこともなかったし、一緒に食べている友人は楽しい話題の提供者でもあった。

 ただし、彼女は看護婦さんのような姿をしていたし、給仕係もいるというのだけ目をつむることができるのであれば。


 メイン料理である羊肉のローストにナイフを当てながら「むかし、マリィにジョルドのお嫁さんになってとお願いされたことがありますのよぉ」と、思いがけない告白にあたしが御領主様の悲しい過去とか暴露してはいけませんと!と、ハラハラとしてしまっている頃に、この屋敷では見たことの無い黒の上下のお仕着せらしき服装の男が控えめに入室し、あたしに一旦頭を下げ、そしてルティアの横に行く身を寄せてその耳もとに何事かを囁いた。


 小さな声で二人は二・三囁き合い、そして相手は深くうなずくと、またあたしへと体ごと向き直り「失礼致しました」と一礼して退出した。

 あたしは瞳を何度か瞬き、ルティアに問うべきか問わざるべきかと逡巡したが、答えはすぐにルティアからもたらされた。

「食事中にごめんなさいねぇ」

「いや、いいのだけど」

何かあった? という言葉は飲み込んでおいたが、ルティアはとても良いことがありましたのぉとばかりに口を開いた。


「ふふ。ちょっとした知り合いの方を探してましたのぉ――その方が見つかったらどんな時にもすぐに知らせるように言っていましたのよぉ」


 ルティアは楽しそうにころころと笑った。

とろけるように幸せそうに微笑み、手元の皿にある羊肉にフォークとナイフとを当てる。

彼女の指先がほんの少し力を加えただけで、柔らかな肉はすっと綺麗な線を描いて切れ、羊肉の周りのソースがその表面に美味しそうにからめられた。


「心配しておりましたのよぉ、なんだか気の病らしくってぇ。なかなか眠れないのですってぇ。おかげで職場にも顔を出していらっしゃらないようですしぃ、居場所もはっきりしませんしぃ」

 ルティアは相変わらず間の抜けたようなほにゃんとした口調で続ける。

その為に一見するとちっとも心配していたようには見えないが、内容的には確かに心配するに値しそうなものだ。

 気の病というものがどういうものか判らないが、人間眠れないというのはなかなか厳しい。どんなに辛い時でも結構ばったり寝れてしまうあたしにはあまり無縁だけれど、きっと眠れないというのは凄く辛いと予想はできる。


「眠れないっていうのはストレスみたいなものなんですかね? それは確かに心配ですね」

「ええ! なんだか判らないですけどぉ、夢見が悪いんですってぇ。それで眠るのが怖くなってしまったとかぁ。大の大人がおかしなことですわねぇ。それで、仕事にも来なくなってしまってぇ、ちっとも見つからないものですからぁ、ルティとぉっても心配しましたの。でも、ちゃんと見つかりましたからぁ。明日あたり行って来ますわぁ」

「夢見が悪いってのは、確かにイヤですよね」

 あたしも子供の頃の夢を見ると悶絶したくなりますよ? ただアレは悪夢と断定するのはちょっとアレなんですけどね。

 いや、悪夢といえば確かに悪夢!

その代わりあたしはむしろ率先して見たいと思っているけれど。

自分の記憶を取り戻すために。思い出したくないシーンばかり出てくるのはいかんともしがたい。


「ルティ基本的に夢は見ないのであまり判りませんわぁ。ちゃんと寝る前に運動すると夢なんて見ないくらいよぉく眠れますのよぉ」


 ルティアの明るい言葉に、あたしはつくづくルティアは優しいなぁと口元が緩んだ。

時々とっても怖いんじゃないかという片鱗も見せるが、病に陥ったであろう人を気にかけるような面も見せてくれる。


 あたしの心が一瞬ほんわりと温かくなったが、ルティアの「寝る前の運動」という言葉にぐっと思考が停止した。

 いや、うん……考えちゃ駄目ですよ。

ただのさらぁっと流せる爽やかなハナシです、うん。現にルティアの表情には一点の曇りも無い。


そ、それにしても!

つくづくルティアはエルディバルトさんにはもったいない。


あたしは内心でちょっと良くないことをふつふつと考え、フォークに刺した羊肉にソースをたっぷりからめて口にした。


とにかく!

「その人がが早くちゃんと眠れるようになるといいですね」

「ルティ、とぉっても眠れる良い薬を持ってますからぁ。明日届けてあげますわぁ」

――悪夢なんて見る暇もありませんわぁ。


 ルティアはナプキンで口元を拭い、小首をかしげるようにしてこくりとうなずいて見せた。

 あたしは思わずぷっと噴出し「まさに看護婦(はくいのてんし)ですね」とその服装をあてこすった。


ルティアの持つ薬がどんなものかは知らないが、一般庶民には理解できないくらい高価だったりする素晴らしい薬に違いない。気の病とやらで眠れないといったところで、睡眠効果の高い薬であれば、すこぶる良く眠れることだろう。

 眠ることさえできれば、きっとその病とやらも改善されていくことに違いない。


――素人判断でめちゃくちゃ適当だけど。


「ところで一つ聞いていいですか?」

 給仕係りがメインの皿を片付けている間、あたしはルティアに問いかけた。

「なんですぅ?」

「――エルディバルトさんが居ない時もその口調なんですね」

 いや、もう慣れましたが……

あたしが張り付かせた笑みでルティアを見ると、彼女はふっと息をついた。


「普段から言ってないとぉ、エディ様の前で普通に喋ってしまいそうなのですものぉ。ルティはエディ様色に染まる純白の花嫁なのですわぁ」

可愛らしく言うくせに、ルティアはそのままぼそりと続けた。

「乙女ではありませんけどぉ」

 余計な補足は要らないですから。

脱力したあたしの前に、すっとデザートの乗った皿が差し出された。


「今日のデザートはオレンジのコンポートのアイス添え」


 説明と共に、ちゅっと首筋に唇が触れて、あたしはびくぅっと身をすくませた。

「その後はぼくを召し上がれ」

「あらぁ、お帰りになりましたのぉ?」

 がちんと固まっているあたしなど無視して、ルティアがのほんっと言う。

あたしは固く身をすくませたまま、デザート皿から離れた右手が自分の右側からテーブルに置かれ、ついで反対側も同じようににょっきりと腕が生えて自分を囲んでいることにどう反応するべきかと考えていた。


かぁっと体温が無遠慮にあがり、だらだらと汗が流れるのを感じる。

背後から感じる体温と、そしてこの現状を無視したルティアと――そしてこの屋敷の主との言葉のやりとりは勝手に続いていく。


「今日のところはこれといって進展はなさそうだったからね」

「ではぁ、邪魔者は退散いたしますわぁ」

「デザートを食べて行ったら?」

「ルティも特別なデザートが良いのですわぁ」

 くすくすといいながら、ルティアはさっさと席を立ってしまう。

あたしは首を竦めつつじりじりと視線をあげ、必死に眼差しだけでルティアに「行かないで!」と訴えたが、ルティアはあたしよりも絶対にこの男の味方だった。


「お二人とも良い夜を」


そう……うすうす気付いておりましたが、ルティアはあたしとコレを天秤にかけたら絶対にコレに向けてその天秤皿を傾ける。

 あたしとルティアは友達だが、もしかしてコレとルティアは親友?

なんか激しく悔しいんですが。


酷いよ、ルティア。

変態類友には勝てる気がしませんよ。

いや、そこに混じるつもりも無いけど。


 軽やかにルティアが食堂から消えてしまうと、あたしの右と左からにょっきりと生えた腕の右側がデザート用のスプーンをとりあげ、コンポートとアイスとを掬い取ってあたしの口元に運んだ。


「はい、あーん」

「……」

「あーん」


 み、耳もとで囁かないでっ。

あたしはぞわぞわと背筋に感じるものに、思わず泣きたい気持ちを抱きながら自棄になってばくりとスプーンにかじりついた。

 冷たいオレンジの味が口いっぱいに広がる。

それを美味しいと感じるより、この現状をどう打開すべきかと考えを巡らせたのだが、背後霊は楽しげに言った。


「ごめんね、せっかく会いに来てくれたのに居なくて。寂しかった?」

 そりゃ勿論全然ちっとも寂しくなんか無いです。

「いや、あのっ、会いに来たって訳じゃっ」

 あたしはぐいんっと身を動かし、背後にいる男を見上げた。

その眼差しが楽しそうにからかうようにあたしを見下ろし、小首をかしげる。


「そうなの? じゃあ、何をしに来たの?」


 極普通に、当然でるべき問いかけだ。

だがそれはあたしを窮地に陥れた。


――あんたに暴力的に固いパンを届けに来たの!

 

そう、あたしは好き好んで来た訳ではなくて、必要があって来たのだ。バスケット一杯のあのパンを押し付けようとして来たのだ。

 だがしかし。

パンは無い。綺麗さっぱり。

バスケット一杯のパンはエルディバルトさんにあげて欲しいとルティアに渡してしまった。

ではあたしはいったい何をしにこの屋敷を訪れたのか?


――他人様の屋敷に夕食を食べに来た。


ああ、悲しいかな……あたしはそういう常識は持ち合わせておりません。しかも屋敷の主そっちのけで!


あたしは泣き笑いの顔でさまざまな回答を捜し求めた。

誰もが納得できて違和感の無い回答。他人様の家を訪れて、なおかつ夕食まで食べていても不自然でない回答。

 果たしてそんなものが幾つあるというのだろう。

そしてあたしにはそんな台詞が思いつく頭は生憎と無かった。

そう、無い。


「あなたに、会いに、きた、の」


あたしは今まさに絞め殺される鶏のような声を絞り出した。


 面前の男は一瞬その瞳を見開き、ついでゆっくりと、とろけるような微笑を浮かべて見せた。

 踏んだ。

あたしは今確実に踏んではいけない何かを踏んだに違いない。

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