微妙な食事と逃れえぬもの
ばふりと寝台に身を投げ出して、あたしは大きく息を吐き出した。
用意された食事は文句のつけようがない――なんていいませんよ、文句言いまくりたいです。どうしてああ貴族サマが食べる食事というのはボリュームが少ないのか! ほんの一口二口だけで幾つも幾つも幾つも幾つも出すな! 時間ばっかり掛かるではありませんか。
せっかくソースが美味しい。とか思ってもたかが二口で食べ終わってしまう前菜やシチューやら何やらって、もうなんであんなに苛々させられるのか理解不能としか言いようが無かった。
何より食事中ときたらホスト役のエルディバルトさんはご主人様のお世話で涙ぐましいというかかいがいしいというか……
いいのかな、王弟殿下第三子息サマはそれでいいのかなと見てみぬふりを貫くあたしと、何故かうっとりと「エディ様可愛いぃ」と興奮しているルティア。それ等を完全無視してあたしの食事の世話をやく変質者と、更にそれ等全てまるっとまとめて背中をむけ、「見てはいけません」と、ひたすらアジス君にテーブルマナーを教えるアマリージェがいました。
一般人は完全立ち入り禁止です。
最後のデザートに出されアイスクリームの添えられたアップルパイは物凄く美味しかったです。
「俺! 俺作ったのっ」
と、嬉しそうに言い出したアジス君にあたしは驚いたが、そもそも彼はパン屋の孫息子。手伝うこともあるのだろう。料理上手の男はポイントが高い。
「すごいねー」
とあたしが言うと、アジス君は照れくさそうに笑い、ぼんくら様は「リトル・リィの得意な料理は何? ぼく、食べてみたいなぁ」と言うものだから、あたしはにっこりと応えてやった。
「目玉焼き」
「――」
「ベーコンエッグ」
終了です。
あ、サラダも作れますよ。野菜を洗ってちぎっただけで宜しければ。
「リドリーは確か一人暮らしですわよねぇ?」
無邪気なルティアの問いかけに、あたしはあくまでもにこやかにうなずく。
「マイラさんとこで売れ残ったパンを頂いて、たまの贅沢でベーコンを添えたりして生きてました」
とりあえず一年きっちり生きられましたよ。問題はありません。
「――りょ、料理はしなかったのかなー?」
引きつった変態に、あたしは更に微笑みを向けてやった。
「今度がんばるから是非食べてね!」
まったく自信はありませんよ。ええ。欠片もね。マイラさんの最終兵器よりも素晴らしいものを作る自信ならあります。味見も自分でするのは怖いので是非食べてみて。
何があろうとも一切の責任はもちませんけどね。
「リドリーもお嬢様だもんなぁ」
アジス君が言う言葉に肩をすくめた。
「そのつもりは無いけど。でも――一人暮らしの前はやっぱり食事は料理番の人が作っていたから……自分ではできないんだよね」
「あ、でもパンは作れるんだよね」
思い出したように変態が勢いをつけて言うが、
「それだってこの間の豊穣の祭りの時にはじめて成型だけしたの。あたし、パン屋さんではただの売り子さん」
相変わらずにこやかに応えてさしあげました。
――女だから料理ができるなどと思っていたら痛い目見せますよ。
パンに関しては、びしばしパン生地をこね回したけれど、それだってパンを作るという意味合いとはちょっと違うような気がするのです。
ある種の憎しみと憂さばらしの意味合いを込めて叩いて投げつけていただけですからね。
誰に対する憎しみだったかはあえて言うまい。
「リトル・リィ。あっちに戻ったらぼくの家にご飯食べにおいでよ。毎日美味しいもの用意させるから。ね? ちゃんと食べないと成長するところだって成長しないよっ」
焦るように言う男の成長の意味を無視して、あたし達はそこそこ楽しく食事をすませた。
おそろしく最低限な感じの楽しさでした。
もう二度とこのメンツで食事はすまいと誓ってみました。
エルディバルトさん抜きで変態もいなければきっともっと楽しかった。間違いなく。
「明日、昼前に迎えに行くよ。それでお母さんともう一度話し合ってから転移扉で一緒に帰ろう」
そう言って送り出され、あたしはアジス君とアマリージェと一緒にまたしても馬車に乗り込んで母の屋敷に送ってもらったのだ。
思い返せばどたばたと忙しないこの数日間だったとしんみりとしていたところで、アマリージェが思い出すように口を開いた。
――せっかくこちらに来たのに、リドリーは観光してないのではありません?
と。
「まだ休みはありますでしょう? 明日は舟遊びなど致しません?」
「舟遊び?」
「聖都は水の都でもありますの。聖都全体を幾つもの水路が走っていますのよ。ですから、観光で船巡りとかしてから帰ってもよろしいのではないかしら?」
アマリージェが楽しそうに提案する言葉に、アジス君が顔をしかめて唇を尖らせる。
「船反対!」
「あら、いいじゃありませんの」
「俺はイヤだ」
ふんっと鼻まで鳴らして言う少年の様子に首をかしげつつ、あたしも苦笑した。
「船ですかー」
「あら、お嫌いですか?」
「嫌いというか――」
苦手なのですよ。
あたしは視線を落とした。
何といっても、あたしの元婚約者といえば船長の息子。あたし自身幾度かその船に乗った記憶がある。
だがだからといってここで「船いやー」とか言うのは大人気ないとしか言いようが無い。
それに、船長といったところであちらは海主体の運送業。観光とは無縁だろう。
「じゃあ、明日の午後に」
アマリージェと簡単な約束をすれば、アジス君が不機嫌そうにしている。
「アジスはイヤでしたら無理に来なくても宜しいですわよ?」
「行くよ!」
ふんっと横をむいた少年の様子がわからずに、あたしはこそこそとアマリージェの袖を引いた。
「なに? 何か怒ってるみたいだけど」
「さぁ……午後に船の予約を入れておきますね。あの方がお迎えに行った後で待ち合わせる形で宜しいですわよね?」
「話し合いに時間が掛かるかもしれないけど」
あたしは曖昧に言葉を濁したものの、アマリージェは「平気ですわよ」と穏やかに微笑んだ。
「何だかんだと言っても、あの方は自分の好きなようにしてしまいますから」
――それは、よくないよね?
アマリージェはあくまでもさらりと言ったが、ある意味問題発言だと思う。
不機嫌そうにしていたアジス君だったが、それでも馬車が母の邸宅に付く頃には自分の機嫌と折り合いをつけたように溜息をついてあたしとアマリージェの会話の中に紛れ込んでいた。
「明日の午前中はエルディバルト様が厩を見せてくれるんだ。騎士を目指すなら馬にも乗れないといけないって」
俄然張り切っている少年を、アマリージェが多少呆れるようにして見つめている。エルディバルト様を見本にして欲しくないと小さく呟いた言葉はナイショにしておいてあげようと思う。だってあたしもそう思うし。
馬車が母の邸宅の屋敷内に入り、ゆっくりと速度を落として停止する。完全に止まったことを確認すると、アマリージェによってしっかりと躾けられているアジス君は一番先に席を立って出入り口を開くと、とんっと地面におりてステップを引き出してあたしに手を差出した。
「気をつけろ」
言葉遣いはいつものままだが、さすがなんだか男前。
あたしは苦笑をこぼしながらアジス君の手をかりて地面に降り立った。と、ふと思い出すようにアジス君は言ったのだ。
声を潜めて。
「そういえば、リドリーの妹ってここに住んでるのか?」
ぽんっと出された問いかけに、あたしは心底驚いて振り返っていた。
「いないけど……」
いないどころか、あたし、ティナのことをアジス君に言ったか?
「そっか。それは良かったな」
アジス君はうんっと大きくうなずいて、引き出したステップをがんっと蹴って元の場所に戻すと勢いをつけて馬車に乗り込んだ。
「じゃ、またな」
「おやすみなさいませ」
にこやかにアマリージェの声が奥から聞こえ、アジス君が自ら扉をしめながら御者へと声を掛けていたが、あたしは食い入るようにしてアジス君を見つめてしまった。
――良かったな。
……それは、どういう意味?
あたし、アジス君にティナのことを話したっけ?
それより、どんなことを話したっていうの?
どくどくと早鐘をうつ心臓を押さえるように胸元を掴み、もう片方の手であたしは宙をかいた。
「アジス君っ」
かすれたような声は弱く小さく、馬車の走り出す音に掻き消えて――あたしは呆然とその姿を見送ってしまった。
あたし、子供相手にティナの愚痴とか言った?
あわただしく思考が巡るけれど、生憎とあたしはその時のことを思い出すことができなくて、泣き笑いの顔でふるりと首を振った。
どこかでうっかりと妹の話をしてしまったのかもしれない。アジス君は随分と年下だけれど、なんだか頼れる男みたいで、あたしはぽろっとぼやいてしまったのだろうか。
なんだか釈然としない気持ちのまま、あたしはその日ばったりと寝台の上に身を投げ出したのだった。