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思考と恣意

――どうして、マーヴェルはあたしを探しているのだろう。

 最終的にあたしの思考はそこで立ち止まる。

そもそも、マーヴェルはあたしを探しているの? あの男の勘違いとか早とちりとかではないだろうか?

あたしを探したところで何の利点があるというのだろう。


 あたしは白い花がいくつも浮いた湯から右手を出して、ゆっくりと確認するように指を折り込んで数えてみた。

 まず大前提。

「あたしとマーヴェルは親が決めた婚約者同士だった」

これは間違いなく。

「あたしはマーヴェルが好きだったけど、マーヴェルはティナが好きだった」

これもそう。

はっきりとマーヴェルに聞いたことは無かったけれど、これは女の勘とか雰囲気とか、まぁそういうので判るものですよ。

「ティナは子供の頃からずっとマーヴェルが好きで、それで……」

 あたしは言葉を濁した。

脳裏に二人のことが巡る。

マーヴェルはあたしのことを好きだと言っていたし、愛しているとも言っていた。けれど、この言葉を口にする時、罪悪感のようなものを滲ませることに気付いていた。瞳がかげるというか、戸惑うような。

 マーヴェルがティナを気にかけて、ティナがマーヴェルを気にかけていたことも気付いていた。

 それでもいいと思っていた。

結婚してしまえば何とかなるって、今は気付かないふりをしてやり過ごして、それでもいつかは普通の夫婦になれる。

 そう思っていたけれど、結局あたしは我慢ができなくなったのだ。

 そんな偽りの生活を続けてなど居られない。

そんなのはイヤだ。

だから、あたしは結婚式の前に逃げ出した。


――自分の為に。


 あたしがいなければ二人は幸せ。そんなのは後付けの理由でしかない。結局あたしはあたしが可哀想で逃げ出した。

 あの夜に決めたのだ。

あたしはあたしの人生を、あたしが幸せになれる人生を生きようって。

 二人の為なんて、本当はそんなオヒトヨシじゃない。あたしはあたしがカワイソウで逃げた意気地なし。

「でも!――どうしてあたしを探すのよっ」

 あたしはばしゃりと湯の表面をたたいて、湯船の中でくるりと身を翻し浴槽の淵に二の腕を預けるようにして右頬を預けた。

 呆れる程広い浴室に、その中央に掘り下げられた湯船は円形の池のようだ。 

お決まりの竜のモチーフの石像。その口からは湯が流れ、水音と湯気とがタイル張りの浴室を満たす。自棄になっていたあたしは、先ほどの女性の「沐浴のお手伝いを致します」を「はー、あ、いや、すみませんねぇ」と受け入れ、体も髪もぴかぴかに洗われてしまいましたが、その時にめちゃくちゃ気になったのはあのすかぽんたんは毎日そんなことされているのか? というヨコシマな疑問だ。


 風呂くらい一人で入れ。


それが無理なら男の人に世話させなさいよ、変態め。

エルディバルトさんならそれこそ喜んで……いや、なんかすみません。ごめんなさい。考えてはいけません。いや、考えてません。考えてませんったら。


「会いに行こうかなー」

 溜息交じりにあたしはぼそりと言った。

勿論パン屋があるからすぐには無理だけど。十日も休みもらってるから、当分の間はそんな長期休暇無理だし。だってものすっごい遠い。

 そして何より激しく面倒臭い。

何と言いましてもあたしってホラ、負け犬ですから。一見するとあたしが家出して結婚式拒否って見られますけど、実際はあたしが負けて逃げたのですよ、ええ、本当に――あー、やさぐれるわ。


「リドリー! ティナと今は幸せに暮らしているよ。家出してくれてありがとう」


とか満面の笑みで言われたらどうしよう。

会いたいならあってやろうじゃないですか! と勢いこんで出かけて、そんな台詞吐かれたらあたしっていったい何でしょうね。

――おめでとう。というか、なんてオメデタイ。

 あたしは右腕に頬を預け、左手をひろげてそこにある指輪を眺めた。

「いっそ、こっちから先に婚約しましたーとか報告しちゃうとか」

 いや、それも何だかなぁ?

そもそもきっちりと婚約して無い訳ですしね。

会いに行こうかな、と口にはしてみたものの、あたしは眉を潜めてばったりと持ち上げていた手を落とした。

 

思考が支離滅裂。


やっぱりあの人――色黒の水夫さんの勘違いじゃないかな。

というか思い違い。幼馴染の婚約者が結婚式前に逃げ出したってことで、その相手を見つけたからマーヴェルに引き渡そうとした。マーヴェルの迷惑も顧みずに。

 うん、その辺りが正解。

あたしは足を上下に動かして湯船に浮かぶ花を散らしながら「はははは」と乾いた笑いをこぼした。


「勘違いで今頃エルディバルトさんに足蹴にされてたりしてー」

 ほら何せ、エルディバルトさん的にあたしがどうなろうと知ったこっちゃないだろうけど、最愛のご主人様と一緒のトコ邪魔されてしまった訳ですしね。

 あたしは忘れてませんよ。アレと一緒に馬車に乗り込む時のあの何とも言えない「ざまーみろ」的な「いいだろう」的な一瞥を。ちっとも羨ましくないってのに。

 だというのに、おそらく突然ご主人様に放り出されたわけですね、わんこ様。 


 はははは、はっは?

あたしは一気に腕の力を入れ、浴槽の淵を掴んでざばーっと体を起こした。

ヤ……殺ったり、しませんよね?

いくらなんでもそれはナイ。いやいや、きっと殴るくらいで済みます、ええ、誰も怪我とかしてないし。エルディバルトさんのココロがどうなったか知らないけど。

「いや、まて! 同情は不要? あれ、でもっ」

 そもそも、あたしは今は無事安全なところにいるけれど、アジス君達はそれを知らないかもしれないし。あたしこんなところでのんびりとしている場合ではないだろ、おい。


「何か御用がおありですか?」

 脱衣室のほうに控えていた侍女さんが静かに問いかけてくる声に、あたしは悲鳴のように応えた。

「ごめんなさい、着替えありますか」


 悠長にお風呂入りながらあのあほんだらサマを待っている場合ではありません。

ってか、もぉ、どうしてあのあんぽんたんは必要な時に居ないの? いや……そうじゃなくて、いないのはむしろ当然で、どうしてあたしはこんなに傲慢なの。


 自分勝手で傲慢で、最低。

本当にどうしようもないくらい、あたしはあたしが嫌いだ。

もっと自分が好きになれたら、もっと、自分に自信がもてたら――

 

 ぐっしょりと濡れた体をわたわたと動かして脱衣所に行けば、侍女さんがおおぶりのタオルを広げて待ち受ける。それに体を包まれ、背後からは濡れた髪を、ふんわりと吸水性のよさそうなタオルで撫でられ、あたしはその悠長さに絶対に貴族とかの生活はムリ。と改めて思いながら相手の手からタオルを引き取ろうとして絶句した。


「乱暴にやったら痛むよー」

 へろりと間抜けな男がいていいのか?

「いるならいるといえ!」

 咄嗟に吐き出された言葉に、自分で動揺した。

ちょっと、待て。

あたし、いま……

「リトル・リィがお風呂で何してるんだろうとか、どこ洗ってるのかとか想像したり、一緒にお風呂入ってあんなことやこんなことをしたいと思ったのを我慢して待ってたぼくって本当に偉いと思わない? 紳士だよね! 

ああ、でも優しいだけの男より、時には強引な狼みたいに行動したほうが女心がめろめろしちゃう?」


居てほしいとは確かに思ったけど。

いや、違う、ちがっ……そうじゃない、それどころじゃない、よね?


***


「ばっ、かやろう!」


 水路に落とされたリドリーを救うべく、色黒のがしりとした体躯の水夫が怒鳴り声をあげて水に身を投じたものの、幾度も幾度も水を潜ってもその姿を捉えることはできなかった。

 見えているのは透明度の高い水路の中――湧き水を水源としているこの水は不自然な程に美しく、海から遡上する魚まで見える。 

激しい混乱のうちに水面へと顔をあげて怒鳴り散らした。

「どうなってる? ここはそんなに深い訳じゃない筈なのにっ」

 戸惑うように視線を巡らせる男を見下ろし、エルディバルトは自らの大剣を鞘へと戻した。

「リドリー・ナフサートのことであれば心配は要らぬ。早くあがって来るのだな――貴様は誘拐の罪により処断される」

「なっ、だから言ってるだろう。誘拐じゃない。あの馬鹿女を婚約者の許に連れ戻そうとしたんだって」

「それを私に言っても意味は無い。おまえを裁くのは私ではなく、我が主だ。生きたまま連れて来いと命じられているのでな」

 手を差出し、船の上に水夫を引き上げてやっていたエルディバルトだったが、水路の脇に馬車が止まるのを確認し視線を上げた。

 あわただしくステップを引き出すこともせずに馬車から飛び降りたのは、最近馴染みとなっている少年だ。

 ユリクスに気に入られたのか、ユリクスと良く似た神殿官の絹地で仕立て上げられた軍服のようなナリをしているのが微笑ましいのだが、今はそのズボンが擦り切れ、汚れている。

「エルディバルト様っ、リドリーはっ」

 少年特有の甲高い声が問いかけ、エルディバルトは太い声で「公の元へ送った」と簡素に応えた。

 アジスが目に見えて息をついたが、すぐに口元にもう一度手を当てて叫んだ。

「ルティア様と姫さんが気を失って馬車の中で倒れてるんだ!」

「……ルティアが?」


――何故?


 エルディバルトは水の中から男を完全に引き上げ、眉を潜めた。

気丈なルティアが気を失うとは珍しい。普段は阿呆のような会話を楽しんでいるルティアだが、その実誰よりも男らしいことはいやでも知っている。

 アマリージェが気を失うことはさもありなんだが、自らの婚約者がその辺りの小娘のように気を失うなど……――

「腕のナイフ傷からの出血が酷すぎて! 姫さんはそれを見てぶっ倒れるし、ルティア様はきっと血が流れすぎ――」

 その言葉を耳に入れた瞬間、エルディバルトは小船の上でびしょぬれになり息をついている男の腹めがけて長靴(ちょうか)を叩き付けた。


「死ね」


怨嗟の言葉と同時にくぐもった唸り声と水音とが響き渡り、勢いよく男はもう一度水路に落ちた。


「か弱い婦女子に刃物を向け、あまつさえ私のルティアに怪我をさせるなど言語道断、我が主が手を下すまでもない。貴様は死ねっ」


 水に落とされた男が腹部に受けた一撃に身をもだえ口に水が入り込んでもがいたが、やがて船をあきらめ水路を泳ぎ、それを追いかけて櫂をこぐエルディバルト。

 それを唖然と見送り、アジスは咄嗟に伸ばした指先で宙をかいた。

「あー……もういいや、スミマセン。医者、どっか医者に馬車回して」

 後半の台詞はぐりんと顔を回して馬車の壁を一度叩いた。

「神殿に回しますよ。あちらには医者も詰めてますから」

「じゃ、早くお願いします」

 御者に声をかけ、アジスは馬車の扉をばたりと閉めた。

リドリーのほうは心配ないらしい。

心配なのは血の気を失い真っ青になってしまったルティアと、そんなルティアを見て自分がわれ先に気を失ってしまったアマリージェだ。

 近くにいたほかの船子と御者に頼んで二人を馬車に乗せたはいいが、ルティアは「船を追って」という言葉を最後に気を失ってしまった。

 医者に行くのが先だとおもったものの、言われた通りに水路を下った。


 二人の女性を座席に横たえ、自分は中央に立ったまま箱馬車の壁に手をついて揺れに耐えながら、もう片方の手で額を抑えた。

「ルティア様の怪我はあのおっさんのせいじゃ……いや、結果としてあいつのせいか? ま、いいか」

 呟きと同時にふと自分の体のあちらこちらが痛むことに気付いた。

気が張っていた為に今まで体の痛みなど気付かなかったのだ。

「ぃってーなぁ」

 言いながら、それは感情の欠片も無い音になった。


 痛くない。

ルティアに比べれば、こんな痛みは欠片も痛くない。

「ルティア様、エルディバルト様……ちゃんとルティア様を大事にしてるよ」

 先ほどのエルディバルトを見たらきっとルティアは激しく喜ぶだろう。そう思うとアジスは乾いた笑みを浮かべ、ついでその視線をアマリージェへと向けた。


一人で抱いて運ぶこともできない子供の自分が、これ程厭わしいと思ったことはない。



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