女同士と男同士
神殿の関係者は変人が多すぎてついていけません。
魂の疲弊を感じながらあたしが庭園の噴水になついていると、ぱたぱたと芝生を駆ける足音と共に甲高い声があたしの名を呼んだ。
「リドリーっ」
切羽詰るかのようなその声はルティアで、あたしが「はいぃ?」と、ちょっと間抜けな声を発しつつ振り替えれば、その勢いのまま彼女に抱きつかれ、危うく噴水に頭から突っ込みそうになってしまった。
「ぶほうっっ」
肺が圧迫されておかしな音がもれてしまっても気にしてはいけない。
「無事ですわね? ええ、勿論無事ですわよね? そうでないなら正直に言って下さい」
先ほどのアレではないけれど、ルティアはあたしの体を無遠慮にばしばしと叩いておかしなところが無いかと確かめる。
「リドリーっ、正直におっしゃい!」
あたしは犯罪者か何かですか?
まるで自白を求められるかの勢いで言葉をたたきつけてくる姫君を必死に押しとどめ、相手が向けてくる駄々漏れ心配していますオーラに口元がにやけてしまうのを堪えた。
こんな風に他人に心配されることが心地よいことだと知らなかった。彼女は――あたしの友達なのだ。そして、きっと今は居ないアマリージェも同じようにあたしに対してくれる。それを信じられることがなんだかこそばゆいというかくすぐったいというか、不思議な気持ちに満たされていく。
「何をニヤニヤしていらっしゃるの? まさか、どこか頭を打ったのですか?」
「ルティア、口調がふつーの人みたいになってますよ」
それに、ちょっと最後の一文は酷くないですか?
あたしそんなにオカシイですかね? いや、口元が緩みっぱなしなのは自分でも理解していますけれど。頭の心配までされてしまうとなんというか微妙。
「リドリー!」
ルティアは怒るように怒鳴るから、あたしは軽い調子で彼女の二の腕をぽんぽんっとたたいた。
口元がにやけてしまうのはもう仕方ない。
「無事です。大丈夫――ルティアこそ平気ですか? マリーとアジス君は?」
ルティアは一旦あたしから離れ、じろじろとあたしの体を眺め回してやっと納得したのか大きく息をついてぎこちなく微笑んだ。
肩を上下させ、ゆっくりと瞳を伏せると彼女はころりと普段の彼女に戻って見せた。
「マリィとアジスは別室です休んでおりますわぁ」
その変わり様に、あたしはまたしてもぶふっと噴出した。
「なんですのぉ?」
眉を潜めて唇を尖らせる女性はいつもの彼女だ。
いつもの、なんだか間延びしてのほんっとしたメイド服が良く似合うルティア。
あたしが笑いを堪えていることにだんだんと不快を覚え始めたのか、ルティアは無造作にあたしの頬を引っ張った。
「な・ん・で・す・のぉ?」
びにょんっと頬を引っ張られながら、あたしはくふくふと笑い「どうして口調が変わるのか、今度聞かせてくださいね」と言ったが、彼女は今度ではなくその場で即答した。
「あら、それは簡単ですわぁ。エディ様おつむのかるーい方が好きなんですものぉ。でもルティってば厳しく育てられてしまいましたからぁ、せめて口調だけでもお馬鹿っぽくしてますのぉ。ああ、それに」
彼女はにっこりと微笑んで付け足した。
「あの方、私の名前を覚えてくださいませんでしたのぉ。覚える必要などちぃっとも感じてくださいませんでしたのねぇ。ですからインコに記憶させるように、ルティは自分のことをルティと言い続けましたのよ?」
……それはエルディバルトさんが馬鹿なんじゃ。いや、言わないでおくけど。
あたしが反応に困っていると、ルティアはくすくすと微笑を落とした。
「あの方がルティアと名前で呼んでくださるようになったの、実は結構最近ですのよぉ?」
うわーっ、殴ってやりたい。
いや、殴るのは無理でも、とにかく絶対に何か報復をしよう。
あたしは山ほど馬鹿女呼ばわりされたことも、泳げないのに川に落とされたことも忘れておりません。
そして報復を誓ったことも。
ここに新たに自らに誓う。絶対にナニかする。今のところ考えつかないけど。
あたしは薄ら暗い感情を心の隅っこにしっかりと収納した。
「それより、どうしてあのようなことになりましたのぉ? あの男はいったいどなた? まさかコイビトとは言いませんわよねぇ?」
「それはナイです」
あんなごっついコイビトはまずないです!
あたしはルティアのからかうような口調にぶんぶんと首を振り、先ほど尊きあほんだら魔法使い様に説明したように口を開いた。
「実は、あたしってば家出をしたことがありまして。あの人はどうやら幼馴染? らしいんですよね。で、あたしを見かけたものだから……」
「幼馴染らしいって、どうしてそんな曖昧なんですのぉ?」
「――あたし町の人とあまり接触無かったんで。お祭りの時とか顔をあわせたかもしれないんですけど、日曜学校とかも行ってないですし」
勉強らしい勉強はあまりしていない。
文字の読み書きくらいはできるけれど、それを教えてくれたのは通いの家庭教師。父は女に勉強は必要がないと考える人だったし、十を過ぎた頃には母は居なかった。
基本的に本が友達の寂しい青春でごめんなさい。
「父がちょっと変な人で、無駄に小金持ちなものだから娘達が誘拐されるとでも思っていたみたいなんですよね。だから敷地内からあまり出してもらえなかったんです」
マーヴェルが来てこっそりと抜け出したことは幾度もあったが、マーヴェルはたいてい一人か二人で来ていてあまり大人数ではなかった。
お祭りの時とかに一杯年齢の近い子供達を見たが、人の多さに圧倒されるばかりで引っ込み思案なあたしはティナの後ろに隠れてばかりいましたしね。
「誘拐?」
「時々へんな人が家の周りをうろついてたり、屋敷のモノがなくなったりって――勘違いだって言ってるのにちっともきかなくて」
あたしがへらへらといいながら手を振ると、ルティアは何故かつつっと視線を剃らしたが、すぐにぐっとそれを押しとどめてあたしを見た。
「で、その幼馴染はどうしてあんな乱暴なことなさるのですかぁ」
「――家出娘を見つけたから連れ帰ろうとしたみたいです。えっと、心配させてごめんなさい」
「心配なら致しますわぁ」
ルティアは緊張を解いたように、より一層ほにゃりとした口調で言った。
「友達ですもの」
うっ、ぎゅっとしたい。
やばい。あたしめちゃくちゃルティアに抱きついてしまいたい。
――もしかしてこれは変態思想?
可愛いから抱きつきたいっ、てコレってあの変態様の思想に似てない? 伝染してる?
そんな動揺を鎮めるように、あたしはわたわたと口を開いた。
「そういえば、さっきルティアのオジサンという人に会いましたよ」
照れ隠しにわたわたと言えば、彼女は瞳を瞬いて小首をかしげた。
「オジサン、ですかぁ? どんな方でしょう。わたくし、親戚という方はいらっしゃいませんのですけれどぉ。お養父様の関係かしらぁ」
「壮年のちょっとガタイのいい感じの人で、目つきがなんだか鋭い人でした。白髪交じりの」
「生憎とそういった方は多くいらっしゃるわぁ」
確かに、あたしの説明もあまりにも漠然としすぎていて、これだけでは人の特定など難しいことだろう。
「そのオジサンがルティアに伝えて欲しいって――もういいからたまには食事でもしに来なさいって」
言い方は違かった気がするが、あたしはざっくりと伝えた。
ルティアはますます眉を潜めていたが、ふいに殴られたかのようにハっと息をつめてまじまじとあたしを見た。
まるで穴が開くほどという言葉通りに。
「な、なんです?」
思わずたじろぎ一歩退いたあたしに、ルティアは軽く口元を引きつらせるようにして自らの指先を唇の端にそっと押し当てた。
「ここに――唇の下に、引き攣れたような小さな傷跡がございませんでした?」
彼女の言葉にあたしはぐぐっと眉を寄せて相手の顔を思い描いてみたが、生憎とそこまではっきりと記憶していなかった。
あたしの記憶中枢は自分でも信用ができないくらい曖昧です。
アレとの出会いだって中途半端にしか覚えていませんしね。
「ごめんなさい。覚えてないです」
「……そう。では違う方かしら」
彼女は小さな声で呟くと、意識を切り替えるようにふるりと小さく首を振り、いつもと同じように微笑んだ。
「もしそういう方とお会いしたら近づいてはいけませんわよ?」
「――口元に傷の人ですか?」
「ええ。その方は……」
ルティアは迷うように視線をさまよわせ、ぼそりと言った。
「女性を泣かせて喜ぶ変態ですのぉ」
「近づきません!」
確かにそんな雰囲気ありました!
***
「エル?」
水盆の中に手を浸して穢れを流す主へともの問いたげな眼差しを向けてくるエルディバルトの視線に彼の主は穏やかな笑みを向けて促した。
「何か言いたいことが?」
「ああいったことは、公らしくありません」
「私らしい?」
小さな笑みを湛える主の様子に触発されるように、エルディバルトは言葉を募らせた。
先ほどまで見せていた冷淡な雰囲気などもう微塵も無い。それが嬉しく、また悲しかった。
「以前の公は……あのようにお怒りになられたりなさりませんでした。どんなことにも慈悲と慈愛をもって接しておられた。最近のあなた様は……」
言いよどむ言葉に、相手が濡れた手を払う。
瞬時の水気が消え去り、その指は耳に掛かる黒髪を掬い後ろに流した。
「私が竜公として相応しくないというのであれば提言すればいい」
「そんな訳ではありません! そんなっ。あなた様程素晴らしい竜公など居なかった! 先代などっ」
「エル――先代の話しはなしだ。彼の人は……ルティアの祖父だよ」
「だからこそっ。だからこそ私は先代が許しがたいっ」
咄嗟に言い放った言葉に恥じるように、エルディバルトは視線を剃らした。
「無礼が過ぎました。あなた様こそ我が主にして竜公――竜の守り人でございます」
「相手は寝っぱなしだけどね」
冗談でも言うようにくすりと笑う主にエルディバルトがぎょっと目を見開く。
しかし主は身を翻し、控えている侍女に声をかけた。
「湯殿に行く」
「禊の仕度はできておりますが。湯殿の方はまだ湯の入れ替えが済んでございません。もうしばらく――」
お待ちいただくこととなりますが。
そう続けようとした言葉を、彼らの主の声がさえぎった。
「うそっ、お湯替えちゃったの?」
……意味が判りそうだが判りたくないエルディバルトだった。