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謝罪と罰

 待っていてといわれたところで、なんとなく居心地とやらは悪い。

着替えを済ませて通されたのは、やっぱりなんだか無機質な白い部屋だった。

よくよく考えてみれば、コンコディアの神官長の邸宅に似ている。白くて無機質で人間味のない冷たい部屋。

 置かれている応接セットもシックな作りで、ただし銀糸で細かい模様が施されているところなんかはちっとも安っぽいものではないけれど。

あたしはこの一年で貧乏性を更に悪化させたのだろう。広いところは苦手だ。玄関を入ってすぐに台所と寝台とが置かれているあたしの部屋程落ち着く場所はない。

 白くて無駄に広いそんな場で一人、お茶と簡単な軽食と共におかれたあたしは居心地が果てしなく悪くてこっそりとテラスから庭へとおりたった。

 丁寧に手入れの行き届いた芝生。子供の頃に暇つぶしで芝生の手入れをしたことなどを思い出し、あたしは芝の合間に雑草がないかな、引っ張ってすぽっと抜けると気持ちがいいんだよね。などと滑稽なことをおもいながら足元を観察しつつ歩いた。


 広い庭には左手、右手と生垣も作られているし、その向こうは木々が生い茂って見える。

芝生の真ん中にはお決まりの噴水が置かれ、ここにもやっぱり竜がばっかりと口をひらいて水を吐き出していた。

 あたしは自然とその竜の元まで足を進ませ、そっとその頭を撫でた。

竜のレリーフやモチーフに触れたのははじめてのことだったが、冷たい石の感触だと思ったものが、そのじつほんのりとぬくもりをもっていてあたしは首をかしげた。

 ああ、天気がいいから、かな?

「温かいだろう」

あたしが不思議に思っていることを見透かすように、突然言われた言葉にびくりと身をすくませて振り返れば、そこに随分とがたいのいいおじさん――というか、初老の男性が腕を組んで立っていた。

 薄い色彩のゆったりとした神官達の衣装とは違い、騎士にも通じる装いだ。襟ひだのあるシャツに上着、ズボンに皮の長靴。

 あたしは慌てて曖昧な微笑を浮かべ「こんにちは」と声を掛けた。


 髪は元々金髪であったのかもしれないが、もうだいぶ白いものが混じっている。

堂々としたその様子はまさに偉そうだが、その口元には浮かんだ笑みは好々爺というところだろう。

 ずかずかと歩み、その人物は口の端をもちあげるようにして肩をすくめた。

「その竜の由来を知っているか?」

「……竜峰の、竜、ですか? 眠っているという」

「そうだ。そしてここの水源は全て竜峰から辿るものだ――国の西半分はこの水脈が通じている」

 つまらないことだというように言いながら、そのまま噴水にどかりと座る。

そして次にその口から流れた言葉は、異国の言葉のように意味の判らない一節だった。


あたしが瞳をまたたいていると、また肩をすくめられる。

「最近の若い娘は古き神代の言葉すら理解しないようだな」

やれやれといわれ、あたしは思わず気恥ずかしさに頬が染まった。

「古語を知らんか?」

「……幾つかの単語なら」

「ほぉ、言ってみろ」


 明らかに楽しんでいる物言いに、あたしは多少むっとしつつも子供の頃などに耳にした言葉を幾つか発掘する作業に専念した。


女神(ナトゥ)に、秘密(リーデ)(ノウツ)……」


 しかしやはり古き言葉などそうそう出てくるものではない。苦労して顔をしかめたところで、あたしは、ああっと思い出した。


尊き人(コーディロイ)

 ふんっと鼻から息をだし、更に呆れたように肩をすくめる。

「子供ならばもっと身近なものがあるだろうに」

 からかうような言葉に、あたしはもう一つ単語を思い出した。

咎人(ユーテミリア)

 言葉にしてからその不吉な単語にぶるりと身をすくませた。

じんわりと自分の中にいやな気持ちが湧き上がる。心臓がばくばくするような、物凄くいやな気持ちだ。


ほんの小さな子供の頃には、子供同士の悪口に使われるような単語だ。分別をわきまえて大人になる頃にはいつの間にか忘れ去られていく忌まわしいとされる言葉。

 だからといってこんなに背筋をなぞるような大きな意味など無いというのに。

あたしの様子がおかしいのか、面前の男性は喉の奥を震わせて笑った。

「おまえもさんざ脅された口か? 私もな、子供の頃には乳母にさんざ言われたさ。竜を解き放った恐ろしき魔女の名だ。幾万もの人々を死に至らしめ、大地を焼き野原にかえてしまった恐ろしい魔女」

 だがおかしいと思わないか?

初老の男は声を潜め、竜を叩いた。

「古語というわりに、竜の話しはさほど古いものではない。なんといっても三百年前のことだという。なれば、そなたはどう思う? その言葉がもとより咎人という意味合いであったのか、それとも後に付けられたものなのか? どちらだと思う?」


あたしが相手の言葉をどう解釈し、また返せば良いものだろうと逡巡していると、あたしへと向けた言葉などもう興味が無いというようにまた口を開く。

「こんな話しは知っているか? 三百年前に竜を沈めた女の名はナトゥ――おまえが先ほど言っていたな。女神(ナトゥ)と」

 男の手が竜の開いた口にかかり、水が無遠慮に手の上を流れていく。

「だが、彼女の名は元々ユーテミリアというのだ」

 さらりと言われた言葉にあたしが瞳をまたたくと、まるで子供のように無邪気に笑い出した。


「さて、娘よ。私の話に驚いているようだが、私が真実を語ると思うのは間違いじゃ――なんといっても、愚かな娘がそうやって私の下らぬ話しに唖然とするのは好物だからな!」


げらげらと無遠慮に笑われ、あたしは呆気に取られた。

「だが愚か過ぎるものは好かぬ。お前はどうだ? ただの愚か者か? それとも、使える愚か者か?」

 ひたりと向けられた視線は驚く程冷たく、あたしは息を飲み込んだ。

まるで好々爺であったその存在が、今は理解しがたい程に激しく面前で見つめてくる。口の中に唾液が溜まり、あたしはおそるおそるそれを飲み込みながら、どう応えるべきなのだと逡巡した。


 まるでこのまま首元を捻られてしまいそうな緊張があたしを包み込む。


 喉の奥がからからに乾いて舌が引き連れる。

何事かを言わなければいけないというのに、あたしはどう返答してよいのかも判らずに自然と自分の体が震えるのを感じていた。

「おまえにはルティアに頭を下げさせるだけの価値があるのか?」

 ふいに声の調子を変えて問われた言葉に、あたしは息をついて相手を見た。


――そう、ここは神殿の庭先で、関係者以外は入れない。

そうであるなら、この男性は神殿の関係者である筈だ。

あたしはぎゅっと自分の手を握り締め、喉に溜まった唾液で舌を湿らせた。

「ルティアに頭を下げさせる価値など、あたしにはありません」

意味も判らないし。

なんでルティアがあたしのことで頭をさげなければいけないんですか?

「けれど、ルティアの為にあたしはいくらだって頭を下げます。ルティアに何かあったんですか? 今、ルティアを待っているところだったんですけど、あのっ」

「心配か?」

「当たり前ですっ。ルティアは――友達ですから」

 ちょっと気恥ずかしくて言いよどむが、それでも勢いをつけて言えば面前の男性は喉の奥を鳴らして笑った。


「ではルティアの為に頭をさげよ。私に詫びよ――あの娘は私に背いた。どのような罰を与えてやろうかと丁度思案していたところだ。したがその代わりにおまえが謝罪し、おまえがその罰を受けるか? できぬであろう? それでも友と言うか?」

 面白そうに言われる言葉にあたしはむっとしていたが、眉を潜めて相手を見返した。

「私が謝ればルティアを叱らないということですか?」

「そうだ。ついでにお前に罰を与えるが――それすら甘受できるというのであれば、私はルティアに一切とがめだてしない。だが、意味も判らず謝るなどできまい? 私がどんな罪でルティアを罰しようと思っているか判らぬのは怖かろう?」


――あたしはじっと面前の男性を見つめ、ほんの数秒の間を置いてうなずいた。


「あたしが謝って許されるなら、あたしが謝ります。あの……罰は、ちょっと怖いですけど」

 正直な気持ちが出てしまったけれど仕方ない。

だって罰って何だか判らないし、面前の男性はなぜか妙な威厳がある。

――でも自分にできることならば、あたしはそれを受ける。

だって、ルティアは……あたしを守ろうとしてくれた。あたしの為に命まで自ら差しだそうとした。

 その気持ちに応えずに、友達なんて言えるか!


勿論勢いばっかりですが、人生行き当たりばったりどうにでもなれ!


「では、私の言う言葉をきちんと違わずに言うがいい」

 面前の男は威厳たっぷりに言うと、


「オジサマごめんね」


 やけに可愛く謝罪の言葉見本を示した。

「……」

「ほれ、言うがいい。かわゆくな」


 顎先でほれほれと促され、あたしは口元がぴくぴくと引きつるのを感じた。

面前の男性は噴水の淵にどっかりと座り、腕を組んだままの状態で偉そうに――

「お……」

「お?」


「オジサマごめんね……?」


……あたしもう十七才なんです。なんかこんなちっちゃい子供みたいな台詞とか語尾にハートマークすらついていそうな感じとか、恥ずかしくて憤死しそう。


 脱力しているあたしの前で、謎の「オジサマ」は嬉しそうに二度うなずいた。

「さて、罰はまだ考え途中だ。しかし私も忙しいからな、次に顔を合わせた時の楽しみにとっておこう。ルティアに会ったら、オジサマがもう良いからたまには食事をしにくるようにと言っていたと伝えておいてくれ」


なに、なんなのあの嵐のような人は?

あわただしく立ち去っていった謎の人物の背を見送り、あたしはぐったりと噴水の淵に手をかけて思い切り溜息を吐き出した。

神殿の関係者は変人ばかりですか?


もう本当に早く帰りたい……


***


「少し、話しをしまょうか?」

 相変わらずその神官は穏やかな物言いでそこにいた。

口元に張り付く微笑と、優雅な動き。

それだけ見れば男といえども眼福ともいえるものだ。だが、自分の体は背後で押さえ込まれ、連れてこられたその部屋の床下に押さえられ、無理やり上半身をあげさせられている為に背中がきしむように痛む。


「なんでオレがこんな目にあわなくちゃなんねぇんだよ? オレがどんだけ悪いことしたって言うんだっ」

「おや、誘拐は重罪です」

 不思議そうに言われ、慌てて声を張り上げた。


「だから、誘拐じゃない! 保護だって何度言わせるんだよ。オレはあいつを――リドリー・ナフサートを婚約者のところに連れて行こうとしただけだ」

「随分と乱暴ですね」

「……それは、そもそもあいつが逃げるからだろう。あの女に聞いてくれよ。あいつは自分の結婚式を逃げ出しやがって、それでっ」

 ふーっと神官は深く息をつくと、まるで哀れむように眉を潜め、それからまたしてもあの冷たい微笑を浮かべた。


「素晴らしいですね」

「は?」

「あなたが言葉を発したほんの数十秒の間に、まぁ見事に不愉快な単語がこれでもかという感じで出ましたが、この短時間で私を怒らせることに成功した数少ない方です」


神官は微笑みながら言うと、組んでいた手をゆっくりと離した。

と、その手にはまるで手の平から出現したかのように何故か杖が一本握られ、その先端でくいっと水夫の顎が引き上げられる。

「まあそんなことはどうでもいい。貴方の罪は多くありますが、あの子に恐怖を与えたこと、あの子の体に痣を残したこと――この私から、あの子を奪おうとしたこと。さてどれが一番罪深いことでしょう」

 顎を持ち上げていた杖が跳ね上がり、体がかしぐ。

ついでその背にとすんっと杖の先端を感じると奇妙な感覚が背中を覆った。


ぐいぐいと何かが背中の一点を押し、そして無理やりに進入する感覚。

そう、それは感覚だけだった。痛みはまったく伴っていないというのに、何かが背中の皮膚を無視してずいずいと入り込む。

 まるで奇妙なイキモノが体を蹂躙するような感覚に、胃の中のものが食道を競りあがってくる程の嫌悪が広がっていく。

 痛みがないという一点だけで、謎の恐怖が身をふるわせた。

「判りますか? 心臓――ここをつけば、あなたは死ねる。けれど、そんなことはしませんよ? 言ったでしょう? 死なんていうのは単純なものです。あっという間に神の手にからめとられるだけ。そんなことはつまらない」

 相手の言葉の意味が判らない。

ただ背中が引き連れて、何かが確かに背から入り込み、無理やり肉体を突き進む感覚に瞳が無理やり開いていく。


「ゆっくりと時間をかけて、どうその罪を償わせようか? 痛みにはどれだけ耐えられる? 足の先、手の先からゆっくりと切り落として、君はいったいいつ死という恩寵を賜れるのだろうね」

 囁かれる文言に額から汗が流れた。


――拷問紛いなことをされるほどのことをしたか?

いいや、そんなことは無い。確かに少し乱暴であったかもしれないが、だが、こんな風にっ。


「公、どうぞお止め下さい」

それまで控えていた髭の騎士が進み出て膝をつく。

「慈悲深い我が主よ、貴方様の御手をそのようなことにお使い下さいますな。お許し下さいますなら、私がいかようにも処分致しますゆえ」

一瞬救いが得られるかと思えば、その口から吐き出されるものは救いでも何でもない。

体中の汗が噴出し、がちがちと歯が音をさせた。


――こいつら、頭がイカレテル!


「僭越ながら進言致します。公が他者の命を奪うことは自由です。貴方様が望まれるのでしたら、幾つもの死体を面前に積み重ねも致しましょう。ですが、公。どうぞ私怨でその御手を血に染めることはなさらないで下さい。私がいくらでも貴方様のかわりをお勤め致しますゆえ」

「僭越が過ぎる」

 冷ややかに男は言うが、やがて吐息を落とした。


「判ったよ、エルディバルト。私も少し大人気なかった」

 神官は言いながらすっと水夫の背に差したままだった杖を抜き放ち、汗で濡れた男の額に手を当てて微笑んだ。


「夢を見るといい――この先、逃れることのできない夢を。

現に生活し、夜ともなれば悪夢があなたを包み込む。愛しいものを日々失い続ける悪夢を、他者によって奪われ、自らによって滅する悪夢を、その命果てるまで」

――愛しいものを奪われる辛さを知るといい。


いっそ慈愛にすら溢れる物言いが脳を満たして魂を揺さぶる。

そして、微笑と共に、闇が……闇が世界を閉ざした。


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