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微笑みと微笑

――長い風呂の湯中りが原因か、はたまたただ単にあたしの血が一気に頭に集結したせいなのか、のぼせ上がるようにあたしはへたりと体の力を失い、危うくその場でしゃがみこみそうになってしまった。

 それをさも当然のように片手で支え、ついでぎゅっと引き寄せられる。

「今日の香りはぼくと同じ香り」

 うぎゃあっ。

首筋の辺りをすんすんと嗅いだ挙句に囁く言葉に、失われた体力を取り戻したあたしはじたばたと暴れた。

「なに、何してんのっ」

「お風呂あがりの濡れた肌って凄いね、めちゃくちゃどきどきする」

「ぎゃあっ、はな、離れて、離して、変態ぃぃぃっ」

 ってか、お願い。周りにいる侍女さん助けてっ。

少なくともその場に二人はいる筈だというのに、彼女達はまるで感情が欠如した人形のように控えている。

 見えてますか?

それとも現実逃避中でかすか? そうですよね、コレは貴女達にしてみれば尊い人でしょうとも。

見ないフリでやり過ごすことが適うのであればあたしだってそうしたい。

「お願いだよ、リドリー。君が怪我とかしていないか確かめたいだけなんだ。少しじっとして」

 切なそうに言われた言葉に、あたしはどきどきとする自分を押さえ込み、上目遣いで問い返した。

「確認……?」

 変態的な意思はまったく無いと?

「何があったか判らないし、でも何かがあったのかは判ってるし。どれだけぼくが不安で怖かったか――君がはいっているお風呂に乗り込んで行きたいくらい心配したんだよ。それを必死に抑えてここでまっていたんだ。だから、暴れないで?」

 せつせつと語る口調に、あたしは強張らせていた体を緩め、眉を潜めつつも小さくうなずいた。


「でも、怪我とかしてないのよ?」

「――」

 自分と相手との間に距離を置く為に伸ばした手首を、そっと囚われる。

静かにそこを見つめられる感覚に、あたしは自分の二の腕に痣ができていることに気付いた。

「掴まれた跡、だね――可哀想に、怖い思いをさせたね」

 穏やかに言いながらそっと痣の辺りを指先でなぞられる。

その唇からこぼれる言葉には慈愛が見えるのに、何故かぞくりと背筋が寒いような気がして、あたしは無意味に慌てて「幼馴染らしいのっ。あたし、最初わからなくて――前言ったわよね? あの、結婚式の前に逃げ出したことがあるって。だからそれを知ってる幼馴染らしくって、ちょっとあたしを連れ帰そうと思ったみたい」

「どうしたの? なんだか慌てているみたいだけど」

 くすりと魔法使いは笑みをこぼし、小首をかしげた。

「君が悪いなんてちっとも思っていないよ? ほら、他に怪我は無い? 痛いところとか。見せてごらん」

 なぞられた腕をもう一度みれば、そこに痣はすでになかった。

さすがにここまでくれば「胡散臭い魔術師」ではなくて「胡散臭い魔法使い」に格上げだ。相変わらず胡散臭いという枕言葉は燦々と輝いているけれど。

「何があったのか話してくれる?」

 あくまでも穏やかに問いかけられ、あたしは事の経緯を語りながら、相手の手が自らのむき出しの腕や肩に触れるのを感じていた。


――け、怪我の確認、怪我の確認。怪我の確認っ。


 内心で呪文を唱え続けつつ、そもそも今のこの男には(やま)しさなど感じないだろうと自分を落ち着かせる。

 そう、まるで極普通の聖職者のよう!

よし、大丈夫。


――船着場で自分の幼馴染(?)と出会ったこと。その幼馴染は元婚約者の友人で、あたしを元婚約者の元に(ややこしい)連れて行こうとしただけだということ。でも、そもそもあたしと元婚約者の関係は破綻していて、どうして幼馴染があたしを元婚約者の元に連れて行こうと思ったのかは判らない。ただの親切心。もしくはおせっかいなのではないかということ。

 あたしの説明を静かに聞き終えた男に、あたしは言葉を続けた。


「考えてみれば大層なことでは無かった気がするけど、今頃ルティアとかマリーが心配してるんじゃ、ないかしら」

 あたしはなんだか落ち着かなくて早口で言うが、相手はタオルをぎゅっと片手で押さえ込んでいるあたしをじっと確認するように眺めている。

「ぼくは君を心配しているよ」

「うん、それは……判ってる、んだけど」

 あまりにも相手の態度が真摯過ぎて、あたしは視線を泳がせた。

タオル一枚で男性の前に立つなど尋常なことではない。マーヴェルの前でだってこんな事態に陥ったことはないのだ。

 勢いに任せてべらべらと喋っていたが、喋る言葉がなくなってくるとなんだかとっても恥ずかしい。

 あたしは無闇に耳の辺りに熱が集中するような思いに言葉をどもらせていた。


「本当はぼくが君のところに行きたかったけれど、どうしても手が離せないこともあってね。エルに行かせたけれど、ぼくがどれだけ歯がゆくて辛かったか、わかる?」

 素肌の両肩に手を乗せて、真摯に落とされる視線と言葉にあたしは身を固くして小さくうなずいた。

 胸の内にきちんと相手の言葉も想いも届いていたから、判っていたから。

そんな辛そうに言わないで欲しい。

「用事を終わらせてすぐに来たんだよ? お風呂入っているとこに本当は飛び込んでいきたかったけど、君がたてる水音だとか、気持ち良さそうな鼻歌だとかがガラス窓越しに聞こえたりなんかするものだから、こうむらむらっと――」


「とりあえず出て行け!」


 タオルを抑えているのとは逆の手を振り上げれば、いつもなら大人しく叩かれている変質者はぱしりとその手首を捉え、どきりとする程綺麗な微笑みを浮かべてみせた。

半眼を伏せるように、やけに艶やかに。

「元気そうで良かった。心配することは何も無いからね。着替えをすませてゆっくりとくつろいでいて。すぐにルティア達も来るだろうから、お茶でも飲んで待っていて」

 捉えた左手の薬指の付け根にチュッと唇で触れて、まるきりいつもとは違う穏やか過ぎる程の穏やかさで「胡散臭い魔法使い」はあたしの手を離し、控えている侍女さん達に視線を向けた。

「頼みます」

「かしこまりましてございます」

 丁寧に二人が言葉を唱和させ、退室する男をうやうやしく見送る。

あたしはなんだか居心地が悪くて、思わず声をかけていた。

「ねぇっ」

「――どうかした?」

 どうって……

「あの、どこに行くの?」

 心臓がなんだか落ち着かなくてとくとくと早鐘を打つ。

だから咄嗟にそう問いかければ、面前の青年は唇を引き結んで微笑した。

「エルのところだよ。早く行ってエルをとめないと――って、思っているのではないの?」

 くすりと笑われて、あたしはほっと息をついた。

そう!

そうです。

あたしはうんうんっと力強くうなずいた。

「今思えば、あたしを連れて行こうとしたのは純然たる親切心だと思うのよ。勘違いとかそういうのでエルディバルトさんに酷い目にあったら可哀想よね!」

 物凄く罵倒とかされだくったのは忘れていませんけどね。

――あれ、もしかしたら今頃本気で二人で酒を酌み交わしていたりしませんよね。

なんか心配するのが馬鹿らしい?

「エルに殺されていたら大変だからね――もう行くよ」

 くすくすと笑う魔法使いは、軽く手を払うようにして片目を閉ざした。

「少し待っていてね」


 すっと――目の前でその姿が消えるのはさすがにちょっと……微妙に、心臓に悪い。

しかしこの場にいる侍女さん二人はまったくもって動じることもなく、止まっていた時が動き出すかのようにあたしへと意識を向けた。

「お体は冷えておいでではありませんか?」

「もう一度入浴されてはいかがでしょう」


とてもありがたい申し出ではありますが、なんというかヤツのテリトリーで肌をさらしているのはもうイヤです。


***


 泳ぐことに関して言えば、水夫は誰にも負けない程の自負がある。

だが、まさかその後に警邏隊どころか騎士隊が――王宮警護の為の騎士隊が自らを捕まえる為に槍を構える段に到っては、逃げるなど不可能だと骨身に染みた。

 ざっと四方を包囲され、幾本もの槍先を向けられれば両手をあげて敵意も害意も犯意も無いことを示すほかなかった。

 それでも生来の反骨精神から唾を吐き捨て、自分の面前に立つ大柄な男を睨み返した。

「随分な歓迎だな」

「無駄な口を叩くな」

「何度も言ってるがよー、そんな大げさな話しじゃないだろう? そもそも、あの馬鹿女の」

「誰が馬鹿女の話しをしている」

 冷ややかに言い切る男は、無遠慮に腰に納めなおしてあった剣を引き抜いた。

「槍を引け――誰か、こやつに得物を与えよ」

 低く恫喝する言葉に、騎士達は槍の先端を一旦上へと跳ね上げ、引いた。

「得物って、あんた。頭イカレテんじゃねぇのか? 俺は一介の水夫だぞ? 海賊でもねぇ。武器なんざどうしろって言うんだよっ」

 救いを求めるように周りを囲む騎士達を見回してみたが、彼らは統率された集団としてただそこにあるだけであり、何ら救い手にはならなかった。

 耳鳴りがし、頭ががんがんと痛む。

現状がまったく理解できずに「なぁっ」と声をあげれば、騎士の一人が腰にある剣を引き抜き、面前に放り投げ、また別の騎士が持っていた槍をがんっと石畳の上に投げ置いた。


 ざぁっと血の気が引いていく。

「冗談だろっ」

「冗談などではない。私は武器も無いものを(なぶ)るような下衆ではない。武器を取れ――我が名はエルディバルト・クム・セイナ――」

「おやめなさい」

 名乗り上げようとした声を遮ったのは、穏やかなテノールだった。

四方を固めていた騎士達が、まるで(さざなみ)のように膝を折って礼をとる。決して視線を合わせないようにとでもいうように、慌てて下げられた視線と、そして息を飲む音が辺りを満たした。

唯一立っていた名乗りをあげようとしていた髭の騎士のみで、その男にしても突如その場に現れた白い衣装の神官のような相手を前に一瞬怯んで見せた。


「公っ」

 神官、だ……ろう。

だらりと白い聖衣には細かい銀糸の刺繍。腰辺りまでの黒髪は艶やかで一瞬女性かと思わせる優美さを備えた男は、軽く左手の平で騎士の肩に触れた。

「公、ルティアは? ルティアはどうなりました? 傷を負って気を失ったとアジス・トルセアから伝えられましたがっ」

「そうなのですか?」

 それまでの緊張など完全に無視した穏やかな言葉がゆるゆると空気をかえていく。

「公っ」

「冗談ですよ。ルティアのおかげでこうしているのですからね――心配は要らない。ここに来る前にきちんと手当てはしてありますよ。あの子ときたら頑固で治療は要らないだとか傷跡は消さないでいいとか」

「――傷が残るのですか?」

 騎士が呻くように言えば、神官は微笑んだ。

「そんなことにでもなれば傷つくのは私のあの子です。ルティアの頼みでも聞き入れることなんてしませんよ。安心なさい」

 その言葉に騎士は目に見えて大きく息をつき、胸元に手を当てて深く一礼した。


 突如現れた救い手に、水夫がほっと息をついた。

誰だか判らないが、神官であれば無体はしないであろうという安堵感が満ちていく。どう見ても、この場で一番地位のありそうな相手が神官であるならば、きっと自分の話しをきちんと耳に入れ、誤解はすぐに解かれることだろう。

 現に、面前の神官は穏やかそうな微笑を湛えているし、この男の言葉で猛々しさをみせていた騎士がその雰囲気も態度もかえてしまった。

どう考えても、今までよりも悪いことになることはないだろう。

ゆっくりと詰めていた息を吐き出すと、神官の眼差しが水夫へと向けられた。


「良かった。エルディバルトに殺されていたらどうしようかと思いましたよ」

「あんたそいつの上役か何かかい? そんな猪突猛進なの野放しにしておくなよな」

 つい悪い癖で軽口を叩けば、エルディバルトと名乗った騎士は色めき立ち「貴様っ」と声を荒げたが、神官服の青年は軽く手を向けてそれを抑えた。


「失礼しましたね」

丁寧に詫びを向けられ、思わずバツが悪い気がして「お、おうっ」と声が漏れる。

神官は微笑を湛え、まるで今日の天気でも話題にするように言った。


「殺してしまうなんて、そんな生ぬるい」


――喉の奥でくすくすと笑うその意味が、ゆっくりと自分に浸透するのに長い時間は必要としなかった。




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