勤めと二人の伯父
「なんでこんなに仕事があるのでしょうね?」
神官長のだらりとした神官服の青年は引きつった微笑で小さく呟いた。
神官長としての仕事はもっぱら祈祷ばかりだが、竜公としての仕事が存在する。それはつまり、魔法使いの秘術でもって行われるヒトの手にあまる事柄だ。
日照りの強い場に水脈を通し、粘土質の為に水はけが悪い地方の土を改良する。
「って、土木工事?」
「国の為ですからぁ」
「あの、ルティア……実は賄賂とか貰ってきてませんか? 明らかに私の仕事じゃないような」
神殿にいるのだから仕事をするのは構わないが、明らかに何かがおかしい。
「いやですわぁ。ヒトの心なんてのぞいちゃ駄目ですぅ」
「……のぞいてませんが」
ルティアは唇を引き結んでにっこりと笑い、そそくさと現在自分が腕に抱えている書類を机の上にどさりとおいた。
「今宵の正餐の献立を考えなくてはいけませんわねぇ? 私失礼させていただきますわぁ。お仕事はちゃんとなさいませー」
「その正餐とやらは私を招いてはくれていないようだな」
正面の二枚扉が許しもなく開かれ、ルティアは慌てて二歩下がり頭を下げた。
せわしなく動いていた神官達がざっと壁際によって頭をさげていく。その中で中央の椅子に座ったままだった神官長は吐息を落として頬に掛かる髪を払った。
「分別なく動き回るのはお止め下さい」
「自分の縄張りをうろついて何が悪い」
「ここは私の縄張りですよ。いくら貴方でもね――席をお譲りしたほうが?」
立つこともせずにいう神官長に、厚地の外套を腕で払いながら壮年の男は口元を歪めた。
「年寄り扱いはやめろ」
「私は年寄りではありませんが座ったままで構いませんね」
「ああ、好きにしろ。それより、正餐の招待は来てないぞ」
「呼ぶ気はまったくありませんから。それに、今宵の正餐のホストはエルです」
「なんだ。アレか」
つまらなそうに言い、ふっとその眼差しを神官長の背後に控える侍女姿のルティアへと向けた。
「姫――息災か」
「おかげさまで健やかにしております」
「また変わったナリをしているな。エルディバルトの趣味か?――アレに飽いたら他の者をあてがってやっても構わんぞ。私の四番目辺りはどうだ」
「たいへん嬉しゅうございますが、エルディバルト様に飽きることはございません」
にっこりと丁寧に言うルティアにニヤリと笑った。
「そんなことを言いにきたのですか?」
「なに、我が守護者が女にのぼせ上がってると聞くのでな。一度見たいと願うのはおかしなことではあるまい?」
「年寄りは下世話ですね」
微笑を湛えて言う神官長に、言われたほうはニヤニヤと口元を緩めている。
「見せると減るので見せません」
「そういうものか?」
「そういうものです」
神官長の眼差しは冷たいものだった。二人の間に何故か重苦しいものが横たわる。ルティアが怪訝な顔をすると、正面に立つ男は腕を組んだ。
「その女が相応しいものでないのであれば、処分せねばなるまい」
「そのようにエルディバルトに命じたのですね」
「ああ――」
「そして断られた」
「まったく忠実な犬だな、アレは。伯父の頼みといえどすげなく断った――使えん」
大仰に肩をすくめて笑う相手に、神官長は穏やかな微笑を返した。
「忠実な犬も時には噛み付くものですよ」
「その犬に牙がなくば意味などあるまい」
二人の間に冷たく流れるものに、ルティアは小さく身を震わせ、更に一歩退いたがそれを合図にしたように二人が笑い声を上げた。
「では致し方ない。姫よ――同じ命を与えよう。その女に支障があれば、早々に処分せよ」
つっと向けられた視線は冷たい刃物のようにルティアを捉えた。
ルティアはその言葉に喉を鳴らし幾分逡巡した後に頭を垂れ、唇が震えそうになるのを必死に堪えながらぎゅっと瞳を閉ざし、応えた。
「承りましてございます」
「良い返事だ。まったく女であることが惜しいことよな」
高らかに笑って身を翻し退出する相手を見送り、その場の誰も口を開こうとしなかった。神官も、ルティアも、そして――彼等の主も。
静寂が重くのしかかり、頭を下げたままの状態のルティアの額から流れた汗が顎を伝い、落ちる。やがて苦痛にうめくようにルティアはその場に膝をついた。
「申し訳ありませんっ」
「何がだい?」
唯一人、椅子に座っていた男はゆったりと足を組み、小首をかしげて微笑した。
***
「何をしているんだ、リドリー?」
伯父さんが眉間に縦皺を刻みつけて声音を変えたが、あたしはいそいそと寝台に戻ってキルトにくるまった。
冬眠――冬眠は無理かもしれないが、二・三日休ませて下さい。
「寝てる暇なんてないぞっ。リドリー?」
伯父は乱暴に切るとの端を引っ張るが、あたしは身を丸めながら抵抗し、あげくある一つの考えがばしりとあたしの脳内をめぐり、掴んでいたキルトを手放した。
「エスコートは要りませんから!」
「な、なんだ突然?」
「迎えが来てくれるから。伯父さんは行かなくて大丈夫っ」
それどころではありませんよ。伯父とあの人たちを会わせるのは実は結構危険ではないのでしょうか? 認めたくはないけれど、あの髭――もとい、あの駄犬、ああ違くて、ちがくて! あああっ、これもそれもルティアさんのせいだっ。などと八つ当たり気味にルティアさんのせいにして、あたしはぶるりと身を震わせた。
あのエルディバルトさんが王弟殿下の三男だというのであれば、つまりあの変態魔法使いはそれだけの人を護衛騎士としてもてるということだ。まぁ、偉いのは理解していたけれど。
そして、その無駄に偉いエルディバルトさんをたかが「あたしに失礼なことを言った」という阿呆な理由でもって地下牢に十日近くも投獄した。
……伯父さんを投獄するなんてことはないだろうけれど、なんてあたしは結構さらりと思っていたが、どうしてそれをしないなどと言えるだろうか。
――常識などもともと通用しないのだ。
あんなの野放しにしないで欲しい、本当に。
「何を言ってるんだ。おまえが何か失礼なことを仕出かさないように見張らねば」
「ああ、安心して」
あたしは寝台に座ったまま乾いた口調でいった。
「失礼以前に、もうすでにエルディバルトさんには物凄く嫌われてるから」
今までの人生の中で、あたしを嫌っているという人間は何人かいることとは思いますが、ダントツナンバーワンで嫌っている人といえばエルディバルトさんに違いないと断言してもいいです。
まるで害虫をみるかのような視線を惜しむことなく向けてくれますよ。伯父さんがそれを体験すれば、卒倒すること間違いなしです。素晴らしいですね。滅多にできませんよ、そんな経験。
「おまえっ、卿に何をしたんだ!」
「……」
ナニをしたのでしょうかね?
あたしが説明を求めたい。個人的に何かした覚えはまったくありませんが、激しく嫌悪の対象になっていることはひしひしと感じています。
「まさか、怒らせた為に呼ばれているのか? 招待ではなく呼び出しなのか?」
引きつって卒倒しそうになった伯父の様子に、あたしは困惑して額に手を当てた。
何故にこんなややこしいことに。
「えっと、夕食の招待は招待だから、おかしな心配はしないで?」
「まったくおまえが何を言っているのか判らん」
気が合いますね。あたしも自分が何を言えばいいのか判りません。判っているのは、気楽に考えていたことが激しくややこしくて面倒臭いということですヨ。
伯父は落ち着きをなくしたのか、うろうろとその場をいったりきたりと歩き出し、大げさにぶんぶんと手を振り回し、
「そもそも、どうしたら一介の庶民であるおまえと卿が知り合うことができるというんだ?」
ぶつぶつと言ったと思えば、今度はハっと息を飲み込んで伯父は食い入るようにあたしを見た。
「まさか! まさかおまえ――卿と不適切な関係を築いたとか言うのではあるまいな? あの方は女癖が……いや、えっと……」
ごほんごほんっと咳払いする伯父だったが、あたしはその発想に更に疲れを感じてしまった。
あたしとエルディバルトさんが何ですと?
天と地とがひっくりかえり、あらいぐまがオットセイと熱愛を繰り広げたとしてもありえない。
しかも伯父ときたら一人で動揺し、
「まさか子供とかっ」
「馬鹿なこと言わないでよ!」
「馬鹿なことおっしゃらないで!」
悲鳴のような高い声が怒鳴り、あたしと伯父の視線は開いたままの扉へと向かった。
そこには外出から戻ったばかりの母が憤りをみせて出現し、足早に寝台に近寄るとその手であたしを抱き寄せた。
「兄さまっ、私の娘に突然なんということをおっしゃるのっ」
突然帰宅した妹が厳しい眼差しで睨みつけ、浴びせかけてくる非難がましい言葉に伯父は目に見えて狼狽した。
「エ、エレイズ……いや、すまない。だが……」
「だがもへったくれもありません! 私の娘をふしだらな女のようにっ。許しませんよっ」
「エリー、私が悪かった。だが、話を」
「まさか! ああ、まさかっ。リィっ、まさかそうなの? あの男との間に子供ができたから結婚なんて言い出したというのっ?」
はいぃぃ?
あたしを抱きしめ、伯父を糾弾していた母が突然その矛先を自分の腕の中の娘へと向けた。あたしはその超展開にぎょっとして目をむいたが、あまりのことにぱかぱかと口を動かすことしかできなかった。
「なんとっ、そうなのか。リドリー、ああ、でかしたぞっ。卿はまだ結婚されていない。確か婚約者はいたと思うが……子供ができてしまえばそんなものはどうとでもなる。なんと目出度いっ」
「どこが目出度いのですっ、あああ、可哀想に。大丈夫、大丈夫よ? 慌てて結婚なんてしなくていいのよ。そう、リィも赤ちゃんも母様がちゃんと守って――」
「そう、結婚だ。早く話しを詰めなければっ。婚約期間の最低期間は三ヶ月だが、卿ならすぐさま特別許可証を用意して頂ける」
「兄さまは黙ってらして!」
「ってか、二人とも黙って!」
あたしはなんとか必死に腹部に酸素を取り入れ、今までこんな大声など出したことなど無いという大音量で怒鳴りつけた。
しんっと一瞬部屋が静寂で満ちたが、すぐに懲りない二人が同時に口を開こうとするものだから、あたしはぱんぱんっと今度は手を打ち鳴らし、強い口調で言った。
「勝手に話を作ってすすめないで! あたしは妊娠してませんからっ」
人の話を聞いて下さい。
ええ、本当に――あきれ返りながら、あたしを見ている二人が本当に兄妹なんだなぁと何故かやけに感じていた。
ああっ、もぉっ。
二人とも、勘違いした挙句の暴走っぷりがそっくり。