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不満と不安

「あれ、なんか……すごく、怒ってる?」

困惑を込めて呟かれ、あたしはぶちりと自分の中で何かがきれるような音を聞いた。


「そこに座りなさい!」

 今回は床に座ったとしてもあたしの心は痛まない。あたしはびしりと指を突きつけたが、相手はまるきり理解できないという様子で眉を潜めている。


「確かにリトル・リィを無理やりこっちに運んだことは謝るよ。でも、一番手っ取り早いかなと思ったんだ。あの子ときたらいくらぼくが(なだ)めても耳に入らなくて」

 困惑のまま告げられる言葉が更にあたしの怒りを増幅させる。

何に対して怒っているのか? そんなのあたしだってきちんと把握していませんよ。

ルティアさんがおかしい態度をとったとか、不可解なことを言われたとか、確かにそれは訳がわからないし説明を求めたい。

 だが、今、あたしの腹部でぐずぐずとくすぶっているのはまったく別のものだとどうしてこの馬鹿は気付かないのだろう。


他の女性に触れるな、馬鹿。


額といえども口付けするなんてありえない。


判ってます。

判ってますよ――本当はあたしがそんな風に言うのは間違いなんだって。そう思うのだっておかしいことでしょうよ。

あたしは口元が戦慄くのを覚えながら、苛立ちのあまり左手の薬指に右手を伸ばし、必死にその指輪を引き抜こうと力を込めた。

 しかし、呪いの指輪は骨に当たる訳でもないのに指にぴったりと張り付いて外れる様子がない。

 無駄なあがきだと理解しているが、あたしは必死に引っ張った。

「リドリー」

「あんたなんて嫌い! 大っ嫌い!」

 声に出した途端、あたしはじわりと眦に熱を感じた。


 泣くな! どうして泣くのよ、リドリー・ナフサート。こんなことで泣くなんてイヤだ。強く一人でたてるでしょうっ、リドリーっ。

 あたしの剣幕に面前の青年は慌ててあたしの前に来ると、あたしの左手をやんわりと手のひらで包み込んだ。

 

「……判った。指輪ははずしてあげるから」

 吐息交じりの言葉に、あたしは更に感情的になって力任せにその頬をひっぱたく。

「馬鹿っ」

「うん、ごめんね。イヤな思いをさせてごめんね。でも、ルティアは決して君を傷つけたりしないよ。もしその判断を誤ったとしても、決してぼくがそんなことはさせない。だからこそ……」

「傷ついたっ。傷つきましたよっ」

「え? どこか痛む?」

 あたしの言葉に慌てた男が真剣な眼差しを向けるから、あたしは悔しくて悲しくて唇をぐっと噛んだ。


――心が、痛い。


自分の中にあるのはただただ醜い嫉妬心だ。

自分勝手、エゴイスティックなどろどろとした浅ましいもの。


「イヤだ……」


 嗚咽まみれの小さな呟きに、困惑顔の男が腫れ物にでも触れるようにあたしを引き寄せる。

「イヤ、もう、ヤだ」

「ぼくが考えなしだった。君をこんなに苦しめることになるなんて考えてなかった。

リドリー、君の――」

「他の人に触れたりしないでよっ」

 引き絞る声が口からもれ出た途端、あたしはそれまで必死に耐えていたものが決壊してしまうのを感じた。


「どうしてあたしがこんな風に思わなくちゃいけないのよ? あんたなんて大嫌い! あたしを好きだって言う癖にっ、どうしてあたしの前で他の女性に触れるのっ。どうしてキスなんてっ……もぅっ、馬鹿っ」

 吐き出される言葉に自分の中で熱があがったり下がったりしてしまう。

どうしてこんなことを言ってしまっているのかと慌てる自分がどこか遠くにいるのに、言葉はとりとめもなく恥ずかしい台詞を紡いでしまう。


 怒鳴り散らしたあたしが、ハッと息を飲み込むと面前の魔術師は瞳を幾度か瞬きゆっくりと口を開いた。

「ごめん、どうしよう」

「なによ」

 面前の男はどうして良いのか判らないというように声を僅かに震わせた。

「嬉しい」

 言葉にした途端、普段は厚顔無恥な男はかぁっと心持ち顔を赤らめ、笑いを堪えるように自分の口元に手を当てて瞳を細めた。

「ごめん、なんか嬉しくて――どうしよう、にやける」

「なんなのよっ」

「ルティアは確かに元々婚約者だったけど、実際は妹みたいなもので。さっきの額のキスだって気を落ち着かせる為のちょっとした魔法を使ったんであって……うん、もう誰にもそんな風に触れたりしないから」

 君が嫌がることなんてしない。

 

 相手の言い訳を耳に入れながら、あたしは自分がどれだけ恥ずかしい台詞を吐いたのかじりじりとその羞恥が背筋をのぼりはじめるのを感じていた。


 それってつまり、あたしは、大きな声で、

「すごく嬉しい! ああっ、ぼくって君に言い訳しているんだよね? 嫉妬されてるってことだよね?」

「黙んなさいよっ」

 言わないでよっ。

 自分でも気付きましたよ。でかい声で嫉妬していますと宣言しているような自分があんまりにも痛すぎる。


ああもぉっ、馬鹿じゃないの、あたしっ。


「あああっ、リトル・リィ可愛いっ。もうむちゃくちゃ可愛い。どうしよう。ええ、どうなってるのっ」

 ぎゅうぎゅうと抱きしめられてわたわたと慌てたあたしだったが、先ほどまでのどろりと渦巻いていた苛立ちがゆるりと解けるのを感じると、溜息と共に体の力を抜いて相手の胸に耳を押し当てた。

 そもそもこの男も何を叫んでいるんだ。意味不明。


 あたたかい体温と少し早い鼓動。

泣きたいくらいの安堵感とがあたしの体に満ちてくる。もう本当に腹立たしいのに。

 頭に顎先がのり、その顎先が胸元に張り付いたままのあたしを弾いて顔をあげさせる。口付けされると判ったけれど、あたしは静かに目を閉ざした。


「いい?」


 馬鹿みたいに断るから、あたしは目を閉ざしたまま相手の服を引いて唇と唇とを重ね合わせた。 

――この人はあたしの唯一人のひと。

 苛立つのも、辛いのも、あたしがこの人を好きだから。


 あたしの胸が温かなもので満たされていく。ぎゅっと背中に回された手がやがて優しく背中をなぞり、ゆっくりと下方へと移動する。その手が執拗に体をまさぐるように腰から下へと移動していくと、あたしははたりと意識を引き戻した。

 もう片方の手が背筋のくるみボタンをなぞるようにはずしていく。

「ちょっ、何してるの」

あたしが慌てて身じろぎして相手の胸を押すと、とろけるような微笑を湛えて「ごめん、脱がすのは慣れてないから手間取っちゃった。ああ、魔法で脱がしちゃえばいい? でも、こういうのって脱がすのもある種の楽しみの一つだよね」

「……あの、もしもし?」

「寝台に移動したほうがいい? 

えっと、一番近いとこどこかな。はじめてが寝椅子っていうのも刺激的かもしれないけど、やっぱりリトル・リィはちゃんとした寝台のほうがいいよね?」


 あたしはそう言われている間にも背中のボタンを全てはずされ、はらりと手前にドレスがはだける感触に慌てて胸元を押さえ込んだ。

 無理矢理着せられたコルセットが押し上げる胸が見えてしまいそうに感じ、羞恥が膨れ上がる。

「え、あ……」

 かぁっと体温があがっていく。

むき出しになった肩口に置かれた手が滑らかにすべり、この場で相手をひっぱたくべきなのかどうか逡巡し――逡巡、し、首筋をなぞり鎖骨に触れる唇に小さな吐息を落として相手のシャツを掴んだ。


***


「公っ、お戻りが遅いので心配致しました」

 正餐の頃合に遅刻した主に、まるで世話焼きの乳母のようになついているエルディバルトさんの横、ルティアさんはいつも通りのメイド姿でぴらりとスカートの裾をつまんで可愛らしく軽く一礼し、

「お待ち致しておりましたぁ」

と、のほんっと微笑んだ。

 それをあたしは一瞥し、どうにもざりざりとした気持ちを味わった。

今日起こった出来事など、まるで無かったかのように彼女は普段と変わらぬ彼女に見えた。それはあたしの中で消化不良を起こすように奇妙に引っかかる。


「リドリーさん、少しよろしいかしらぁ?」

「はい」

 ルティアさんは普段どおりでにっこりと微笑み、ちらりと人生の不運を背負ったような不機嫌顔の痴漢を一瞥し、ころころと笑った。

「見事な手形ですわぁ」

「ソコ、突っ込むんだ……」

「突っ込むだなんて品がありませんわぁ」

「悪かったね。ふふふ、そうだよ。いいって言ったのに。どうせぼくは突っ込、ぐふぅっ」


 根暗な低い声で笑い、ほうっておけば更におかしなことを口走りそうな男の足をがんっと力いっぱい踏みつけると、エルディバルトさんが目をむいて「何をするっ」と怒鳴るが、あたしは強気で睨みつけた。

「あーらごめんあそばせっ」

 王弟殿下の第三子息サマだか知りませんが、所詮あなたは痴漢変質者の犬に相違ナシ。あたしは一度はその身分に驚愕したことも完全に忘れ去り、ふんっと鼻を鳴らし、ルティアさんの腕を引っつかんでその場を離れた。


 口付けも、触れられることも不快じゃない。

ただ、自分がまるで急激に変化していくことにココロが追いつかない。

今でさえこんなに自分が醜い嫉妬心を持っていることに驚いているのに。もしこの人を真実手に入れてしまった時、あたしはどれ程酷く醜い生き物になってしまうのかと不安なのだと、誰かに言えば笑われてしまうかしら。

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