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不意打ちとドラゴンバスター

カウベルの音に店の奥、裏手の扉を見れば、粉屋の息子トビーがなんだか気まずい調子で帽子を少し押し上げた。

「やあ、リドリー」

その様子が、先日のことを気にかけているのだと知らしめる。

あたしはこそりと嘆息し、微笑み返した。

「こんにちは、トビー」

「粉、ここでいいのかな?

注文通りいつもの三倍。ちょっと多いけどつまずかないようにね?」

「ええ、ありがとう」

――気まずいのは全て魔術師のせいだ。あたしは絶対に報復しようと心に決める。

「あの、リドリー?」

「なに?」

「その、きみがコーディロイと付き合ってるって知らなくて、ごめん」

は?

「随分と失礼なことしたかな、て……」

 いやいや、きみは何も失礼なことはしていないでしょう?

むしろ失礼なのはあの変態だ。

「って、あたし別にあの人と付き合ったりとかしてませんよ?」

あたしはここは大事と訂正しておく。


ここは大事です。来週テストに出ますよ!

――あたしと魔術師は付き合っていません。まったくの他人です。関係があるとすればそれは無関係。

 それでもあくまで関係を主張するなら、ご近所さん。

「そうなの?」

ぱっとトビーの顔に喜びが広がる。


「よかった。

オレ、とうていコーディロイにはたちうちできないし」

えっと、きみは気づいているのか?

「あ、じゃあまた」

嬉しそうなトビーがそばかすの散った顔を赤く染め、帽子を目深にかぶって店を出て行く。

あたしはそれを見送る形で唖然とした。

――トビー……

 あなた、あたしに告白もしていないというのに、何でしょうその全開な感じは。

これで「いやいや、好かれているなんて傲慢な勘違いよ。あたしってばかね」というほうが莫迦っぽいじゃないの。

それでもって、更にいえば告白されてもないのに「あなたとつきあう気はないのよ」なんて言う程の剛の者ではありません。

 どうしてくれよう、この微妙な人間関係を。


「どうかしたかい?」

新しいパンを完成させたマイラ小母さんは達成感のある清々しい表情であたしを覗き込む。

あたしは曖昧な笑みを浮かべ、

「どうかしたんでしょうかね?」

「あんた本当に疲れてんじゃないかい? 大丈夫かい?」

――余計な心配をされてしまいました。


マイラ小母さんは時間を確かめ、

「今日はもういいよ」

とあたしの肩を叩いた。

「いえいえ、そんなわけには!」

「大丈夫だよ。今日のあたしは調子がいいしね! あんたも若い娘さんなんだから、少しは休んだり遊んだりするといいよ。若い頃っていうのは、あんた、驚くほどはやく過ぎてくもんだからさ」

――やけにしみじみと言われた。

 あたしはこれ以上反論せず、じゃあっと微笑んだ。

ちぇっ、今日はパン抜きね。

なんていうあたしの内心が伝わった訳ではないだろうに、マイラおばさんはあたしのバスケットの中にいそいそとパンを詰めてくれた。

「今日作った試作パンだよ! 家でゆっくり食べて感想を聞かせておくれね」

「――はい」


それは、アレですよね。

腹痛の薬とかが入ったパン。

あたしは引きつった笑みを必死に押し隠した。

――がんばれあたし!

 でも神様ってどうやらいるらしいのです。

あたしがバスケットを手に自分のアパートへと帰宅すると、螺旋階段には――いつも通り魔術師がにこやかに待っていた。


おまえの仕事はいったいどうなっているのかと尋ねてみたい。

心の底から。

しかし今はそれどころではない。

あたしはにこやかに「おかえりなさい、リトル・リィ!」と毎度の如く鳩を飛ばす魔術師ににっこりと微笑みかけた。

「会いたかったわ、魔術師」

こんなに心から会いたかったのはおそらくはじめてだ。

ぱっと魔術師の顔に喜色が広がる。

「ぼくは魔法使いだってば、リトル・リィ」

それでも訂正を忘れない。

がばりと手をひろげて抱きついてきそうなのを避け、あたしは自分のバスケットを差し出した。

「お店で作ったパンなんだけど、食べてくれる?」

「リトル・リィが作ったパン!」

外れです。

マイラ小母さんが作りました。

お店で作ったというところに嘘はないですよ。

「あああ、やっとぼくの愛が君に届いたんだね。愛しいリトル・リィから贈り物をもらえるなんてっ!」

――そんなに全開で喜ばれると、微妙に罪悪感がある気がして困る。

「しかも手作りの食べ物なんて」

 感激を隠さずに潤んだ瞳で見つめられると、あたしはなんだかいたたまれない気持ちになってくる。

「た、食べてくれる?」

「勿論だよ。ああ、ハニー」

はにー……

絶対にダーリンとは言いませんよ?


 魔術師はひとしきり感激を示し、おもむろにバスケットの中の丸パンを取り出し、あむりと豪快にいった。

「――」

本来であればこのまま逃亡を図りたいところだけれど、なにせマイラ小母さんにはパンの感想を求められているのだ。

 純粋に、素直に、あたしは面前の魔術師を観察した。


たらりと、その額から汗がこぼれた。

たら、たらり……

「ううう、毒殺……卑怯、なり」

悶絶する青年を前に、あたしは引きつった笑みで凶悪なパンを見つめた。

――予想どうり、これはきっとあの【苦ヨモギの練りこみパン】に匹敵する破壊力。いや、さらにそれを上回る最終兵器であったに違いない。

 食べなくて良かった。

「ううぅぅ」

「えっと、どう、かなぁ?」

「それは、この――パンについて、聞いている?」

ドアのノブにすがりついた魔術師だ。

「そう」

「――君は竜すら殺せる。ドラゴンバスターの称号を与えてもいい」

 そうか。

そこまで強烈だったのね。

あたしはさすがに罪悪感を覚えずにはいられず、前かがみになってドアノブにすがりついている魔術師を覗き込んだ。

「あの、大丈夫?」

「死ぬ」

確かに死んでしまえとか消え去れとか色々思いはしましたが、それは決してあたしの手で行われるものであってはいけません。

 殺人犯はイヤ。

あたしは慌てて魔術師の腕に手をかけ、

「魔術師、ちょっ、ねぇ? 大丈夫? お水? 吐き出す?」

「ああ、ハニー。

君がくれたものを吐き出すなんて、できない、よ」

それで死んだらどうするつもりだ馬鹿!

あたしは殺人犯になどなりたくない。

「うぅ……」

オロオロとするあたし。

ずるずると体をさげる魔術師。


――十七歳パン屋勤務の美少女、パンに毒を仕込み階下に住む青年を毒殺。


頭に不吉な新聞の見出しが流れる。

こういう時、どんな女性も美人になれるものだ。今まで美人であるという冠は抱いたことがないが、きっと皆の中に絶世の美人が想像されるだろう。最近出始めたという写真さえつけられなければ。

なんて、そんなことを喜んでいる場合じゃない。

「まっ――」

悲鳴をあげるようにあたしが魔術師にすがりのぞきこむと、ドアノブにすがっていた手があたしの肩にかかり、小刻みに震える。


「ああぁ」

悲痛な魔術師の声。

駄目よ、今は死んでは駄目。

せめて時間差でお願いします。

あたしが本気で斜め上方面に心配をしていると、ふいにがばりと魔術師は顔をあげた。


「―――」


ぎゅっと後頭部を押さえ込まれ、唇と唇が触れる。

おそらく触れる寸前にスピードを調節した魔術師は、歯を当てることも場所を間違えることもなく、あたしの唇を斜めにふさいだ。


「んっっっ」


「ごちそうさまでした」


「っっっ」


「パンはまずかったけれど、ちゃんと口直ししたから大丈夫。

ああ、味感じた?

パンにしては苦い、というかえぐいよね?

どうせあのパン屋のおばさんの新作だろうけれど、これはちょっとオススメできないね」


へらりと笑う魔術師を、へたりと座ったままみあげ、あたしは怒りでじわじわと口元が震えるのを感じた。


キスされたキスされたキスされた!


別にはじめてじゃないけどね!

だからってほいほい許せることではない。

断じてない。乙女の唇をこんな風に奪って許せるものか。


「あれ? 腰抜けた?」

「っっっ」

「そこまで過激にはしてないつもりだけど。

ん? ふふふ、リトル・リィは可愛いなぁ。キス一つでそんなじゃこの先が思いやられてしまうよ? まあ、勿論ぼくがゆっくりじっくり手とり足とり慣らしてあげるから心配はいら――」


「死になさい」


あたしはがしっと魔術師の上着を掴み、へらへらしている男を引き寄せるとその口の中にバスケットの中に残っているえぐい味の――ううう、味が判ってしまった――パンをその口に押し付けた。


マイラ小母さんさんには明日「ちょっとえぐみがあったけれど、良薬口に苦しっていうし」とあたしは笑っていえるだろうか。

とりあえずまたしてものたうっている魔導師は無視し、あたしはバスケットを手に自宅へ戻ることにした。


――心配なんかするんじゃなかった!


おもに自分の心配です。

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